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昨夜の夕食と同じレストランだけど、雰囲気は違います。照明も朝の感じで爽やか。遅く入ったせいか程よい客数。
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選んだ具材で焼いてくれるオムレツはふわふわ。
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チェックアウト後も、領収書を提示すれば、各施設が無料で使えます。
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パティオ。四方が壁に囲まれていても空の見える空間は開放的で閉塞感がありません。この感覚が何ともいえなく大好きで、このパティオを目指して何度となく訪れている会社の保養所です。2泊3日で別府温泉に休養に来ました。
スペイン風の建物で保養所の名前もスペイン語。回廊と噴水を見ていると中世の小説の世界に引き込まれます。
ライトに照らされる世界は昼間とはまた違った様相を呈し、パティオの物語はさらに広がっていきます。
図書室もなかなかゴージャスで書棚には読みたい本が何冊かありましたが、宿泊が2泊と限定されているのでなかなか読書時間がとれません。結局は出歩く時間が多くなってしまいました。
キッズ用の温泉プールは年中使えますが、ウィークデイはがらんとしていてもったいないくらいです。大人用16mのプールは若い人たちが使っていました。
幼児には格好の遊び場もあります。以前来た時はアスレチックルームにマシンがたくさん並んでいましたが、今は取り払われて卓球台のみに変わっていました。経費節減の昨今、使用頻度の少ないものは無駄でしょう。
もう一つの楽しみは夕食です。保養所といっても料理長のプライドは手抜きを許しません。この誠実さが嬉しいのです。
前菜、早椀、お造り。すべて大分産の食材で、これだけでも満足がいきます。
焼き物。煮物のサトイモ饅頭。煮物の饅頭は旅館でもよく供され私のお気に入りです。
和牛ロースの赤ワインソース。
揚げ物。酢物は茶ぶりナマコ。
留め碗は赤出汁で、海藻「クロメ」のどろっとした食感が特徴。私はサラリとした赤出汁の方が好みです。
ここの温泉は大浴場とサウナのみで露天風呂はありません。旅館と違って客が少ないし、お客も従業員も同じ社員、そのファミリー感覚が安心できるところです。
息子が私の希望を入れてとってくれた宿「oncri」は山峡にあり、予想をはるかに超えた納得のいくものでした。口コミもかなり良い評価で、隣県にも関わらず私の情報不足でした。
数年前にリフォームされたようで、インテリアもセンスが良くて素晴らしい!
山あいの冬、都会では見られない星空に息子が感激していました。
温泉棟は別棟になっていて大浴場、露天風呂に趣向が凝らされて、全種類を満喫しようと意欲満々。38℃のぬる湯は長時間入っていても不具合はないという事で、山と空を見ながら露天風呂に30分もただ浸かり続けていました。
食事前、食事後、翌早朝と満足の行くまで温泉を味わいました。歩行湯、足湯、サウナ、砂蒸しもありますが、時間足らずでパス。(写真はONCRIのHより)
食事処の膳座敷の玄関口は意匠が実に好ましくシンプルです。夕食はここで睦月の和会席を頼んでおきました。(写真はONCRIのHPより)
奉書巻、松風、土佐煮、嬉しくなるほど丁寧です。 椀のしんじょの下には「寿」と切り抜かれて昆布が隠れていて、その趣向が素晴らしい!
ヨコワとはクロマグロの若い魚のことだそうで、初めて知りました。ぶりの経木焼き。ふっくらとしたぶりの食感と経木の香りが合っています。薄桃色のユリ根のきめ細かい茶巾絞りに金粉が乗ってお正月めいています。
海老芋饅頭にカラスミが乗っています。絶妙のおいしさでした。当然ながら地元伊万里牛の焼きしゃぶ。
最初の前菜で料理人の腕と、見えないところにも手を抜かない誠実さが伝わりました。どれも佐賀県産の食材です。洋か和か迷いましたが和食にしてよかった!
一皿ずつ運んでくるたびに丁寧に料理の説明をし、こちらの質問にもきちんと答えてくれた給仕の男性は勉強中だという韓国から来ている若者でした。的確で流暢な日本語と誠実な接客に感心しながらも、何やらきな臭い日本海のニュースが頭をよぎりました。民間交流はこんなに自然にうまくいっているのに。
朝食はレストランでのバイキング。インバウンドで日本語以外が飛び交っています。フロントのスタッフには欧米人・アジア人もいて各国語に対応できるように配慮されています。こんな山峡の宿の情報も今はネットで簡単に手に入れることが出来るし、内外を問わず温泉の良さを分かり合えるというのも素晴らしいことです。
チェックアウト後は有明の海沿いをひた走って祐徳稲荷神社に向かいました。山門は美しく、カラフルだけど嫌味はありません。
近年、タイ映画の舞台になったそうでタイからの観光客が増えたことをテレビで知りました。朱色の神社は特に初詣にぴったりです。
舞台の美しい組み方が特徴です。拝殿へは100段ほどの階段を屏風畳みのように折れ曲がりながら上ります。
エレベーターも出来ていますが、お一人様300円とはちょっと高いかな。
拝殿の奥にさらに奥の院があり、数えきれないほどの鳥居の中を登っていきます。
最後は手すりのない岩石の急な階段に変わりました。後悔するとは思いましたが、あと150mというところで危険を感じて断念し息子だけ登っていきました。佐賀平野が一望できたそうです。
神社の外に出るともう梅が色づいていました。特に暖かかったこの日、春はすぐそこという感じです。明るい正月は希望が持てます。
更に西に向かって走り、海中に鳥居があるというところへ。大漁神社・海中鳥居です。テレビで見たことがありましたが、こんなところにあったのです。
「月の引力が見える町」というキャッチフレーズの太良町の干潟は干満の差6m。満ち潮になると鳥居が海の中に浮かぶことになります。幻想的な光景はイメージだけで・・・。
突堤の電柱は2mの高さまでフジツボがびっしりくっついています。この高さまで海水が満ちてくるのです。
突堤の縁に牡蠣やアサリなどの貝殻が堆積してうず高く積もっています。棒で掘ってみましたが、しっかり堆積し固く深さは1~2mはあり、長い長い年月を感じます。
先ごろ行った世界遺産の三重津海軍所跡で、日本最初のドック建設に使われたのがコンクリ―トでなく軽い牡蠣殻でした。大量の牡蠣殻をどうやって調達したのか・・・、その疑問の答えを見つけました。ここでやっとつながり納得しました。
佐賀県は福岡県以上に観光地があるのに、なかなか表に出ない気がします。宣伝の仕方が足りないのかな・・・。もったいない。隣県人として「佐賀県」を大いにPRしておきます。
今度の正月で大量に残ったおせち料理と食材について皆の意見も聞いて、来年からは数の子、黒豆、雑煮、お屠蘇と超簡単にすることに決まりました。私もあまりお節料理は好きでないけど、今までの努力は何だったんだろう??? でも楽になることだけは間違いなし!これは伝統の「無視」ではなく「改善」という事ですo(^-^)o
お正月の後片付けに何日もかかり気が滅入りがちでしたが、静かな温泉宿でおいしいものを食べて、初詣も出来て、私には遅れてきた嬉しい正月になりました。思い立ってくれた息子に感謝しています。ありがとう!
ホテルのバイキングスタイルの朝食は「朝からつ茶漬け」がおすすめでした。
トッピングが魚醤、メンタイ、メカブ、塩昆布で特製スープをかけていただくものです。
唐津➡呼子➡名護屋城址へと向かいましたが観光センターでのアドバイスで助かりました。
呼子から名護屋城址までは昼間5時間ほどはバスの運行がなく、バスの役割を「ジャンボタクシー」が補うのです。料金は一律200円。
乗客が少ない大型バスを運行して採算悪化するよりも、ジャンボタクシーで市の補助を受けて一日に3路線を5便ずつ運行。一台に10名ほどかしら。乗客は高齢者が多く、あるバス停から先は希望の場所で降ろしてくれるという、何ともおおらかなルールがあるのです。
過疎地ではバス路線の廃線が取りざたされていますが、「呼子方式」はとても参考になるのではと思います。
朝鮮出兵の拠点がひと山丸ごと名護屋城址になっており、7年間の名護屋城時代の土木工事に気が遠くなるほどです。この周りに120藩の武士が陣地を構えていました。
本丸辺りの敷地。麓からかなり高くなっています。
太閤秀吉はここから朝鮮を睥睨し、欲望を膨らませました。
唐津城には秀吉の御朱印状が残っていました。朝鮮の日本人陣地に兵糧米を二万石送ったとか、それを独り占めにしないように監視しろとか、その内の200石は船で運んだ運び人に与えろとか、細かすぎる指示に秀吉の性格と人情を見た思いです。
呼子はイカ!と言っても二人ともイカ尽くしには躊躇。「海舟」でイカシュウマイの付いた煮魚定食を食べました。あら炊きが美味しい!
名護屋城博物館の展示も充実していました。
家に帰り着いたのは7時。歩行数12500歩。近場の旅でも「掘り出しもの」が沢山で大いに楽しみました。
9月からずっと忙しかったので、この辺で2食付きの宿でゆっくりしたい・・・と佐賀県の唐津にやってきました。バスと電車で2時間足らず、海と山の見える十分に旅情が味わえるところです。観光したいところも沢山あります。
東京駅設計で有名な辰野金吾監修の「旧唐津銀行」はなかなか見応えがあります。
重厚で黒光りのする木製の扉や階段に、当時の未来への希望に輝いた時代が見えてきます。
唐津銀行の創設者・大島小太郎の「旧大島邸」。茶室が素晴らしい。
更に素晴らしかったのは「旧高取邸」。炭鉱王の高取伊好の2300坪の邸宅で重要文化財の指定を受けています。決して華美ではないが杉戸絵や欄間に漢文の世界が見え隠れして、知識人の深い素養がしのばれます。
中でも室内に設けられた能舞台の見事さ、設計の工夫は見事です。撮影は禁止。ボランティアのガイドさんの説明がとても分かりやすく来て好かったところです。
唐津城へも。220段の石段はスルーしてエレベーターを利用しました。
天守閣から見る唐津湾は少し霞がかっていましたがやはり静かな美しい光景です。
夕食つきの宿はメニューの選択に悩む事もないのでやはり楽です。
今日の歩行は12000歩。明日は秀吉の朝鮮出兵の基点になった名護屋城址に向かいます。
「おじいちゃんと一緒に泊まりたい」ということで、別府に来ています。夏休みの三世代家族が目立つ巨大ホテルは施設間の移動はシャトルバスで。
別府湾を一望する大展望露天風呂「棚湯」、水着で楽しむ温泉「アクア・ガーデン」、レジャープール「アクアビート」、キッズルーム、ボーリング場と夏休みのためのような設備です。
JRの駅で客をシャトルバスで拾った後は、帰るまでこの巨大空間に留め置くという営業方針のようです。最初から朝食夕食つきの料金設定でした。海側54㎡の和室に入った途端、先ず子供たちが叫声をあげたファミリータイプです。広い!
ずっと続く廊下、インテリアがお洒落です。
巨大なレストランは子供から大人まで楽しめて人気があります。真ん中にガラスの水槽があり魚が悠々と泳いでいます。ちょっとエキゾチック。
スイカの彫刻が見事。シェフにはこんな技も必要なんですね。久しぶりに地元産のおいしいスイカを食べました。
イイルミネーションのランキングにも載っていました。通りにもず~っと続いています。
自家発電だからできる壮大なイルミネーションです。光って、いつでもどこでも心が惹かれます。
特急ソニックの窓、緑の山中に「USA」の白い大きな文字が目に飛び込んできました。トランプさんのお国の施設?何かのテーマパーク?と一瞬頭が混乱。・・・が、ローマ字で読めば、何のことはない地名の「宇佐」でした。歴史ある地名はそのまま漢字の方がい・・・。
二日目、最後の朝食。口コミ通りのスタッフさんの笑顔と心配りに朝から爽快です。
この後、再度『青根御殿』のガイドツアーに参加して、しっかりと脳裏に焼き付けてきました。
竹に雀と縦三つ引紋は伊達家の家紋で、欄間に使われていました。
山本周五郎は、ここ不忘閣に滞在して長編小説を書き終えましたが、どうしても本のタイトルが思い浮かばず思い悩んでいたそうです。その時、窓越しにふと目にした樅の木を見てひらめいたのが『樅の木は残った』です。屋根の上の真ん中に見えるのが、くだんの樅の木です。
チェックアウトして、蔵王エコーライン経由で「御釜」を見に行きました。1700mの標高にあるために、新緑のトンネルを通ってのドライブは実に気持ちのいいもので、九州と違う木立の美しさが目立ちました。
6月なのに、まだ雪が残っているのが九州人には珍しくて、残雪にも紋様ができているのを発見しました。
前日は霧がかかって見えなかったようですが、この日は快晴でラッキーでした。御釜の近くまで車の乗り入れができます。エメラルドグリーンの火口湖は酸性が強くて、生物は生息していないそうです。
テレビでしか見ることのなかった火口湖「お釜」を、実際に目にすることが出来るとは全く考えてもみなかったことでした。感激、感激!
昼食は人気の高い「たんとろ」で。メニューはタン塩のみ。炭火の上で、タンを返すごとにトングで「トン」と叩いて音を出しながら、焼きにもリズムが必なようです。
こんなにおいしいテールスープは初めてでした。私は塩だれを選びましたが、味噌だれの方がおいしいといっていました。タン塩とずんだ餅はどうしても食べたいと思っていました。二つともクリアできてよかった!
昼食後海岸に向かいました。津波の後、海岸がどれくらい復興しているのかを息子は見たかったようです。震災当時息子は海外勤務で、国内の連絡先である我が家に赤十字から寄付の御礼状が送られてきました。その額を見て、息子が遠い異国で如何に胸を痛めているかをはかり知ったものです。
あれから7年・・・かなり大がかりな復興計画がすすみ、「千年希望の丘」が復興のシンボルとして整備されていましたが、あの恐ろしい震災の模様がよみがえり、その広さは悲しみの広さでもあるのです。
津波で住めなくなったとてつもなく広い土地を活用し、10キロにわたり6つの公園整備が計画され、毎年植樹が行われています。
震災の瓦礫を再利用し、津波で堆積した土砂を使って人工の丘をつくり、生き残った松の木や遺構などを保存して記憶にとどめるようにということです。
年金の支給日毎に、無理と思える寄付をすることで自分の気持ちを納得させていましたが、慰霊碑の鐘を突き、手を合わせることが出来て、ずっとくすぶっていた気持ちにけりがつきました。
海との間には頑丈な堤防ができています。松林の中から生き残った松が力強くもあり、物悲しくもあります。
旅の最後に訪れることができた鎮魂の場所。本当によかったと思います。すべてが充実して満足の旅でした。
今回の旅は、出張の合間の2週間だけ日本にいることで計画してくれたものです。旅行が終わった2日後にまた海外へ・・・とは、母親としてはとても考えることが出来なくて断りましたが、日程が詰まっているのは日常茶飯事、この機会を逃したらいつになるかわからないという息子の言葉に甘えてしまいました。行ってよかったと思います。
昨晩の夕食の感触がまだ残っていても朝食はきちんととりました。
一つひとつはありふれた朝のメニューですが、竹筒の出来上がったばかりの豆腐が心をくすぐります。
海抜600mにある青根。ここに仙台藩主の「御殿湯」として『青根御殿』が築造されました。仙台藩川崎領主の家臣・佐藤掃部が湯槽を設けたのが1546年。「湯元不忘閣」の建物として奥まったところに威容を誇っています。
これら温泉に関する資料が『青根御殿』に展示されています。青根御殿は明治以降昭和45年頃までは一般客室として使用されていたそうですが、文化庁の指定建築になってからは資料館としてのみ解放されています。
その歴史を巡るツアーが、おかみさんのガイドで毎朝食後に行われているので参加しました。こんなツアーがあるところは他に聞いたことがありません。
政宗公の鎧兜と姫君の調度品 左の間よりも一段高く設えられた藩主の間。掛け軸3幅は狩野探幽作。屏風も狩野舟川作。藩主ともなれば赤ん坊の時から一流品の中で育つ・・・、諸芸に秀でるはずです。
お昼の散策で見つけたものが『青根洋館』古賀政男記念館です。古賀氏に関係のある東北学院の宣教師の館を移築して資料館になっています。
私の住まいの近くの大川市出身なのにほとんど知識がなかったので、今回初めていろいろなことを知りました。国民栄誉賞の副賞は中味の見える時計でした。栄誉賞と騒ぐ割には・・・。
亡くなる2日前の自筆の手紙には、平和を切望する気持ちが切々と綴られていました。演歌はあまり好きではないけど、その歌詞を見ていると深い味わいがありました。
散策後は、空いている浴室の札を持ってひとり占めの湯船につかりました。お肌つるつるで夕食です。
酢の物、 前菜、 先付
お造り 蒸し物
凌ぎは「うーめん」 伊達椀
焼き物 台もの
煮物 揚げ物
和食といえども総合的にはカロリーは高くなります。食べて、温泉に入って、散策するだけ。こんな遠くにはもう2度と来ることはないだろうと思って、心置きなく楽しむことにしています。
東北の新緑と温泉は垂涎の的。九州からではアクセス的にお隣の韓国よりも遠い感覚ですが、その仙台に直行便でひとっ飛び!2時間で着きました。
というのも、息子から二人分のチケットを手配したとのメールが入り、ANAのホームページで確認してeチケットでやってきました。
ANAと共同運航のIBEX、70人乗りのサンマ?いやキビナゴ?みたいにスリムな飛行機で、宮城県の観光キャラクター「むすび丸」に東北感がいっぱいです。
関西からやってきた息子とは仙台空港で落ち合い、レンタカーで青根温泉に向かって走ります。
途中、廃校を利用した「森のピザ工房 ルヴォワール」で昼食。気取りがなく土臭さがどこか懐かしいお店です。1時間待ちの情報に不安でしたが、遅めの2時過ぎだったのですんなり入れました。
蔵王連峰の「御釜」をイメージしたという「蔵王のお釜ピザ」。この形の発想に拍手。別のモッツァレラチーズと自家製のベーコンのピザがさらに美味で、人気の秘密を見た思いです。
仙台空港から1時間ほどの山の中、青根温泉「湯元不忘閣」が宿泊先です。
創業480余年、伊達家の「御殿湯」が置かれ多くの文人墨客が訪れたという旅館です。新しくはないところも風情満点。6種類24時間かけ流しの歴史あるお風呂と会席料理を求めてくるお客が多いようで、じゃらん宿大賞を受賞した過去も。
半露天風呂『亥之輔の湯』大きな岩をくりぬいた浴槽。
『大湯金泉堂』2年がかりで復元工事。蔵王石の浴槽は伊達政宗が入浴した当時のもの
『蔵湯』人気の高いお蔵を利用したお風呂。
『新湯』伊達藩主が使用したもので、ここも浴槽は石造りで当時のまま残されています。
お風呂の入口にノート大の専用木札を置けば、そこは貸し切りの合図で気兼ねなくひとり占めできます。終わったらフロントに木札を返します。3か所を制覇して夕食に。
前菜。料理人さんの丁寧な心と楽しんで料理をされているのが伝わります。
スズキ南蛮漬け、水雲酢 碓井豆ムース、ウドとシドケと浅利の酢味噌和え
伊達椀。蓋の裏側に伊達家の紋章が描かれています。ハマグリが濃厚な味。
鰈の八幡煮、兜南京、海老 フカヒレあんかけ
焼き筍、海老蕗味噌焼き
青根手打ちそば 仙台黒毛和牛鍋
海老しんじょう、竹の子巻 料理人さんの遊び心が出ているそら豆のチョウチョ。これで全部ではありません。それでもデザートまで完食しました。
夕食後は、まだ入っていないお風呂2カ所を制覇し、肌の感触に満足して就寝です。
今年一番の寒波襲来という九州から、降雪の予報はない快晴の根室中標津(なかしべつ)へ避寒?という旅になりました。
急に息子から航空チケットを手配したと連絡がありました。私と夫はそれぞれマイレージクラブにログインしてe-チケットをゲットし、A4の紙をひらひらさせながら搭乗口へ。羽田での乗換を10分あまりの速歩でこなして一路根室へふ~っ(´゚Д゚`;)。 一日早く宿に着いている息子とは現地集合することになっていました。
根室中標津(なかしべつ)空港の風景は広々とした原野と雪のシャリ岳。およそ日本のイメージとはかけ離れています。人も少ない・・・。旅館の車が迎えに来てくれて30分の雪の原をひた走りました。
着いたところは、養老牛(ようろうし)温泉『湯宿だいいち』。人里離れた山合いの温泉宿で、本館と新館は渡り廊下でつながって横に長ーい配置になっています。養老牛には2件の宿しかなく、四季を通じてとれにくい宿だそうです。この日も満室状態で、運よく3名もとれたのが珍しいとのこと。
本館ロビーは炭火の温もりが優しい和風設えになっています。ここでウェルカムドリンクをいただきながら手続きをします。本館は木材をふんだんに使った和のテイスト。雪と木材はしっとりなじみます。
本館の特別客室はロフトがベッドルームになっていて、隠れ家のような趣向に子供みたいに胸躍ります。ほかに和室と堀ごたつ式の板張りのリビングと露天風呂もついている贅沢な客室です。
戸外は-5℃なのにスチーム暖房と床暖房と二重ガラスで全く寒さを感じません。九州の我が家よりもよほど暖かく、エアコンは使いませんでした。温泉熱の威力です。全ての廊下にはオーナー氏の趣味で、絵画、版画が飾ってあるのも、心豊かになり嬉しく思いました。
雪深い北海道、それも道東に、この厳寒にこれだけの集客力が…、素朴な疑問でした。オーストラリアからのグループ、タイからのグループ、香港からのグループなど国際色豊かでリピーターも多いようでした。
高そうなカメラを提げて野鳥を目当てに来るシニア夫婦も目立ちました。庭に天然記念物の「しまふくろう」がやって来ることで人気があり、フクロウが来ると各部屋に電話連絡があります。フクロウは長居はしないようで私は見ることはできませんでした。
以前はたびたび見かけられたのが、心無い客のカメラのフラッシュと、天敵のテンが出没するようになってからめっきり少なくなったとか。
食事も楽しみです。ヤマメ、道東の海の幸、酪農産物、山菜、牛肉、豚肉・・・と食材が豊富で、連泊しても毎日違うメニューになっています。特に朝食の『養老牛放牧牛乳』はコクがあって、もう絶品です!北海道のおいしさここに極まれり。人気があるので「お一人様1本」の注意書きがあるほどです。
部屋の露天風呂のほかに大浴場、新館浴場あります。女性の大浴場は、10種類の風呂がありすべてに入ると1時間かかります。サウナ、岩盤浴も欲張りました。
内風呂は天井から床まですべてがヒノキとヒバの白木造り。巨大な丸太をくりぬいた丸木風呂も話題性があります。夕食時間を調節して、いつもベストタイムで一人風呂を堪能しました。
マイナスの世界で入る雪の中の岩風呂。雪とお風呂は蜜月です!頬を撫でる冷気と42度ほどの湯温に頭も体もすっきりです。
旅館の清潔さが目立ちました。隅にはホコリもゴミも全くないのです。従業員もかなりたくさんいて雇用に貢献していると思いました。朝礼が終わったのでしょうか、一列に並んで厨房に入っていく料理人の数もたくさんでした。
お風呂の後はリラックスルームで、マッサージ器やリクライニングの椅子にもたれてゆっくり読書。これこそがずっと憧れていた「旅の筋書き」の一コマです。息子は2冊の本が読めたと喜んでいました。
福岡から羽田経由の根室まで飛行距離2200キロ。♪思えば遠ーくへ来たもんだ~♪。そしてエピソード満載の旅でした。
先ず、地下鉄で福岡空港に間もなく到着という時に夫が最重要な薬の忘れものに気がつき途中まで引き返しましたが、どう見ても搭乗時間に間に合わないという事でまた空港へという行きつ戻りつ。不安を抱えたまま旅中の薬はないことに…(´・ェ・`)
そして、福岡空港が工事中で様相が変っていて戸惑い、搭乗時間ぎりぎりにチェックインしたことで焦りっぱなしふ~っ(´゚Д゚`;)…
さらに、飛行機が滑走路の途中でずっとストップしたまま。他の飛行機が鳥を吸い込んでトラぶり滑走路での時間待ちでした。羽田での乗り換え時間は30分。指定の搭乗時間までは15分しかありません。チェックインをスルーにしているので待っててくれるかしらと不安で落ち着きません。
羽田で着陸して次のゲートに到着するまでの800m程を10分で歩きました。向うからグランドホステスの女性が走ってきて、「急がなくてもいいですよ」と言いながらも歩きながらチケットのチェック。まるで年寄りの運動会でした。私たちが乗り込んだ途端に一斉に乗客の「目」が。すぐに飛行機のドアが閉まる旨の放送がありましたふ~っ(´゚Д゚`;)ふ~っ。
帰りは根室中標津発、新千歳乗り換えで福岡へというコースでしたが、電光掲示板には1時間遅れという冷たい表示が…。
折からの寒波で地方の飛行場が閉鎖状態で根室に到着すべき飛行機がかなり遅れているというものでした。予定より遅れて新千歳に着いたら乗り継ぎがどう見てもうまくいくはずがありません。
いくつかの選択肢の中から、3人分のチケットを羽田経由に変更できたことは本当にラッキーでした。
出発まで2時間半も待ち時間ができたので、おいしいソフトクリームがあるという「ラ・レトリ」へ。近いけど路面が凍結しているので徒歩は危険。タクシーにお願いするのが申し訳ないくらいの距離でしたが、北海道のタクシーは優しくてホッとしました。
ソフトクリームは冬には作っていませんでした。でもヨーグルトやジャガイモ餅、チーズなどやはりここでしか食べられない味でした。
ここは国後(くなしり)に近く「北方領土」の看板があちこちに見られました。雪の中の看板はずしりと重たく心に響きました。
3年前の2月にやはり函館に近い銀婚湯にきたことがありますが、今回の道東の方が雪が少ないと思いました。今回は根室だけでしたが、接した方皆さんが温かくておっとりして誠実で、時間もゆったり回っていた気がします。もう来ることはないと思っていた雪の温泉にまた来ることが出来て感謝しています。