同じ古文書のサークルの方の小説「ほくろ」が載っているということで「九州文学 第44号」を入手しました。
それよりも表紙を開いて先に飛び込んできたのは『置いてきた』という松野弘子さんの詩でした。衝撃的で心のなかで号泣・・。
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『置いてきた』 松野弘子
置いてきた
病院のベッドに
ただひとり
胎児のように縮こまる
白髪の母を置いてきた
見知らぬ人達の中に
置いてきた
目も開かず
口を開けたまま
たったひとり
置いてきた
今ごろは
ひとりぼっちの夜の底
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「置いてきた」というぶっきらぼうな言葉の中に、作者の娘としての母に対する深い愛情、自分の孤独、どうしようもない現状、懺悔の心を痛いほど感じて辛すぎる詩でした。
母の三年忌を終えた今も、なお私の心に引っ掛かるのは母の最期の虚ろな表情です。
何度も旅した仲良し母娘4人ですが、旅の楽しい記憶よりも、介護施設や病院での表情ばかりが胸を去来します。
『置いてきた』という赤裸々な言葉はグサッと胸を刺しました。母の老後生活を正面から見るのが怖くて目を背けようとしていた自分の心を、この言葉が容赦なくえぐり出したのです。
92歳まで独り暮らし、それから介護施設と病院での5年間。母の元をたびたび訪れることで自分を肯定しながら自分だけを見つめ、母の心をないがしろにしていたのです。
気丈な母は「娘たちにはそれぞれの生活があるから」というのが口ぐせでしたが、きっと孤独だったと思います。その現状をどうにか出来たという自信は無いものの、とにかく正面から受け止めないできた私の心に刃は的中したのです。
置いてきたんだ・・・、間違いなく置いてきた。よどんでいた私の心の澱をすくい取ったかのように強い言葉はショックでした。しかしこの正直な言葉に私は救われた思いです。何か正面から刃を突きつけて欲しかったのかも知れません。ふしぎに清々した気持ちが残りました。
台所に立つとき、ひとりで静かな時間を持ったときに、この詩を口ずさんでまた泣くでしょう。
文学は強いメッセージを放つものですね~。