選挙期間中のHP書き換え、総務省「公選法に違反」
総務省選挙部は2日、選挙期間中のホームページ(HP)の開設・書き換えが公職選挙法に違反するとの解釈に変更はないとの見解をまとめ、民主党に文書で提示した。
また、総務省は同日、民主党の指摘を受け、一部のHPを更新していた自民党に対しても、「公選法に抵触する恐れが強い」と連絡した。
民主党は8月30日に岡田代表の第一声などを党のHPに載せ、総務省から「許可された文書・図画以外の頒布を禁じた公選法に抵触する恐れが強い」との指摘を受けていた。
これに対し、同党は「選挙関係の記事は4月の衆院統一補選の際も掲載したが、指摘・指導はなかった」と反論し、1日に公選法の解釈を問う公開質問状を同省に出していた。
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このニュースを読んでいて強く感じたことは、
「法律が古い」
と、いうこと。
公職選挙法は改正に改正を重ねている。昭和25年に制定されたあと、毎年のように改正を重ねている。でも、本文にも附則にも、インターネット、ウェブサイト、ホームページ等の単語は一時半句書かれていない。これらは想定外なのだ。法律の想定していない情報伝達方法が出現し、定着しているという事実。これに、対処できていないことだと思う。
許可された文書・図画(とが)以外の頒布を禁止することに反対なのではない。ただ、ウェブサイトの情報掲出がはたして、文書・図画の”頒布”になるのかが、曖昧であるのは問題だと思う。だめならだめと法律に書くべきだ。このままもし裁判になれば、表現の自由との関連もあるから、最高裁まで行くだろう。
ウェブサイトで掲出するもの、内容は”文書・図画”なのかについてはあまり意見の振れ幅はないだろう。これは文書だし図画だ。問題は”頒布”とはどのような概念なのかである。明らかにこの部分が今という時代とずれていると僕は思う。これは法律が悪いのではなく、社会が変わったのだから仕方がない。解釈ではどうしょもない。
”頒布”とは、誰かが何かを主体的に配布することではないのか。配る人が出張っていって手渡しするような行為だろう。だから、配るものを法律で定め、確か分量も決めている。分量が事実上無制限で、自腹を切って印刷しなくても、読みたい人が勝手にプリントアウトしてくれる社会なんて予想できなかったのは仕方がない。インターネットは見たい人が見たいものを探して見に行くものである。情報の向きが違うと思う。
頒布 情報保持者 → 受け手
ネット 受け手 → 情報保持者(掲出者)
コンピュータが一般化したときそのプログラムは著作物か否かでもめたことがあった。最初は著作物というのは、見ればわかるもの(つまり文字で書かれたもの)が一般的な考えだったから、プログラム言語などがこれに当たるかどうかで判例が分かれたことがあった。チップに焼き込んであれば読めないし。
今回はどうなのか。
法律を変えるか、運用を変えるか。
少なくともネットはお金のない集団(政党)などには、大きなツールになるし、広範な政治参加の道を開くことになる。結果として民主主義をいっそうすすめることになると思うのだが。
確かにプリントアウトしたものを、支持者が勝手連のように、まし刷りして配っちゃうとまずいかも知れないね。でも、これは対応を考えればいいことだ。情報発信が選挙期間中にできませんというのはいかにも時代遅れ。これは何とかするべきだ。
言葉は時代と共に変わる。法律は施行された瞬間に古くなる。なぜなら時代と共に変わるものをある一瞬の段階で固定するからだ。これは辞書と同じ。選挙とネットの関わりは、今すぐ考えるべきだ。
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もっとも、広島に出没している堀江某が持っている会社みたいなのが、選挙戦を左右する可能性も出てくるかも知れないけど。