歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

雲南市・郡垣遺跡 新たに建物跡3棟が出土

2010年12月07日 | Weblog
 産経新聞から雲南市大東町仁和寺の「郡垣(こおりがき)遺跡 建物3棟の跡確認 旧大原郡家跡か」との記事があった。既に、今年11.27付け山陰新聞の記事と同じ発見のニュースであろうと思われる。内容については、
 遺跡の南側などから建物跡が発見された。2カ所から礎石の下に敷く根石が見つかり、建物が掘っ立て柱建物から礎石建物に立て替えられたことがわかった。一つの建物跡は、東西31m、南北4mで、建物を中心にした東西の建物跡の配置や、古代の地方官衙で一般的に用いられた礎石建物跡という点などから、旧大原郡家の可能性が高いという。
[参考:産経新聞]

2010.11.27
 雲南市教委が16日、同市大東町仁和寺の郡垣遺跡で、新たに3棟以上の建物跡が出土したと発表した。
 古代の郡役所・大原郡家(おおはらぐうけ)の跡である可能性が高まった、としている。
[参考:2010.11.27山陰中央新報]

過去の関連ニュース・情報
 2010.3.27 雲南市・郡垣遺跡堀立柱建物跡3棟確認、官衙跡の可能性が高い
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三重県津市・林垣内遺跡 1800~1900年前の環濠とみられる溝が見つかる

2010年12月04日 | Weblog
 三重県埋蔵文化財センターは5日、津市野田の林垣内遺跡(はやしがいといせき)で、弥生時代後期(約1900年前)から古墳時代初期(約1800年前)のものとみられる溝が見つかったと発表した。
 溝は長さ約50m、幅約2m、深さ約1mで、集落を囲む「環濠」とみられる。 岩田川への排水機能の役目を果たしていたとみられ、中から多数の土師器の壺などの土器も出土した。
 現地説明会は5日(日)午前10時~11時半に開かれる。
[参考:読売新聞、三重県HP]

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奈良市・平城宮跡 「九九木簡」が出土 中国の「孫子算経」を参考にして「九九」を練習

2010年12月04日 | Weblog
 奈良文化財研究所は3日、平成20、21年にかけて平城宮東方官衙(かんが)跡(奈良市佐紀町、8世紀)から出土した木簡群の中に、中国の算書に掲載されている「九九」の計算を記した木簡片が見つかったと発表した。中国の算書を参考に記した木簡の出土例は初めてという。
 平城宮跡東側から見つかった木簡片(長さ16cm、幅1・5cm)の一部に、「□九廿七 二九十八 一九如九」(□は三?)、裏に「五八■ 四八卅二 三八廿□」(■は卌?、□は四?)の文字が記されていた。「一九如九」(いんくはくのごとし)は「1×9=9」を意味し、「如」は積が1ケタの場合に挿入されたとみられる。 当時の九九は現代と違って「九九 八十一」から始まる。
 中国の隋、唐時代の九九の算書「孫子算経」(3~5世紀頃成立)と「算経十書」(7世紀頃)に「一九如九」など九九の計算が掲載されており、これらの算書を参考にしたとみられる。
 平城宮跡の木簡群からは、九九の暗算のために練習した文字跡が残る木簡の出土例はあるが、中国書を参考にして記したとみられる木簡の出土は初めて。
 文字は稚拙で、当時の下級役人が暗算の勉強をした木簡片ではないかとしている。
[参考:NHKニュース、共同通信、毎日新聞、日経新聞、産経新聞、読売新聞]

かけ算の九九は中国から…伝来示す木簡が出土(読売新聞) - goo ニュース
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奈良市・平城宮跡 奈良時代後期、称徳天皇崩御を示す木簡が出土

2010年12月04日 | Weblog
 奈良文化財研究所(奈文研)が3日、平成20年1月~21年2月に奈良市の平城宮跡の「東方官衙(かんが)」で出土した木簡群から「天皇崩給(ほうじたまう)」、「年八月」と記された木簡が見つかったと発表した。
 このエリアからは宝亀年間(770~780年)の年号が書かれた木簡群が見つかっている。
 今回の木簡(長さ6・3cm、幅1・3cm)は、表に「天皇崩給」とあり、裏側の文字は「年八月」と確認できた。
 続日本紀・宝亀元年(770) 8月4日(注1)の条に、「癸巳。天皇崩于西宮寢殿。春秋五十三。(略)」と記され、奈文研は、宝亀元(770)年8月の称徳天皇(717-770)崩御を示す木簡の可能性が高いとみている。
 「天皇」の文字が記された木簡の出土例は全国的にも珍しく、平城宮跡では初めて。
[参考:産経新聞]

(注1)
 続日本紀・宝亀元年10月1日の条に、「冬十月己丑朔。即天皇位於大極殿。改元寳龜。(略)」とあり、それまでは神護景雲4年の年号を使っていたと思われる。
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太宰府市・大宰府跡 蔵司地区から鉄鏃や小札が大量に出土

2010年12月04日 | Weblog
 福岡県立九州歴史資料館(小郡市)は3日、太宰府市の特別史跡「大宰府跡」の政庁跡西側の蔵司(くらつかさ)地区の地表面から、7世紀後半から8世紀前半に製造されたとみられる鉄鏃や甲冑の鉄製小札の破片、鉄塊など計約26kg分を発見したと発表した。
 軍事目的あるいは鉄を再利用するために集めていた可能性もあるとしている。
 4日(土)から来年1月30日まで、大宰府展示館(太宰府市観世音寺4)で公開される。
[参考:産経新聞、毎日新聞]
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大崎市・新田柵跡 築地か土塁跡と物見台?の建物跡が見つかる

2010年12月03日 | Weblog
 大崎市教委は2日、同市田尻の律令政権時代の城柵「新田柵(にいたのさく)」跡推定地で、城柵外郭の南西角を画す築地(ついじ)か土塁の跡と、物見台とみられる建物跡を見つけたと発表した。
 北辺の蝦夷(えみし)を支配する軍事的拠点の規模と性格を裏づける遺構という。
 同遺跡は、「続日本紀」天平9年(737)4月14日戊午の条に、「遣陸奧持節大使從三位藤原朝臣麻呂等(略)、判官正六位上大伴宿祢美濃麻呂鎭新田柵。(略)」と記されている新田柵に比定されるが、中心部が未発見で「推定地」にとどまっている。
 現地説明会が4日午前10時から開かれる。
[参考:毎日新聞]

注意
 今回の「新田柵」現地説明会についての情報は、インターネットでは毎日新聞以外には見えず、十分確認の上お出かけ下さい。

過去の関連ニュース・情報
 2009.7.4 登米市・滝塚遺跡 土鈴、墨書土器が出土
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明日香村・水落遺跡 斉明天皇時代の迎賓館(石神遺跡)へ延びる木樋跡が見つかる

2010年12月03日 | Weblog
 奈良文化財研究所が2日、斉明天皇の660年に、中大兄皇子(天智天皇)が造った水時計の漏刻(ろうこく)台跡とされる水落遺跡(みずおちいせき、奈良県明日香村)で、北側に隣接する斉明天皇時代(在位655~661年)の迎賓館跡とされる石神遺跡に向かって延びる木樋(もくひ)を埋設するために掘ったとみられる溝跡が見つかったと発表した。
 初めて調査が行われた2遺跡の間の区域では、石敷きの通路(東西4m、南北3m)と、3本の溝跡が確認され、幅20~80cm、長さ2・3~6・7mだった。うち2本が木樋の跡、1本は水時計関係の銅管の跡であった。このうち石神遺跡から南に、水落遺跡から北に延びる木樋跡は連結する(直線的に70~80m)と推定されるが、遺構の一部が壊れていて確定はできなかった。
 過去の調査で、漏刻で使われた水は木樋を通り、石神遺跡の噴水施設「須弥山(しゅみせん)石」でも利用されたと考えられており、2遺跡が深く関連することが改めて明らかになったとしている。
 現地説明会は5日(日)午前10時~午後3時に開かれる。
[参考:共同通信、読売新聞、産経新聞、日経新聞]

奈良・水落遺跡、隣接する石神遺跡と一体整備(読売新聞) - goo ニュース
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韓国・京畿金浦陽村で3世紀の墳丘墓22基を確認

2010年12月02日 | Weblog
 高麗文化財研究院は2日、京畿金浦陽村面の陽村宅地開発予定地で青銅器時代住居跡55基とともに、3世紀頃に造成された初期三国時代墳丘墓計22基を追加して確認したと発表した。
 このうち、埋葬主体部があるものが10基、墓周囲に周溝があるものが6基、埋葬主体部だけある土壙墓が4基であった。
 周溝は平面で概ね方形であり、丘陵頂上部に沿って築造されていた。
 埋葬主体部には大部分が木棺を使って死体を安置したとみられ、鉄器類と土器類、玉類を含んだ遺物が木棺内外から見つかった。特に2ヶ所で見つかった金箔を施した玉が目を引く。
 鉄器類は環頭大刀と槍、斧、鎌、刀子、矢尻などがあり、土器類は灰色あるいは灰青色を帯びた軟質が主流であった。
 こうした墳丘墓が陽村宅地開発地区でこれまで計60基程度確認され、これらは韓半島南部で確認された墳丘墓中最も北側に位置していることが分かった。
[参考:聨合ニュース]

過去の関連ニュース・情報
 2009.9.16京畿金浦で3世紀の馬韓勢力墳墓を大量に発掘し、鉄器類、鉄製武器類などが多数出土

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韓国光州新昌洞遺跡 青銅製剣把頭飾が出土、3日に説明会

2010年12月02日 | Weblog
 国立光州博物館は1日、9月13日から発掘調査を行っている新昌洞遺跡(史跡375号、光州市光山区)で、3日午後3時から新指導委員会および説明会を開くと発表した。
 今回の調査で、土器生産と関連した焼成遺構と水路などが発見され、初期鉄器時代から三国時代に至る土器片と青銅製剣把頭飾、管玉などが出土した。
[参考:聨合ニュース]

過去の関連ニュース・情報
 2010.1.16 韓国光州新昌洞遺跡 韓国国内最古の二股踏鋤を確認
 2010.10.14 福岡市・岸田遺跡 弥生時代中期の墓60基、中から国内最古の青銅製の把頭飾が出土
 2010.6.19 慶州平野内・塔洞 2千年前の新羅建国勢力の首長の木棺墓を発掘か?剣把頭飾が出土
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韓国・羅州革新都市建設予定地で形が完全な高麗末-朝鮮初め(1400年前後)の地下式瓦窯を発掘

2010年12月02日 | Weblog
 馬韓文化財研究院は1日、羅州市山浦面一帯山丘陵地帯(海抜25~28.5m)を発掘した結果、高麗末-朝鮮時代初め(1400年頃)の瓦窯跡4基を発掘したと発表した。
 1、2号と3、4号窯が約30m距離を置いて2基ずつ並んで配置された姿で現れた。 このうち二つは、窯の中にも瓦を安置して焼成部上部などが破壊されていたが、2号と4号窯は天井部まで全体構造がそっくり残っていた。これら瓦窯は、丘陵傾斜面下2mを掘り抜いて作った地下式登窯で、全体の長さは16m程度に達し、窯前部と燃焼部、焼成部、そして煙道部で構成されている。窯前部は平面が長方形で長さ5~6m、幅4~5mであった。
[参考:聨合ニュース]

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八幡市・石清水八幡宮 護国寺跡で1816年本堂再建時の銅製法具(地鎮具)が出土

2010年12月02日 | Weblog

独鈷杵(左)と輪宝(右) 2012.6.26 「発掘された日本列島2012」(江戸東京博物館)にて撮影

 八幡市教育委員会が1日、石清水八幡宮(京都府八幡市)境内の護国寺跡で、円形の「輪宝(りんぽう)」(直径約19cm)と、棒状の「独鈷杵(とっこしょ)」(長さ18cm)と呼ばれる二つの銅製法具を組み合わせた地鎮具が6点見つかったと発表した。独鈷杵は輪宝の中央に突き立てられ、護国寺の本堂跡に五角形に沿った形で配置されていた。
 護国寺は平安前期に創建され、焼失と再建を繰り返し明治維新の廃仏毀釈で破壊された。文化13年(1816)に本堂を再建した際、八方に法具を埋める天台宗特有の「安鎮家国法(あんちんかこくほう)」に基づき地鎮祭を行ったとみられる。
 現地説明会は4日(土)午後1時~3時に開かれる。
[参考:共同通信、産経新聞]

過去の関連ニュース・情報
 石清水八幡宮
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鳥取市・松原田中遺跡 弥生時代から中世にかけての田んぼ跡が見つかる

2010年12月01日 | Weblog
 鳥取県教育文化財団は1日、松原田中遺跡(鳥取市松原)で、弥生時代から中世(室町時代)にかけてのたんぼ跡や住居跡が見つかったと発表した。成果として、下記が上げられる。
 2500年前の溝から、壺と木製鍬が出土し、耕作が弥生時代前期まで遡ることがわかた。
 1700年前の竪穴住居跡が見つかった。
 昨年度に調査した丘陵部の古墳群と合わせ、歴史的景観がわかるようになった。
 現地説明会が、4日(土)午後1時30分に開かれる。
[参考:鳥取県HP]

過去の関連ニュース・情報
 2008.9.13 鳥取市・松原古墳群 横穴式石室見つかる

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四日市市・中野山遺跡 飛鳥時代の大集落跡が見つかる

2010年12月01日 | Weblog
 三重県埋蔵文化財センターは30日、四日市市北山町字中野山の「中野山遺跡」で、これまでに竪穴住居跡5棟と掘立柱建物跡4棟、土器類約300点が出土し、飛鳥時代(約1400年前)の大集落とみられると発表した。
 竪穴住居跡は最大のもので南北6m、東西5m。掘立柱建物跡の時期は特定できなかったが、柱の穴が四角で奈良時代の特徴を残しており、飛鳥から奈良時代に建てられた可能性が高いという。また、土器類は弥生時代中期(約2000年前)から飛鳥時代までの土師器や須恵器が出土した。
 現地説明会は4日(土)午前10時から同11時半まで開かれる。
[参考:毎日新聞、三重県HP]

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糸島市・井田原開古墳 九州2例目の鰭(ひれ)付円筒埴輪が出土

2010年12月01日 | Weblog
 糸島市教委は29日、5世紀前半に築造されたとみられる全長90mの前方後円墳・井田原開(いだわらひらき)古墳(同市志摩)の後円部と前方部をつなぐくびれ部分から、長い板状のヒレがある「鰭付円筒埴輪」の一部が出土したと発表した。九州では福岡市西区の鋤崎(すきさき)古墳(全長62mの前方後円墳、4世紀末)に続き2例目となる。
[参考:西日本新聞]

過去の関連ニュース・情報
 2010.6.30井田原開古墳 現地説明会を開催
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