安倍晋三元首相を意識したのかな。
わたくし麻生太郎、この度、国権の最高機関による指名、かしこくも、御名御璽をいただき、第92代内閣総理大臣に就任いたしました。
わたしの前に、58人の総理が列しておいでです。118年になんなんとする、憲政の大河があります。新総理の任命を、憲法上の手続にのっとって続けてきた、統治の伝統があり、日本人の、苦難と幸福、哀しみと喜び、あたかもあざなえる縄の如き、連綿たる集積があるのであります。
その末端に連なる今この時、わたしは、担わんとする責任の重さに、うたた厳粛たらざるを得ません。
この言葉よ、届けと念じます。ともすれば、元気を失いがちなお年寄り、若者、いや全国民の皆さん方のもとに。
申し上げます。日本は、強くあらねばなりません。強い日本とは、難局に臨んで動じず、むしろこれを好機として、一層の飛躍を成し遂げる国であります。
日本は、明るくなければなりません。幕末、我が国を訪れた外国人という外国人が、驚嘆とともに書きつけた記録の数々を通じて、わたしども日本人とは、決して豊かでないにもかかわらず、実によく笑い、微笑む国民だったことを知っています。この性質は、今に脈々受け継がれているはずであります。蘇らせなくてはなりません。
日本国と日本国民の行く末に、平和と安全を。人々の暮らしに、落ち着きと希望を。そして子どもたちの未来に、夢を。わたしは、これらをもたらし、盤石のものとすることに本務があると深く肝に銘じ、内閣総理大臣の職務に、一身をなげうって邁進する所存であります。
わたしは、悲観しません。
わたしは、日本と日本人の底力に、一点の疑問も抱いたことがありません。時代は、内外の政治と経済において、その変化に奔流の勢いを呈するが如くであります。しかし、わたしは、変化を乗り切って大きく脱皮する日本人の力を、どこまでも信じて疑いません。そしてわたしは、決して逃げません。
わたしは、自由民主党と公明党の連立政権の基盤に立ち、責任と実行力ある政治を行うことを、国民の皆様にお誓いします。
かなり時代がかっている。復古調というか、古いというか。。。。
安倍晋三元首相、福田康夫前首相の演説に比べて、何か感じが違う。演説の内容にもよるが、今回の演説で特に印象に残るのは、日本語(大和言葉)で言えるものは、可能な限り英語を代表とする外来語・カタカナ語を避けていることである。
全部でこれしかない。
(合意形成の)ルール、(国際的な)ルール
50パーセント
エネルギー技術
〇ロシアをはじめ〇アジア・太平洋の諸国
ミサイル問題
〇インド洋
〇アフガニスタンへの関わり
カタカナ語は全部で9件しかない。そのうち固有名詞は〇印の4件。一般名詞として、ほぼ定着しているものは、ルール(2回)、パーセント、エネルギー、ミサイルの4件5回である。
これ以外でも、ムダはが演説原稿でカタカナだがこれは除外した。
やはり何か意図することがあると見るのは、考え過ぎか。