歴歩

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阿南市・宮ノ本遺跡 古墳時代中期~後期の集落跡を確認

2009年07月18日 | Weblog
 04年度から発掘調査を行っている「宮ノ本遺跡」(同市長生町宮ノ本)の6年目となる調査で、縄文から弥生時代への移行期の住居跡、鎌倉時代の荘園跡などを発見した。
 本遺跡は縄文時代から室町時代にかけて継続した集落遺跡で、古墳時代後期(6世紀)と鎌倉時代に2度の隆盛があったとみられる。古墳時代後期については、須恵器、土師器などの土器のほか、勝浦川以南の県南地域で初となる竪穴式住居の集落跡も出土。鎌倉時代の荘園とされる「竹原庄」の跡も見つかった。
■平成21年度の発掘調査の成果
 6軒の竪穴住居跡を検出した。05年度の調査で検出した2軒を合わせると、8軒の竪穴住居で集落を形成していることがわかった。これは、古墳時代中期~後期(6世紀半ば~7世紀前半)の竪穴住居跡で、この時期の集落は勝浦川以南では初の確認例である。
 竪穴住居跡群は桑野川に沿って東西にやや長く分布している。出土遺物の時期差や位置関係などから、最大4軒ほどの竪穴住居跡で構成される規模の集落が建て替えを繰り返しながらおよそ100年間にわたって営まれてきたと考えられる。
 竈は7軒の竪穴住居跡で残存しており、いずれも住居の北辺に造りつけられており概ね北西に主軸をもつ。いずれの竈も使用頻度の高さがうかがえる。
 05度の調査で確認された竪穴住居跡のうちの1軒では鍛冶行為があったことが確認でき、さらに今年度確認された竪穴住居跡では砥石が出土したことから、集落内で小規模な鍛冶(村方鍛冶)が行われていたことと考えられる。
 説明会が午前10時~正午に行われる。(雨天決行。)
 宮ノ本遺跡は桑野川の左岸に位置し、桑野川および那賀川の堆積作用により形成された沖積平野上(標高3.3m前後)に立地する。
 04年に始まった発掘調査では縄文時代晩期~弥生時代前期の竪穴住居跡が確認された。縄文時代晩期の住居内からはサヌカイト製の石器、弥生時代では磨製石斧や打製石庖丁など農耕に関連した遺物やミニチュア土器などが出土している。
 また、鎌倉~室町時代の掘立柱建物跡を中心とした集落も確認された。これらは平安時代末に成立した「竹原庄」と関連づけられる集落が展開していると考えられ、さらに青磁・白磁などの輸入陶磁器や和泉・東播・備前などの交易をうかがわせる土器が出土した。
[参考:毎日新聞、徳島県埋蔵文化財センターHP]

竹原庄
 竹原庄は左大臣藤原頼長(1120-1156)の領地であったが、頼長の死後、後白河上皇の後院領に編入された。阿波誌に「昔為 名藍地。方八町領 竹原領」とあり、仁和寺末の隆禅寺が管理した。
 長寛元年(1163)9月25日付の文書(八桙神社寄進状)には「本家一院(後白河院)領家左大臣藤原基実(1143-1166)」とある。
 承元3年(1209)8月、後白河院から前仁和寺門跡守覚法親王(1150-1202、後白河院の第2皇子、母は藤原季成の娘)に伝領された。
 文永8年(1271)普門寺領となった大野本庄、宝荘厳院領の大野新庄外2庄を合わせて「竹原5箇庄」と言われるようになった。
 他の2庄とは岩脇、南島、岡、中原とされており、もう一つは古庄、柳島の地としている。
[参考:阿南市HP]



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加古川市・古大内遺跡 「賀古駅家」の門の礎石・唐居敷を発見

2009年07月18日 | Weblog
 兵庫県立考古博物館(播磨町大中)は17日、奈良、平安時代に都と太宰府を結ぶ古代山陽道沿いの中継施設「賀古駅家(かこのうまや)」跡とされる古大内遺跡(加古川市野口町古大内)で駅家表門に続く進入路を初確認し、「唐居敷(からいじき)」と呼ばれる門の礎石を発見したと発表した。唐居敷が見つかったのは同県上郡町の落地(おろち)遺跡に次ぎ全国で2例目。
 賀古駅家は奈良時代以前に整備された古代山陽道沿いに設置され、奈良、平安時代に貴族らの宿泊施設などとして利用されたという。
80m四方の築地塀で囲まれ、馬40頭がいる日本最大の駅家だったとされる。
 今回の調査では、駅家東辺の南寄りの部分を発掘。見つかった道が東辺と直交して東に延び、山陽道と直交することから進入路と判断した。この結果、賀古駅家は東辺に表門を持つ構造と判明した。
 唐居敷は、表門跡とされる場所から西約60mの大歳神社境内で発見。約70年前の同神社の社殿建築の際、表門跡から運んだとみられ、ほかの礎石20個とともに庭石に使われていた。落地遺跡の野磨駅家跡(上郡町)から出土した唐居敷よりひと回り大きいという。
 礎石は、地元で産出される竜山石(凝灰岩)。2個ともほぼ同じ大きさで、縦115~130cm、横60~85cm、厚さ40~50cm。それぞれ「軸摺穴(じくすりあな、礎石に掘り込まれた扉の軸受け穴)」と「方立穴(ほうだてあな、扉との隙間を埋めるための木材を立てる穴)」とみられる方形の穴が2つあった。間口約10m高さ約5mで、開閉式の扉2枚が付いていたと推定している。
 礎石の大きさなどの特徴から、賀古駅家が「八脚門」と呼ばれる格式の高い大きな門を備えていたとみられる。
 20日午後1時半から現地説明会があり、8月8日午後1時半~3時半、同館講堂で調査報告会が開かれる。
[参考:共同通信、神戸新聞、産経新聞]
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白山市・宮保館跡・宮保B遺跡 15世紀の堀跡が見つかる

2009年07月18日 | Weblog
 石川県埋蔵文化財センターが16日、同市宮保町の宮保館跡・宮保B遺跡(鎌倉~室町時代)で、15世紀前半に掘られ、屋敷地を囲んでいたとみられる堀跡や掘立柱建物跡が見つかったと発表した。
 遺跡は、手取川によって形成された扇状地の扇央部に位置する。平成元年度の調査では、中世の館を区画したと思われる堀や溝、石組みの遺構などが確認されている。
 今年度は、4月から調査。堀は幅約5m、深さ約1mで、一辺が約40mのコの字形に巡っていた。堀立柱建物の他、食料の保管庫跡の竪穴状遺構などがあった。また法華経を書き写した柿(こけら)経、土師器や加賀焼など鎌倉・室町時代の食器が出土した。
 今回とは別の場所で幅約4m、深さ約1mの堀も見つかっており、有力者が複数いた可能性もあるとしている。
 一般公開は18日午後1時半~同3時に行われる。
[参考:毎日新聞、石川県埋蔵文化財センターHP]



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