歴歩

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栃木県二宮町・長沼城跡 鎌倉時代初めのかわらけが出土

2009年07月05日 | Weblog
 県埋蔵文化財センターは2日までに、鎌倉時代の御家人、長沼氏の居城・長沼城跡(二宮町長沼町北宿地内)を発掘調査しているが、鎌倉時代の長沼氏の祖・宗政の時期に一致する素焼きの土器である「かわらけ」を見つけた。
 「吾妻鏡」などで鎌倉初期に城が築かれたとされてきたが、出土した「かわらけ」で築城年代が初めて裏付けられた。
 吾妻鏡などによると、長沼氏は1192年の鎌倉幕府成立間もなく、小山市の小山氏から分家し、長沼に城を構えた。1400年代までは文献で足跡をたどれる。幕府への貢献もあり、中世に小山氏、結城氏、宇都宮氏などと並んで「関東八矢形」と呼ばれ、有力武士の一角を成していたという。
 今回の調査は、昨年7月から道路の形状に沿った約7700㎡を発掘。古代のものも含め溝・堀跡が57本、井戸42基、宴会用の使い捨て食器のかわらけ約20枚などが見つかった。直径十数cmのかわらけは井戸底から無造作に捨てられた状態で出土し、同センターは「形状や大きさの構成から鎌倉時代のもの」という。
 一方、従来、現在の土地の形や高低差などから堀の形状が推測されてきたが、この見立て通りの堀も出土した。堀は最大の部分で幅約12m、深さ約2・5m。
 さらには、長沼城ができる以前の平安時代の竪穴住居なども見つかっており、  「大田寺」と墨書きされた土器が出土した。
 同城跡の調査成果は8月22日午後1時半から、下野市の県しもつけ風土記の丘資料館で一般向けに説明される。
[参考:下野新聞、県埋蔵文化財センターHP、広報にのみや2009.1月号(No.601)]



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