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藤井寺市・津堂城山古墳 墳丘調査を開始

2009年07月14日 | Weblog
 同市教委が13日、世界遺産登録を目指す百舌鳥・古市古墳群で最初に築かれた大王墓である藤井寺市の国史跡・津堂城山古墳(4世紀後半)の調査を始めた。8月末までに、後円部北側で墳丘の状態などを確かめる。
 墳丘の発掘調査は約1世紀ぶりで、大王墓が大和から河内で築かれるようになった鍵となる古墳の実態解明が期待される。
 同古墳は全長208mの大型前方後円墳で、明治45年(1912)の発掘で竪穴式石室と長持形石棺が出土したため、その周辺だけが4年後、「陵墓参考地」に指定され、後円部の一部のみを宮内庁がフェンスで囲い管理している。(内部資料では允恭天皇陵である可能性を指摘)。古墳全体は58年、国史跡に指定されている。
 市教委によると、石棺の発見以降、83年に市教委が周濠部分を発掘したが、墳丘は未調査だった。後円部北側は墳丘が崩れており、陵墓参考地を囲むフェンスが倒壊しかねないため、盛り土工事をするのに伴って調査を行うことにした。
 この日は作業員が調査地に生えた雑木を伐採し、今後、発掘調査や測量を進める。
 市教委は、「同古墳は、中世に城に転用されたため、本来の墳丘の形はよくわかっていない。今回の調査で、同時期の巣山古墳(奈良県広陵町、全長約220m)などと比較できる資料が得られることを期待している」と話す。
[参考:読売新聞]

過去のニュース・情報
2009.5.8 藤井寺市・津堂城山古墳 宮内庁書陵部が陵墓で初の地中探査
 宮内庁書陵部は、2007年12月に大阪府藤井寺市の津堂城山古墳で行った地中レーダー探査の成果を、4月発行の「書陵部紀要」第60号で発表した。宮内庁が自ら「陵墓」の地中探査を行うのは初めて。
 近年、後円部の東側斜面で土砂の流出が激しくなってきたため、藤井寺市教委が墳丘の保全整備工事を計画。遺構の正確な位置を把握する必要に迫られ、宮内庁は墳丘頂上の平坦面約300㎡の範囲で地中探査を実施した。その結果、石室の規模は各壁の控え積みも含めて南北12・3m、東西6・7mに達することが判明。とくに、石室東側の石積みは今にも地表に露出しかねない状況にあることが分かった。
 これを受けて、同市教委は近く、築造当時の墳丘の形状を確認するための発掘調査に着手。その結果を踏まえて、年度内にも、崖状になっている東側斜面に盛り土工事を施す予定。
 今回の探査は、一度発掘された事実と探査によるデータを比較・検証することができる点で、宮内庁は極めて学術的な意味は大きいとする。しかし、この調査が「皇霊の静安と尊厳を守る」という自ら定めた陵墓管理の大原則に抵触しないのかどうか、議論のあるところ。
 宮内庁は、陵墓への研究者の立ち入り調査について、墳丘の最も下の平坦面までしか認めていない。
 また、5年前に宮崎県に対して認めた男狭穂塚・女狭穂塚古墳(西都市)での地中レーダー探査でも墳丘への立ち入りは許さなかった。
 それにもかかわらず、埋葬施設である石室の直上で探査を実施したことについて、宮内庁は「管理上、必要と認めた調査なので問題ない」と話す。
[参考:2009.5.28読売新聞]

百舌鳥・古市古墳群
陵墓



コメント (1)
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