佐賀市教育委員会は15日、筑後川河口西岸の標高3~4mの平坦な水田部に位置する石塚古墳(同市諸富町為重)の石室の追加調査で、6世紀後半ごろに造られた石室内が時期を置いて複数の人を埋葬したとみられ、後に改修された可能性があることが分かったと発表した。
石塚古墳は87年、ほ場整備に伴って発掘調査され、福岡県八女地域特有の須恵器や金銅製馬具、小さな鉄板を革ひもで繋なぎ合わせた「挂甲」(鉄製よろい)のほか、蓮華文の金銅製円形板などが出土した。一部は県重要文化財に指定されている。
石室は長さ約3m、幅1.2~2mで、石の積み方から6世紀後半に造られたとみられる。
一方、出土品は6世紀末~7世紀の物とされることから、石塚古墳は、7世紀近くに改修して再利用された可能性があるという。
また、石室内で見つかっていた約25個の人頭大の石は、棺の土台とみられる。古墳全体の形状は不明だが、出土品や、古墳が筑後川に近い低平地にあることから、筑後川を使った海上交通を掌握した豪族のものではないかとみている。
18日に一般公開をする。午前10と11時の2回に分けて各30分ほど市教委の職員が説明する。(雨天中止)
[参考:佐賀新聞、毎日新聞]
石塚古墳は87年、ほ場整備に伴って発掘調査され、福岡県八女地域特有の須恵器や金銅製馬具、小さな鉄板を革ひもで繋なぎ合わせた「挂甲」(鉄製よろい)のほか、蓮華文の金銅製円形板などが出土した。一部は県重要文化財に指定されている。
石室は長さ約3m、幅1.2~2mで、石の積み方から6世紀後半に造られたとみられる。
一方、出土品は6世紀末~7世紀の物とされることから、石塚古墳は、7世紀近くに改修して再利用された可能性があるという。
また、石室内で見つかっていた約25個の人頭大の石は、棺の土台とみられる。古墳全体の形状は不明だが、出土品や、古墳が筑後川に近い低平地にあることから、筑後川を使った海上交通を掌握した豪族のものではないかとみている。
18日に一般公開をする。午前10と11時の2回に分けて各30分ほど市教委の職員が説明する。(雨天中止)
[参考:佐賀新聞、毎日新聞]