歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

豊岡市・八坂神社古墳、中谷貝塚遺跡 縄蓆文土器出土を確認、天日槍伝説の重要資料 

2009年07月10日 | Weblog
 県立考古博物館と豊岡市立出土文化財管理センターが1日、豊岡市内で過去に見つかった古墳時代中期の二つの遺跡から出土した土器片14個が、亀田修一・岡山理科大教授(東アジア考古学)の鑑定で、朝鮮半島で作られた筋状の縄目模様のある縄蓆文(じょうせきもん)土器(승석문토기)であることが分かったと発表した。
 縄蓆文は、4~6世紀の朝鮮半島の土器に特徴的な技法で、縄を巻いた板で土器を整形した筋状の縄目模様。
 1981年に八坂神社古墳(同市土渕)で土器片11個と2003年に中谷貝塚遺跡(同市中谷)で土器片3個が出土した。甕や壺などの一部とみられる。
 古墳時代中期(5世紀後半)に渡来人が来た証拠になるという。縄蓆文土器は窯跡が主に朝鮮半島東南部から見つかっている。縄蓆文土器を焼いた窯は日本ではほとんど見つかっておらず、甕などの実用品のため、交易で伝わったのでなく、渡来人が直接持ち込んだ可能性が強いという。
 県内では、播磨地域を中心に約20例の縄蓆文土器の出土が確認されているが、アメノヒボコの伝説の舞台となった但馬地域では、柿坪遺跡(朝来市山東町)の1例のみで、しかも北但馬からは初めて。
 古代、新羅の王子、天日槍(アメノヒボコ)に代表される渡来人が、北但馬で存在したことを裏付ける重要資料としている。
 いずれも11日から同市日高町称布の但馬国府・国分寺館で開催される「アメノヒボコの考古学」展で展示する。9月6日まで。
[参考:2009.7.2読売新聞、2009.7.3日本海新聞、2009.7.10毎日新聞]

参考:
桜井市広報「わかざくら」平成17年9月号で、縄蓆文土器の出土について記されている。概略は次の通り。
 谷遺跡と安倍寺遺跡の度重なる調査により、二つの遺跡は鍛冶や玉造(たまつくり)に関係する集落の遺跡になる可能性が高いという。そして、両遺跡で出土した遺物の中から、縄蓆文タタキや格子目(こうしめ)タタキなど朝鮮半島で使われている土器と共通する仕上げや形をしている土器が確認されるようになってきている。古墳時代の鍛冶や玉造などの特殊技術は渡来系の人々との関連が考えられている。(時期は確定されていないが、古墳時代中~後期の遺構?)
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大阪府河南町・シシヨツカ古墳 銀象眼大刀柄頭が発見

2009年07月10日 | Weblog
 蘇我氏一族の墓との説がある大阪府河南町のシシヨツカ古墳(6世紀末、東西60m、南北53mの方墳)から、鳳凰を銀象眼で表現した豪華な大刀飾りが見つかっていたことが9日、分かった。
 平成14年の発掘調査時には、横穴式石室から金象眼のある鞍金具などが見つかった。さらに、錆びで覆われた鉄製品が出土。錆びを除去したところ鮮やかな象眼が当時のまま残っており、被葬者の地位の高さを裏付ける資料となった。
 奈良大学に保存処理を委託したところ、六角形をした亀甲文の内側に、2羽の鳳凰が向き合う姿が銀象眼で表現された大刀の柄頭の飾りの一部(縦8cm、横6cm)と分かった。鳳凰の象眼のある大刀飾りは全国で30例前後見つかっているが、シシヨツカ古墳の象眼は特に精巧で、被葬者の権力の大きさがしのばれるという。
 シシヨツカ古墳の北約3kmには聖徳太子墓や推古天皇陵があり、一帯は「王陵の谷」といわれている。
 大刀飾りは11日から、河南町の府立近つ飛鳥博物館で初公開される。
[参考:産経新聞]

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 平成14年3月、現地見学会が行われた際に公開された遺物は、漆塗籠棺、亀甲繋文銀象嵌円頭大刀柄頭、鉄製挂甲、金銅装馬具及び飾り金具、銀製帯金具、金糸、ガラス玉、須恵器などで、これらの遺物は6世紀代、後期古墳の出土品と井通するものが多いとされていた。(大阪府教育委員会文化財保護課シショツカ古墳現地見学会資料参照) この時の、円頭大刀柄頭の亀甲繋文銀象嵌には1羽の鳳凰であったが、今回は2羽の鳳凰が描かれている。細かく説明を加えると、
 既に出土のものは、亀甲文は、辺は二条、頂点は二重円で表現され、中に鳳凰が1羽描かれている。
 今回出土のものは、亀甲文は、辺は三条、頂点は二重円で表現され、中に鳳凰が2羽描かれている。
 似たような、鳳凰文が配された亀甲繋文銀象嵌円頭大刀柄頭は、三重県伊賀郡富岡の前山1号墳(径12mの円墳、6世紀後半)の出土品でも見られる。銅製の耳飾6個ほか、轡、杏葉などの馬具類も同時に出土しているが、こちらのほうの亀甲繋文銀象嵌は、亀甲文は、辺は三条、頂点は二重円で表現され、中に鳳凰が1羽描かれている。



亀甲繋鳳凰文象嵌円頭大刀柄頭出土状況一覧表 (全てを網羅していることは確認していません)
出土古墳時 期象嵌材料一辺の線辺と辺の円形状鳳凰の数
松江市・岡田山1号墳6世紀後半3条2羽
福岡県広川町・鈴ヶ山2号墳1羽
天理市・星塚古墳2号墳6世紀後半金銀3条二重の円2羽
藤岡市・平井地区1号古墳6世紀後半2条1羽
群馬県板倉町・筑波山古墳6世紀後半3条二重の円1羽
蒲郡市・権現山古墳6世紀後半3条1羽
伊賀市・前山1号墳6世紀後半3条二重円1羽
大阪府河南町・シシヨツカ古墳6世紀末2条二重円1羽
同上同上3条二重円2羽



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韓国・済州 新石器時代の「結合式釣針道具」が出土

2009年07月10日 | Weblog
 (財)済州文化遺産研究院は9日、昨年7-12月に西帰浦市安徳面沙渓里~仁城里間農漁村道路擴舗装工事区間の発掘調査を行い、新石器時代の結合式釣針道具(결합식 낚시도구)に使われる石築と「豆粒文土器(두립문토기)」が済州で初めて発掘され、済州道と韓半島、日本間の古代文化交流研究に重要な学術資料になるとしている。
 結合式釣針道具は細く削った石築の下側には弓のように曲がるように削った骨を縛り、上側には縄を縛れるように作ってあり、韓国では1981年江原道襄陽の烏山里で初めて発掘された。
 最近では南海岸地域貝塚でもたびたび出土しており、1989年には日本の熊本県で同じ形の結合式釣針道具が発掘された(注1)。
済州道と日本の交流は今年4月に屏門川上流貯留池工事現場で発掘された豆粒文土器にも証明されている。
 豆粒文土器は表面に豆粒のような突起が装飾されている土器で、日本でも発見されて国宝(注2)と指定されたが済州でも同じ形の土器片3点が発掘されたのだ。
結合式釣針道具と豆粒文土器は済州で初めて発掘され、済州道と韓半島、日本との古代文化の交流が証明されたとしている。
[参考:聯合ニュース]

(注1)天草市大矢遺跡のことか。
(注2)佐世保市泉福寺洞窟遺跡のことか。出土した豆粒文土器は国宝でなく重文に指定されている。
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韓国・金海市 完全な伽耶時代土器窯を発見

2009年07月10日 | Weblog
 金海市と慶南文化財研究院は9日、慶南金海市進礼面松峴里一帯工場敷地を対象に去る5月末から発掘作業を始めた結果、完全な状態の伽耶時代(가야시대)土器窯(토기가마)1基を発見したと発表した。
 土器窯は、長さ7m、最大幅1.7m、最大深さ1.6mの規模で、窯を構成するかまど、燃焼室、天井の部分までよく保存されている。
 焼成室と燃焼室間に40㎝程度高さの低い壁があり、焼成室と燃焼室が緩やかに続く既存の土器窯とは違った様相を見せている。
 またかまどと燃焼室などでは黒い木炭をはじめとして、5世紀代の赤褐色軟質土器(연질토기)と灰青色硬質土器(경질토기)などが確認されている。
 金海地域では既に陵洞、亀山洞、三渓洞などの地で土器窯が発見されているが、大部分が底だけ残っている状態であり、このように天井までよく保存された土器窯は金海地域では初めて発見されたという。
 土器窯と窯から出土した土器との相関関係を明らかにすれば伽耶時代生活像を推察できる良い資料になるとする。
[参考:聯合ニュース]
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