市教委の調査で、纒向遺跡の南西約2kmにある大福遺跡で、弥生時代後期後半(2世紀後半)の集落の溝から、銅鐸の破片が見つかった。同遺跡で銅鐸片の出土は2例目。
銅鐸片は、胴体部上面の「舞(まい)」と呼ばれる部分とみられ、縦5・5cm、横8cm、厚さ2・5~4mmで銅鐸の溝を埋めた土の中から見つかった。近くからは、鋳造炉の送風管や青銅の塊、銅の滓、青銅器の鋳型の外枠、青銅製のやじり(銅鏃)などが出土。周囲に青銅器の工房があったらしい。弥生時代の祭祀で利用された銅鐸を壊して別の青銅器に〈リサイクル〉していたとみられる。
市教委は「青銅器の再生産の様子がよりはっきりとし、弥生社会の終わりを表している」としている。
埋文センターで展示 銅鐸片などは市立埋蔵文化財センター(同市芝)で開かれている2008年度発掘調査速報展「50cm下の桜井」で展示している。10月4日まで。
[参考:毎日新聞]
過去のニュース・情報
前出2009.3.5
銅鐸片は、胴体部上面の「舞(まい)」と呼ばれる部分とみられ、縦5・5cm、横8cm、厚さ2・5~4mmで銅鐸の溝を埋めた土の中から見つかった。近くからは、鋳造炉の送風管や青銅の塊、銅の滓、青銅器の鋳型の外枠、青銅製のやじり(銅鏃)などが出土。周囲に青銅器の工房があったらしい。弥生時代の祭祀で利用された銅鐸を壊して別の青銅器に〈リサイクル〉していたとみられる。
市教委は「青銅器の再生産の様子がよりはっきりとし、弥生社会の終わりを表している」としている。
埋文センターで展示 銅鐸片などは市立埋蔵文化財センター(同市芝)で開かれている2008年度発掘調査速報展「50cm下の桜井」で展示している。10月4日まで。
[参考:毎日新聞]
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前出2009.3.5