現在の日経新聞小説は、阿倍仲麻呂が主人公の安部龍太郎『ふりさけ見れば』です。そこに「漓江」が出てきます。地図で確認していたら側に「桂林」の文字があります。
ということは私は漓江の川下りをしたということ? 頭の中で桂林と漓江が結びついていなかったのです。『ふりさけ見れば』が心にぐんと近づいてきました。
急いで過去の写真を探すと、やはり行っていました。「桂林漓江下りの旅」のスケジュール表も出てきたし、俄然やる気が出て編集したのです。
夫が出発が1週間後というチケットを取ってきたのが桂林観光でした。仕事に忙殺されて連休はどこか遠くに行きたいという気持ちがあったようです。会社のそばの旅行社でチラシを見つけたということでした。
こんな唐突な計画でもすぐ出かけられるようになったのは、もう子供たちが成長していたからです。
2003年以前の旅は写真がデータ保存ではないので、紙の写真をスキャンして取り込みました。ぼやけていても旅の思い出が記録されればいいのです。ブログのカテゴリー「海外旅行(2003年以前編集)」にも追加できました。
桂林は日本ともヨーロッパともアメリカとも全く違う景色で、まるで山水画の世界に衝撃を受けました。よく見る掛け軸の絵はイメージでなく本物だったのです。
最初は河の上でずーっとこの景色に浸っていたいと思っていましたが、4時間も大きくない観光船の中では限度でした。まずトイレの設備が悪くて苦労しました。あの頃から短期間で、中国は目を見張る急勾配の成長を続けています。
女性ガイドさんが、日本には行ったことがないのに癖のない日本語がぺらぺらぺら。中国の大学で学ぶことの真摯さと努力に、学生生活を垣間見て敬意を持ちました。13億の国の学生がまじめに学んだら・・・と日本の危機感がちらりと頭をよぎりました。
海外客用のお土産店で「道」の一文字を書いたすばらしい掛け軸をず―っと見ていたら値札が8万円。店員さんが側に来て「有名な書家です」と。
買う気がないから「高いですねぇ。2万円位ならいいけど」というと黙って離れていきましたが、出口に向かっている時に追いかけてきて
「2万円にしておきます」
「うーん、それでもやっぱりやめておきます」
「それなら1万5千円でいかがですか?」
ここまで下げるとは驚き。きっと上司と相談してきたのでしょう。なんと値札の1/5の価格でゲットしました。何しろ白髪3000丈のお国柄ですから。何よりも書体が気に入りました。
当時、桂林市長の月給が2~3万円。ガイド料が1万円。車が12万元とも聞きました。
桂林では、道路舗装のコンクリートをコテで塗っていたし、建築現場の足場はパイプでなく竹で組まれ、ヘルメットは竹を編んだものでした。
その頃は経済でも生活水準でも確実に日本が上でした。それが今では天を突くような高層ビル群をテレビで目にするし、GDPでは追い越されてしまいました。
往きの機内で。里帰りの中国人ママと女の子がビジネスクラスで離れたシートだったらしく、2席並んでいるエコノミーの私たちの席と変わって欲しいと頼まれました。申し訳ない程のラッキーさに二つ返事でOKしました。まぁ中国南方航空でしたがね。
一度でも中国旅行ができてよかったと思います。中国を舞台にした本を読むときは、時代が違っても景色や空気感を感じとることができます。
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『ふりさけ見れば』に出てくるのが「漓江」と思っていましたが、地理的に違和感があり、もう一度調べると正しくは「淮河」でした。とんだ思い込みでしたが、お陰で旅の編集ができました