兵庫県立考古博物館(播磨町)が明石市魚住町の長坂寺(ちょうはんじ)遺跡で地中レーダー探査をし、地下に人為的な直線区画があることがわかった。現地に残る田んぼの区画と合わせ、一辺約80mの正方位を向く方形区画が復元でき、古代山陽道の駅家「邑美駅(おおみのうまや)」跡と見ている。
長坂寺遺跡は奈良時代の瓦が出土したことから、古代寺院跡と見られていた。しかし故高橋美久仁・元滋賀県立大教授らの研究で、長坂寺遺跡のすぐそばを山陽道推定ルートが通ることなどから、平安時代の「延喜式」(注1)に記載された明石駅と賀古駅のほぼ中間地点にあたる、古文献に記載のない幻の駅家(仮称「邑美駅」)があり、統廃合で廃止されたと考えられている。
探査は1月、日本文化財探査学会の協力で実施し、レーダー探査機で電磁波を地中に発射し、その反射波を受信して画像に表示した。
自然地形ではできない直線的な筋がいくつも見つかった。これらの結果と地表の様子を総合すると、1辺約80mの方形区画が浮かび上がるという。山陽道の駅家跡と確認されている、たつの市の小犬丸遺跡(布勢駅(ふせのうまや))や加古川市の古大内遺跡(賀古駅(かこのうまや))では、約80m四方の区画(駅館院(やくかんいん))が判明している。
調査地の地下には何らかの遺構が残っている可能性が高いとみて、同博物館は今秋以降に再度レーダー探査をし、地権者の理解が得られれば来年度以降に発掘調査を検討する。
[参考:朝日新聞、明石市教育委員会HP]
(注1)播磨国駅馬、明石30疋。賀古40疋。草上30疋。大市。布勢。 高田。野磨各20疋。越部。中川各5疋。
過去のニュース・情報
2009.3.25古代山陽道の駅「賀古駅家」と確認
長坂寺遺跡は奈良時代の瓦が出土したことから、古代寺院跡と見られていた。しかし故高橋美久仁・元滋賀県立大教授らの研究で、長坂寺遺跡のすぐそばを山陽道推定ルートが通ることなどから、平安時代の「延喜式」(注1)に記載された明石駅と賀古駅のほぼ中間地点にあたる、古文献に記載のない幻の駅家(仮称「邑美駅」)があり、統廃合で廃止されたと考えられている。
探査は1月、日本文化財探査学会の協力で実施し、レーダー探査機で電磁波を地中に発射し、その反射波を受信して画像に表示した。
自然地形ではできない直線的な筋がいくつも見つかった。これらの結果と地表の様子を総合すると、1辺約80mの方形区画が浮かび上がるという。山陽道の駅家跡と確認されている、たつの市の小犬丸遺跡(布勢駅(ふせのうまや))や加古川市の古大内遺跡(賀古駅(かこのうまや))では、約80m四方の区画(駅館院(やくかんいん))が判明している。
調査地の地下には何らかの遺構が残っている可能性が高いとみて、同博物館は今秋以降に再度レーダー探査をし、地権者の理解が得られれば来年度以降に発掘調査を検討する。
[参考:朝日新聞、明石市教育委員会HP]
(注1)播磨国駅馬、明石30疋。賀古40疋。草上30疋。大市。布勢。 高田。野磨各20疋。越部。中川各5疋。
過去のニュース・情報
2009.3.25古代山陽道の駅「賀古駅家」と確認