新・遊歩道

日常の中で気づいたこと、感じたこと、心を打ったこと、旅の記録などを写真入りで書く日記です。

「江」 と 司馬遼太郎 『 城塞 』

2011年11月26日 | 本・新聞小説

NHK大河ドラマ「江」も終わりに近づきました。最初の頃は3人姉妹のホームドラマ的な進め方や秀吉の大仰な言動などが漫画チックであり、歴史の芯の部分の手ごたえみたいなものが感じられなくて、時代背景を探るために戦国に関する本を探しました。


Photo_3お市の方の悲劇的生涯を中心に描いた谷崎潤一郎『盲目物語』。秀吉と利休の宿命的な闘争を描いた井上靖・短編「利休の死」。そして関ヶ原以前から持ち続けていた天下取りの野望を実現させていく家康の戦略と策略と心理を描いたのがこの『城塞』です。

大河ドラマの原作・脚本の田淵久美子氏は、お市と3姉妹の戦国の女性の喜び悲しみを中心に、会話も現代口語でわかり易くストーリーを進めていきます。

ドラマでは利休の死は大徳寺山門事件の目に見える部分だけが目立ちますが、井上靖の利休の死の解釈にはとても感銘を受けました。秀吉との最初の出会い以来、利休は漠然といつか死ぬことを予感します。茶室での会話の奥に秘められた相手を受け入れない心理を感じとり、お互いに不寛容になってしまう・・・。そこに利休は自分の死の必然を見て、死に直面しても精神の充実を感じるという文学的なストーリーです。こういう場面はとてもドラマでは表現できなくて、やっぱり本に頼るしかありません。

『城塞』は間諜・小幡勘兵衛が大阪方にも徳川方にも身を置く役割として登場し、冬の陣・夏の陣のストーリーをつないでいきます。

『豊臣を滅ぼすために家康がひねり出した悪知恵というのは、古今に類がない。・・・・坊主あたまの悪謀家が家康のそばにいたことが、家康の対豊臣家の陰謀をたやすくはこばせた』。坊主頭の崇伝ばかりでなく、体のどこを押しても悪知恵が出てくるとささやかれた本田正信と、子の正純を使って悪謀を「大量」に作り出して豊臣家をつぶしていった・・・というのが司馬氏の家康観です。

これだけ役者をそろえて次々と打ち出していった家康の策に、大阪方は挑発に乗らざるを得ません。夏の陣ほど東西決戦の激しかった戦いはないといわれています。

淀と秀頼の自刃は、燃え盛る炎の中で強い意志のまま哀しいまでに華麗に描かれるのをよく目にします。しかし「城塞」では、二人は燃えさかる本丸から山里廓の糒蔵(ほしいぐら)に逃げ込みながら、なお生きるつもりでいる人間らしさが書かれています。

糒蔵の場所を確認したあと作戦を練る家康と秀忠の阿吽の芝居はみごとです。家康は冬の陣の講和の誓紙の手前、秀頼の罪を許すことを周囲に聞こえるほどの大声でいい、それに対して秀忠は『この者にお情けをおかけあそばす御仁慈はありがたけれども、天下静謐のためにはお情けのみにては参り候わず。よろしくここはそれがしの裁断にお任せくださいますように』と。ここで豊臣を完全に叩いておかないと徳川の世には移行できません。家康の寛大さと秀忠の将軍の威厳を世に示しその効果を考えてのことでした。

逃げ混んだ糒蔵に銃弾と大筒が撃ち込まれ白煙があがったころ、蔵の内から自刃の終了を思わせる火が噴き始めました。淀と秀頼、家臣たちも腹を切り喉をつき、最後に残った者が焔硝を撒いて火をつけ死骸をことごとく灰にしたのです。火薬をこのように使用した大野修理の潔さと家康・秀忠の芝居の卑俗さを比較して、修理が「豊臣家の最期を詩」にしたことが世間と後世への効果を大きくしたと司馬氏は言っています。

関ヶ原のとき多くの外様大名が功名をたて、そのために家康は封を与えざるを得なくなり、そのうえ恩を着る羽目に陥りました。しかしこの大阪の陣では、できるだけ外様大名に功をたてさせないように後方に配置したり、目立たないようにしたのです。全てこれから続かせていく徳川の時代を見据えてのことでした。

最終回の「江」がどんな終わり方をするか楽しみです。

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ゆったりパリ旅⑨

2011年11月15日 | ’11 パリ個人旅行

定刻通りに9時40分に関空に着き、残った€を両替して、スーツケースの宅配を頼み、身軽にして大阪経由で帰ることにしました。関空→福岡を変更したのは、途中下車で大阪市立美術館の「岸田劉生展」に行きたかったからです。

しかし、いざ天王寺に着くとそんなに時間がありません。伊丹空港発→福岡が3時20分。せっかくのゆったり旅をエピローグであわただしい旅に切り替えるには少し抵抗がありました。というより、なかなかペースが切り替えられなくて、結局透明エレベーターの中から美術館の森を見ただけで終わりました。

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パリの辛い記憶を書こうか書くまいか、ずいぶん考えましたが、やっぱりパリの事実として書いておきます。

オペラ座の開場には少し時間があったので、すぐ傍のレストランのテラスでオニオンスープを食べていました。歩道に張り出したテーブルの2列目で。

その時「!!!」と何かの言葉が発され目の前で、ボーイさんがアラブ系の老人を突き倒して、その老人は仰向けに倒れ、ワイングラスが割れて歩道に飛び散りました。ボーイさんは見向きもせずに店の中に入っていき、布巾を持って出てくるとワインで汚れたテーブルを拭きました。足元でその老人は立ち上がろうにもふらふらして立ち上がれないでいます。テラスで軽食を取っていた客はびっくりして固まってしまっていました。ボーイさんは冷ややかな顔で老人の襟首をつかむと、飛び散ったガラスの上を、片手でずるずるとまるで荷物を引きずるかのようにビルの壁際まで引きずって行きどさっと置きました。

見ていて震えが止まりませんでした。誰も止める人はいません。外国人の私はおろおろするばかりです。どんないきさつがあってこの暴力に及んだのかは見てはいません。ひょっとしたらお客さんに何か物乞いをしたのかもしれません。でもそれが日本だったらまずは口で注意するはずです。このお洒落なパリで暴力による冷たい「排除」が起きるとは。まるで人を物としか見ていないようなその行動に恐ろしさを感じました。そのあとはせっかくのオニオンスープももう喉を通りませんでした。

夫が「倒れた時に後の鉄柱で頭を打ったかもしれない、少し脳振盪を起こしているようだ・・・、後で病院に行くにもお金がいるだろう・・・」と、倒れている男の人のところに行ってユーロ札を手に握らせました。老人はお札を掴むのがやっとの動作でした。あの後重篤な状態に陥っていないことを祈っています。

ショックだったのは、テラスのお客さんはフランス人が多かったと思いますが、その人たちは何にも言わず何にもしなかったことです。その暴力に対して非難もせず、ただ見逃しているということは、このようなことが日常的に行われていることなのでしょうか。

華やかなパリの日向と日陰を見たようで、楽しい旅の途中にもちらちらとその老人の顔が浮かんでとても辛い気持ちになりました。フランスの複雑な移民問題を垣間見た思いでした。楽しかった旅の思い出とともにこの記憶はずっと残ると思います。

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今度は楽しいエピソードを。Cimg7849_2

パリの地下鉄をつなぐ地下道は、地上の道路みたいなもので迷路のようです。でもここに楽しみがあります。そこにはバイオリン、ギター、アコーディオンと楽器を一生懸命に奏でる人たちがいることです。そして必ず前にはお金を投げ入れる箱が置いてあります。たまには地下鉄の電車の中で乗客は演奏者と一緒に盛り上がることもあり、にぎやかな「地下鉄のメロディ」になります。

地下道で、30代半ばの女性が素晴らしいバイオリンを弾いていました。全身で表現している姿を見てプロだと感じました。パリの人は慣れているのでさっさと通り過ぎてしまいます。もったいないのでゆっくり歩いて通り過ぎましたが、こんな素晴らしい音楽をタダで・・・と思うと申し訳なくなって急いで引き返して10€を置くと、にっこり微笑んで急いでポケットにしまい、何度もうなずきながら弾いてくれたのがエルガーの「愛の挨拶」でした。後ろ髪を引かれる思いでを振り返ると又にっこり微笑んでくれました。音楽を通してちょっと心が触れ合った瞬間です。地下道の通路が共鳴箱の役割を果たし、ずーっと聞こえていました。素晴らしい音をありがとう!

やっぱりパリは、地上も地下も芸術で満ち溢れています。 

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ゆったりパリ旅⑧

2011年11月13日 | ’11 パリ個人旅行

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いよいよ最後の晩餐ならぬ最後の朝食。バイキングスタイルの朝食がおいしくて毎朝が楽しみでした。時間に追われない事はなんと幸せなんでしょう。朝食を楽しむことは一日のいいスタートです。

ユーロ圏のお客さんは、私たちみたいにいろんなものをバランスよくというより、いろんな種類のパンを沢山と、たっぷりのジャムやはちみつ、コーヒーとヨーグルトとフルーツなどの組み合わせが多い様でした。

ドゴール空港までのドライバーさんが迎えに来てくれ、いよいよ「さよなら、パリ!」です。

搭乗までにショップ探索をすると、アンジェリーナのショップがありお土産を買いこみました。身軽に帰ろうと思ってもいつの間にか荷物は膨らんでしまします。

あっ、「向こうに見えるフランスの新聞に安住さんの顔写真が出てる、円が動いたのかも・・・。」日本のかすかなニュースは携帯に流れるテロップだけでしたから。

ドゴール空港で、スキポール→関空の搭乗手続きをするときにシートが別々になってしまいました。スキポール空港でチェックインをした後でKLMのカウンターでシート変更を頼むと、団体旅行の添乗員さんを呼び出して変更を頼んだり、チェックインする人に聞いたりと気の毒になるくらいに時間をかけて調べてくれ、やっと2席並びでしかも一席が通路側とちょっとわがままなシートに変更してくれました。こちらの感謝を伝えに行くと、向こうも破顔で「よかったね!」みたいな返事をしてくれ、双方の気持ちが通じた気持ちのいい瞬間でした。

来るときのKLMの乗務員は、自分の両親はモロッコ出身だけど自分はオランダ生まれだとかアムステルダムの美術館の宣伝など話してくれて気さくな女性でした。食事がすんだあとの器をきれいに整理して返すと目をまん丸くして「オー、ワンダフル!」と喜んでくれたり11時間も同じ空間で過ごすとなるととても安心します。

他の日本人の女性乗務員との会話。「パリまでの直行便は取れなかったのですか?7泊もするなら買い物三昧ですね。」「いえ、買い物はしません。」「じゃぁ7泊も何をするんですか?」「美術館巡りをしようと思っています。」「パリは寒くて雨ばっかりですよ。」何だか否定的な会話ばかりでちょっと残念。直行便は高かったのです!パリでは晴れてコートを脱ぐぐらいでした!もう少し愛社精神があってもいいかと思いますよ。

パリで、ホテルの近くのレストランに行くと、隣の席に親孝行旅行らしき3人組がいました。ウェイトレスがスペイン語で注文をとっていたからスペイン人とわかりました。ウェイトレスに夫がほんの少しスペイン語で話しかけると珍しかったのかすぐ隣の席に行って「スペイン語を話す中国人がいる」と言っていたとか。二人で苦笑しました。フランス人にとってアジアには中国というイメージしかないのかなと悲しくなります。

別にテラスで昼食をとった時にまたもやメニューに悩みました。エスカルゴが中に入っているといことは理解できたので注文すると、なんと出てきたのは海鮮焼売が蒸し器に入って出てきたのです。ソースはさすがフランスの味でしたが、ショック!ウェイターさんがこれはジャポネーズというから、ノン チャイニーズだと訂正するとビックリしていました。ついでに日本語で「こんにちは」「おはよう」「今晩は」の言い方を聞いてきました。ここは日本びいきだったようです。

空港の保安検査では、女性のヒールのある靴は脱がされて裸足で金属探知機をくぐり抜けると、体をまんべんなく障りながらチェック。若い女性の人はいやだろうなー。手荷物のⅩ線検査の後は、バッグの中のポーチ、財布、薬と何でも開けて調べるしとても厳重でした。最近良からぬ女性客でもいたのでしょうか。ペンケースのペンの間まで調べるということは何か小さなもの・・・?貴金属強盗団の一味調べとか? 映画みたいなストーリが浮かんできます。男性はそれほど厳しくなかったようです。

帰りの機内食もホテルオオクラ監修。帰りのメニューにはなぜかカレーライスが入っていることが多いようです。今やカレーは日本食?

記憶に残るほどおいしかったのは、おやつの濃厚なアイスクリームでした。こんなにおいしいのは地上を含めて初めて。そういえばずいぶん前、日本発のブリティッシュ・エアウェイズの機内で出た「御岳」の水のおいしさは今でも語りぐさです。あれ以来探していますが見つかりません。閉じ込められた空間だから特においしく感じるというわけではありません。本当においしかったのです。

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帰りの飛行機も日本人が多く、来る時のはつらつとした表情とは違いみんな無表情・・・。疲れと引かれた後ろ髪の痛みがミックスしているのでしょうか。明朝10時ごろ関空に着き、非日常から現実に引き戻されます。そのための覚悟の表情???かも。

スリもかわしたし、かくして私たちにはほぼ満足のいく旅を終えることができました。

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ゆったりパリ旅⑦

2011年11月12日 | ’11 パリ個人旅行

今日は見学の最終日。まだ行ったことがないモンマルトルとポンピドーセンター内の国立近代美術館とノートルダム寺院です。

★モンマルトル美術散策

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モンマルトルの芸術の丘に画家たちの青春の面影を探りました。丘に向かう石畳の急な階段、入り組んだ路地、活気のある商店街など心をひきつける光景が広がっています。しかし徒歩よりも、観光ポイントを見ながら走るというプチトランの方を選びました。途中下車、乗車も可能という便利さが嬉しいし、まるでおとぎの国の乗り物の様にかわいいのです。

ロートッレックは夜ごとムーラン・ルージュを訪れ踊り子を描きました。ユトリロは白亜のサクレクール寺院を詩情豊かに描きました。テルトル広場では多くの画家たちが絵を売ったり似顔絵を描いています。道路に手に生の真っ赤なバラを持った美しい彫像が置いてあり、さすがパリだと思ったらなんとそれは人間!観光客と一緒に写真を撮る時に動いたのでわかりました。パリの人間彫像はやっぱりおしゃれ!

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我が家の居間に、中村健一郎氏がパリ在住中に描いたラパン・アジルの絵があります。その場所を今回どうしても確かめたい思いがありました。ラパン・アジルはモンマルトルの貧しい画家たちのたまり場だったそうで、ユトリロもここを描いています。プチトランに乗りその説明を聞きながら、ほんのわずかの間でしたがもうそれだけで満足でした。

★早朝に携帯の着信音。娘からのメールです。サン・ラザール駅Cimg8028
近くのビル「PASSAGE DU HAVRE」の中に子供服専門店「SeRGeNT MaJoR」があり、セールをやっているから買ってきて・・・という宿題が発生しました。

ネットで一生懸命に調べたのだと思うと、ぎりぎりのスケジュールの中に「買い物」を入れざるを得ません。効率よく動かないと今日の見学も「未遂」に終わるかもしれない・・・。

でも、前もってHAVRE通りを確認していたおかげですんなりと行けました。いずこも同じで、パリのおばあさんも孫の服を買いに来ていました。

昼食は大通りのブラッセリーで。仏語のメニューがわかりにくく、仕方なく単語のわかるオムレツを注文すると、今までのイメージと全く違ってそのおいしさは格別でとても感激しました。注文してから作るので、店の中にはおいしそうなバターの焦げるにおいが充満しています。中にはきのこ、チーズ、ハムが入り、外側はちょっと焦げ目がつき中はふーわふわ!本当に幸せな味でした。

何も今まで注文に思い悩む必要はなかったのです。メニューにomelettesの名はあったのですが、私の中ではおいしくないメニューになっていたのです。今更ながら「しまった!」です。もう食べるチャンスはほとんどありません。でもパリのオムレツが最後に食べられてよかった!

★シテ島

メトロCHATELETで降り、長い長い地下道を通って階段を上ると、そこは雪国ならぬセーヌ河。ぱっと開けた視界には、広い静かな流れと紅葉しかけた並木があります。橋を渡るとマリー・アントワネットが幽閉されていたコンシェルジュリーがあります。向こうにはパリで最も古い橋ポン・ヌフも見えます。前回はポン・ヌフで画学生に絵を買わされました。

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ノートルダム寺院には、夫も私も中に入ったことがなかったので今回は入場。ここでも並ぶ、並ぶ、並ぶ。セーヌを走る観光船も難民船みたいに鈴なりで、パリは世界の観光スポットなんですね。

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150年余もかけて1320年に完成したノートルダム寺院は、フランス中世文化の結晶と言われています。ステンドグラスが見事なバラ窓です。

★パリ市庁舎

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シテ島から橋を渡るとパリ市庁舎があります。火事で焼失した後1871年に再建されたルネッサンス様式の重厚な建物です。重厚でも、冬には前の広場がスケート場になるという庶民に人気の市庁舎のようです。

ちょうどその前にあったカフェでパリジェンヌを眺めながらティータイム。リンゴのタルトとカプチーノを注文すると、タルトの上にアイスクリームも!最初は歓声をあげたものの全部食べるのはかなり難しい・・・。思うに料理の盛り付けは日本の方が繊細です。

リンゴと言えばフランスは青リンゴがほとんどで、飛行機の中も青リンゴのジュース、ヨーグルトも青リンゴ味、朝食のフルーツも青リンゴ。酸味の強い青リンゴは私には嬉しい味です。

★ポンピドーセンター(国立近代美術館)

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伝統的な建物の通りを歩いて行くと、いきなり奇抜な建物が威容を放っています。そこがポンピドーセンター。写真は夕方とライトアップされた夜のポンピドー。建物の外に設けられた透明チューブ状のエスカレーターを上っていくと5,6,7階が展示スペースです。

5階は1960年以降現在まで。日常社会を取り込んだポップアートで消費文化のにおいがします。ここは少し苦手です。

6階は20世紀初頭~1960年の作品で、マチス中心のフォービズム、ピカソ中心のキュビズム、カンディンスキーの抽象派の絵がどっさり。帰ってから考えると、ぜひ見たかったマチスの「ルーマニアのブラウス」を見逃していたことに気づきました。マチスの部屋にはなかったような・・・。でもあまり部屋が多くて見逃したのかもしれないと思うととても残念で、残念で。

Cimg8115Img_4438ポンピドーセンターは配管までも外にむき出しにして色を付けアートにしてしまっています。最初は度肝をぬかれますが、見ているとだんだん楽しくなってきます。

内装のイメージは赤。発券機も赤、ショップの壁も赤、こんな消火設備ですら赤でお洒落をしています。鐘に見えるのはバケツを逆さにしてつるしてあるからです。イタリア人レンゾ・ピアノのデザインとか、どうりで奇抜だと思いました。伝統の街並みに建てるには勇気がいったことでしょう。

閉館の21時まで頑張りました。これでスケジュールは終わりです。もう一泊あればと思うものの、そういったらキリがありません。とにかく満足度の高い旅のスケジュールでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

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ゆったりパリ旅⑥

2011年11月12日 | ’11 パリ個人旅行

今日は街歩きをしながらパリ市近代美術館、アンバリッド内の軍事博物館、ケ・ブランリー美術館のレストランで食事、プチ・パレを徒歩で回ります。

★パリ市近代美術館

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パリ市美はエッフェル塔が見えるセーヌ河に面して建てられています。パリ市街から少し離れているせいか入館者は少なく、古典的な外観の割には掃除が行き届いていなくてパリ市の財政も大変なんだな…と思ってしまいました。一つの作品にスペースがたっぷりとられているのでゆっくり鑑賞できます。私の好きなマチス、デュフィー、ヴァン・ドンゲン、モディリアニ、フジタの『寝室のキキ』など20世紀の作品が並びます。部屋いっぱいのマチスの『ダンス』、デュフィーの『電気の精』は10m×60mの大作。軽快なタッチと色彩が天井から床まであり圧巻です。

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★エッフェル塔を望みながらセーヌ河を渡るとケ・ブランリー美術館があります。5年前にオープンしたこの美術館は、アフリカ、アジア、オセアニアの彫刻や装飾品があり、その原始美術に人気があるようで入場者は多かったです。パスを見せて入場したもののあまり興味はわかずガイドブックおすすめのレストランに直行しましたが、予約制ということで断られてしまいました。

街の歩道にテーブルを置いたレストランで食事したあと、街歩きを楽しみながら次のアンバリッドへ向かいました。

★アンバリッドはルイ14世が負傷兵など退役軍人のために建てたものですが、今では軍事の行政機関になり、一角に「軍事博物館」があります。

Photo_3その中に若きアングルが絶頂期の皇帝ナポレオンを描いた1枚Cimg7946があります。武器には興味はないけど、その『皇帝の座につくナポレオン』を見るためにやってきました。

頭に金色に輝く月桂冠、真紅の豪奢な衣装には白テンの毛皮が胸元を覆っています。右が胸元の首飾りです。

金色の王笏と正義の手の杖。ローマ皇帝の象徴の鷲をデザインした絨毯に足を置いて権力を誇示しています。真正面から描いた英雄の肖像に、ナポレオンも大満足だったことでしょう。

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アレクサンドル3世橋を渡って次のプティ・パレに向かう途中に花嫁さんを見ました。結婚式は国を問わずいいものです。

★プチ・パレ(パリ市立美術館)

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建物は1900年の万博会場。テレビの美術館紹介で見ていたのでここもスケジュールに入れておきました。モネの「ラヴァクールの日没』。小品ですがアングルの『レオナルド・ダ・ヴィンチの死』を見たかったのです。福岡市美に来た『サラ・ベルナールの肖像』が何か言いたげな表情でこちらを見ていました。回廊のある中庭も見事で穴場の美術館という感じです。閉館18時までねばりました。

★シャゼリゼ大通り

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プティ・パレからシャンゼリゼ大通りを通ってコンコルド広場まで歩きました。道幅は70mでその半分が歩道です。まずは人間を優先して設計されたのを感じました。左を見れば遠くに凱旋門、右を見ればオベリスクが屹立しています。その間の距離が1880mでまさにパリの象徴です。歩いているとあっという間に暗くなり、昨夜の真夜中に冬時間への変更があったばかりでした。

今日の街歩きが5キロ。食事で腰を下ろした以外は全部立ち姿勢ということです。ずいぶん歩きましたが、両サイドの飽くなき街並みを見ながら歩いていたせいかあまり疲れませんでした。パックツアーでは味わえない街歩き。とても満足です。

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ゆったりパリ旅⑤

2011年11月11日 | ’11 パリ個人旅行

昨夜遅くホテルに帰り着いたときに、フロントでオルセーのストが解決したことを知りました。毎朝フロントに聞いていたので、フロントの人も嬉しそうに教えてくれました。ということで今日はオルセー美術館を一日中見学して、夜はオペラ座でバレエ鑑賞です。

★オルセー美術館

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地上階(1F)・・・印象派が登場する前の1850年から70年代にかけての作品で、私の大好きな部分です。ミレー『落穂ひろい』の農婦の服の色が心にしみます。マネ『笛を吹く少年』のズボンの赤に引き込まれそうです。モネの夫人のドレスの白が目にしみます。アングル、モロー、ドラクロワ、クールベ、・・・。あれもこれもと贅沢な時間でした。写真は禁止。日本語のイヤホンガイドが借りられるし1Fだけで2時間半かかりました。

Cimg7829中階(2F)で昼食。「レストラン・ミュゼ・オルセー」は宮殿のような豪華な内装でおすすめにも入っていましたが、あまり感動する味ではありませんでした。もっとおいしいと聞いていたけど・・・。このあとスラー、シニャックの点描画のコーナーへ。離れてみればマジックみたいに輝きがまして立体的にくっきりと見えるのに感動。点、点、点の根気のいる作業を思うと気が遠くなりそうです。

この後上階(3F)へ。いよいよオルセーが誇る印象派のコーナーです。オルセーのエッセンスと言われるほどの作品が集中していて、マネ、モネ、ドガ、カイユボット、ルノワール、セザンヌ、ゴッホ、ゴーギャン、ルソー・・・。まるで宝の中にいるみたいです。印象派の絵は天井まで届くような大作がないので、目の高さで見られるところが親しみが持てるところかもしれません。それに日本でも「オルセー美術館展」は何度も開催されたり、教科書にも必ず載ったりと身近にあるせいもあります。12,3年前に娘と訪れた時に、モネの絵のあたりで偶然にも一人旅をしていた娘の友人に会ったことを懐かしく思い出しました。

Cimg7843立ちっぱなしでゆるゆると見て回ると足の痛みが出るし、疲れはだんだん増していきます。

ここで又ティータイム。オルセーのシンボルの時計の裏が見えるカフェは斬新なデザインのインテリアですが、違和感がありちょっと気になりました。

閉館の18時まで粘って、それでも後で思うと見損なったところがたくさん出てきましたが、明日は別の予定が入っているのでもう後はありません。

★オペラ座(オペラ・ガルニエ)Cimg7791_4

夕日が当たって燦然と輝いていましたが、写真では近すぎて青銅色のドームが見えないのが残念です。ナポレオン3世の建設命令から75年かかって完成。設計者は若きシャルル・ガルニエで、きらびやか、華やか、豪華、堂々、繊細、贅沢・・・と形容詞がずらりと並ぶまさに芸術の殿堂です。シャガールの「夢の花束」は軽快で天井画にぴったりです。まるで夢心地。

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2回の正面桟敷席。後悔しないようにカテゴリー1のチケットを奮発したのでよく見えました。演目は「La Source (ラ・ソース)」。ストーリーがわからないまま入場しましたが、私と夫の解釈が大体似ていたのは、バレエが手と足と体の動きだけで言葉と感情が表現できるものだからでしょう。

古い作品を新しくオペラ座レパートリーとしたものだそうです。とにかくパリッ子はバレエ好きとのこと。カーテンコールではエトワールでなくてもことさら大きな拍手が湧くと彼の人気ぶりわかります。

この時のために一応服装だけは用意をしていきましたが、ドレスコードはないということなので美術館から直行しました。実際映画で見るようなフォーマルな服装の人はあまりいませんでした。日本ばかりでなくどこの国でも常識やマナーを守ればあまりうるさく言わない・・・と世相も変わって来ているようですね。

★地下鉄

Cimg7895紫の椅子がかわいい地下鉄「Opera」のホーム。帰りは、ここで地下鉄3番線「Pont de Levallois Becon   」行きに乗り、3つ目の駅「Europe」で下車するとすぐホテルです。今回のホテルはどこへ行くにもアクセスが非常にいいので大変助かりました。

地下鉄の乗り方もコツがわかるとスムーズに行くようになります。

路線図を見て①乗る駅と降りる駅を決めます。

Cimg7828_2②乗る駅から降りる駅までを、路線の交差しているところであみだくじみたいに路線をつなぎながら複数の路線番号を確定します。

③路線ごとに自分の行く方向の最終駅名のある電車に乗ります。写真の上が路線番号、下が向かう方向の最終駅名です。

④乗り換え地点で降り、また次に乗る路線番号の最終駅名行きの電車に乗り、目的地に着くまでそれを繰り返します。

気を付けることは、乗り換えの路線に移るときに、枝分かれした迷路のような地下道を目的の路線を選びながら正しく進むことです。

大きな駅で路線が多数交差しているときは、地下道は場合によっては一駅分ぐらい歩きます。「correspondance(乗り換え)」の表示がいくつも出ているので、正しく選んで進めば目的のホームに出ます。

地上に出るときは「Sortie(出口)」の表示通りに行きます。どの出口に出るかをきちんと選ばないととんでもなく遠回りになります。

最初戸惑った地下鉄も慣れてくると、スイスイ行けるのがむしろ楽しみになるくらいです。何よりも料金が安いこと。二人で34枚のメトロの切符を使いましたが5000円ぐらいです。日本と違ってフランスの豊富な電力事情がうかがえます。

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ゆったりパリ旅④

2011年11月09日 | ’11 パリ個人旅行

今日の予定は郊外に出てジベルニーのモネの家と庭園を見ること、夕方から夜10時までを2度目のルーブル美術館に行くことです。

Cimg7769Cimg7766サン・ラザール駅から国鉄SNCFの特急ルーアン行に乗り約45分、ヴェルノンで下車。乗車して20分もすればパリとは全く違う風景に出合います。ヴェルノン駅では特急とバスが連絡していますが、急いでバス停に行かないと積み残される恐れがあります。途中セーヌ河を渡り15分でジベルニーの村に着きます。特急は往復で13.2€。とにかく交通機関が安いのはありがたいです


★ジベルニーのモネの家と庭

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1883年モネはジベルニーに移り住みました。薄紅色と緑色の鎧戸の瀟洒な家が温かく迎えてくれました。今まで見たこともない浮世絵がたくさん飾られていました。家具、小物、食器、キッチン、ピカピカに磨いて並べられた鍋を見ていると、妻カミーユの死の後二度目の妻となったアリスや8人の子供と暮らした幸福な生活がしのばれました。モネは絵と庭づくりに時間を費やし10年かけて庭を完成させたそうです。家の前の花の庭と、道路の下の地下道をくぐった先に睡蓮の池があります。広大な庭のあちこちに日本の面影を発見しました。

モネの家と睡蓮の池の公開は11月1日まで。ぎりぎりで間に合ってラッキーでした。でも4月に訪れた人のブログを見ると、花、花、花で全く違う印象でそれにも心惹かれます。毎年11月から3月までが閉鎖というところを見ると、オーナーもやはり素晴らしい花と美しい緑の庭園を見せたいのでしょうね。ヨーロッパには夏時間と冬時間があり、明日の夜中に1時間遅れで時計の修正です。

Cimg7750ジベルニーの昼食はこんなガーデンがぴったりです。オニオンスープとバゲットにハムやチーズを挟んだだけのサンドウィッチですが、パンが特においしいので私も思わずはなまる!

長さが30センチぐらいもあるので1本だけ注文すると、半分に切ろうかと言いながらすっぱりと切ってくれました。食べ物ではこんな具合にボディランゲージが素直に通じます。

トイレを借りようと思ったらデジタルロックがしてあり、聞くとレシートの下にナンバーが書いてあるのでナンバーキーを押せばオープンということ。ジベルニーはトイレ事情がよくないと聞いていましたが、こういうスタイルのトイレがあると安心です。

★ルーブル美術館

Cimg7801今日はルーブルを代表する名画がずらーりのドノン翼2階です。

まずは階段を上るときに目につく『サモトラケのニケ』。これは圧巻です。頭部は失われているけどこれほど美しい女神はいない、ミロのヴィーナスもかなわないとは私の勝手な解釈ですが、一番のお気に入りです。

ラファエロ、ボッティチェリ、ダ・ヴィンチ、『カナの婚礼』のヴェロネーゼなどのイタリア絵画。ドラクロワ『民衆を導く自由の女神、』、ドラクロワ『メデューズ号の筏』、ダヴィッド『ナポレオンの戴冠式』などの大作があります。『ナポレオン・・・』はヴェルサイユにも同じタイトルのものがありましたが、それは習作でルーブルが本物だそうです。どうしても探し出せなかったのがダ・ヴィンチの『聖アンナと聖母子』です。

見ても見ても次から次へと作品が何気なく飾ってあるところがさすが。それがルーブルなんですね。フラッシュなしでのカメラはOKでしたが、撮る暇もないくらいに見ることに忙しかったので、ほんの数枚しか撮っていませんでした。

閉館は10時。数えきれないくらいの部屋なのに、一人も居残らないように閉館することは大変だろうと思います。クロークに預けたコートを取りに行くと、時間外で別のところに移されていました。まだ見ていないシュリー翼には16世紀、17世紀のフランス絵画がありますが、今回もまたお預けになりそうです。やはり3日間は必要かな・・・。

★チケット購入

Cimg7792前回は車窓から見るだけだったオペラ・ガルニエに一度は入ってみたいとチケットをとる事にしています。公演日からしてチャンスは明日のみです。ジベルニーからパリまで戻るとすぐにオペラ座へ直行。

チケット販売はオペラ座の中にあり、入っただけでもうその豪華さに圧倒されました。まるで宮殿の様です。あのオペラ座の怪人が本当にいるような・・・、クリスティーヌの歌声がきこえてくるような・・・。

ここも行列で、一人ひとりが座席表を見ながら検討するので時間が長くかかりずいぶん待ちましたが、甲斐あってバレエのチケットが手に入りました。

閉館後遅い夕食をとって、ホテルに帰り着いたときはもう11時でした。今日もたっぷりまる一日の行動でした。二人ともまだまだ足は大丈夫です。






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ゆったりパリ旅③

2011年11月08日 | ’11 パリ個人旅行

今日はヴェルサイユへ。宮殿を見てさらに裏手の広大な庭とトリアノンへ行くのが目的でまる一日を予定しています。

★サン・ラザール駅からヴェルサイユへ

Cimg7705Photoモネの連作で有名なサン・ラザール駅から国鉄SNCFで終点ヴェルサイユ・リブ・ドロワまで直行で行けます。いくつかのアクセス方法がありますが、ホテルに近いし乗り換えがないのでこれにしました。往復8?、所要時間40分。

サン・ラザール駅はホームが24あり、それに改修工事中です。この駅で注意することは、運行が確定してからホームの番線が決まるので、常に上部の電子掲示板に気を付けておく必要があります。

リブ・ドロワでタクシーを頼みましたが、運転手さんが「左へ2ブロック行き、右へ・・・」と徒歩の方を勧めてくれました。徒歩で15分。前回はバスだったので街並の記憶はほとんどありませんが、徒歩だと街の様子や雰囲気がわかりやはり旅を実感します。歩いてよかった!

★ヴェルサイユ宮殿

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1682年ルイ14世が建てた宮殿で、フランス王国の絶頂期の100年間はここが政治の中心でした。部屋数700。入場の門扉から始まってキンキラキンの装飾が過多ですが、秀吉のキンキラキンとは全く違うところがセンスの違いでしょうか。宮殿内には教会もありオペラ座もありで、宮殿自体がさながら一つの街です。

★庭園

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敷地は東京ディズニーの16倍で800ヘクタールだとか。その中に1.6Kmの大運河や森やトリアノンなどがあります。貸自転車を検討しましたが広大すぎて、待ち時間は40分もあったけど子供が喜びそうなかわいいプチトランを利用しました。いくつかのポイントで自由に乗り降りできて6.7?。

★グラン・トリアノン

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グラン・トリアノンはヴェルサイユの領地内でもっとも洗練された建造物だと言われているそうです。確かにヴェルサイユ宮殿と違って穏やかでくつろいだ雰囲気があります。ルイ14世、ナポレオンも滞在し、ド・ゴール将軍は改築して共和国の迎賓館としたそうです。

★プティ・トリアノン

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プティ・トリアノンは、ルイ15世がポンパドゥール夫人の為に建てた小さな離宮で、それを譲り受けたマリー・アントワネットはここを大変気に入り、特定のお気に入りの人たちしか出入りを許さなかったそうです。ここに接した狩猟場に農村風の建物を建て、家畜を飼い、野菜を植え、その生活を楽しんだとか。あの贅沢三昧のアントワネットが・・・と思うとちょっと親近感がわきますが、その「村」の制作費用も莫大だったとか。

最初に訪れた時は、ヴェルサイユ宮殿の後ろにこのような広大な敷地があることを全く知りませんでした。テレビのハイビジョンでみた人工的な美しい自然がとても気になって一度訪れたいと強く思っていました。そのために一日間を見学にあてましたが、まだまだ納得いくまで見れたわけではありません。でも、叶わないと思っていた夢がこうして見られたことに満足しています。

★アンジェリーナのケーキ

Cimg7612行列ができるというパリ・アンジェリーナ(Angelina)のモンブランをヴェルサイユ宮殿のカフェでゲット!ただ場所が宮殿の一角のスタンドでスプーンはプラスチックだしティーも紙コップだし、ちょっと味気ないけどアンジェリーナだからこれでよし!ウィーンのモンブランとどちらがおいしいかわくわくしてスプーンを入れると、栗の下には濃厚なマロンクリーム、底の台はさっくりしたメレンゲで、しっとりしたスポンジ台がありません。??? 栗の味が薄くてクリーム部分が甘すぎて全部は食べきれませんでした。6.9€でちょっと高め。軍配はだんぜんウィーンに!栗の季節だしあれほど期待したのに、夫のタルト・シトロンの方がおいしそうでした。

★オニオングラタンスープ

Cimg7702前菜に出てきたオニオングラタンスープはまさにパリの味です。ブラッセリーだったせいかちょっとコクが足りない感じがしました。

家で作るときは玉ねぎを40分間炒めます。自己流料理人の減らず口ですが、これはそれほど炒めていないような・・・。ケーキもですが、その土地の味の好みがあるんですね~。器も壺の形をしたものが多いようです。これがパリなんですね~。

それでもオニオングラタンスープなら毎日でも飽きません。いろんなお店で食べくらべてみます。

宿に帰り着いたのは9時過ぎでした。12時間も歩き回り、パリの郊外ヴェルサイユをたっぷり楽しみ気分は爽快です。

★ミュージアム・パス

Cimg8158ミュージアムパスは連続4日間有効が50?、2日間有効が35€で、空港やインフォメーションセンターや美術館で購入できます。昨日のオランジュリー、ルーブルもこれで入場しました。

通常料金はベルサイユ宮殿入場料15€、トリアノン入場料10€ですが、ここもミュージアムパスがOKでした。なかなか使い勝手のいいパスです。
















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ゆったりパリ旅②

2011年11月06日 | ’11 パリ個人旅行

Cimg7458_2前日は夜の到着だったので街の様子はわかりませんでしたが、窓を開けるとさわやかな朝の街が待っていました。石造りの街はやはり重厚です。写真に見える貸自転車を使ってみたいと事前に調べましたが、交通ルールの違いで使用しない方が無難なようでした。

今日の目的は、オルセー美術館→マルモッタン美術館→オランジュリー美術館です。地下鉄のホームで地図を見ながら路線番号を確認していたとき、女の人が声をかけてくれオルセーへの路線を教えてくれました。ところがそのあと階段を下りていたその女の人がまた舞い戻ってきて、親切にもオルセーは今ストライキ中だと貴重な情報をくれました。すでに20日から始まっていて更に6日間の延長です。美術館は2年余りかけて改修し、最近やっと新装なったオルセーがまさかストだとは・・・。私は以前に一度見ていましたが、夫は一部しか見ていなくて3度目もダメかと半ばあきらめかけました。しょっぱなから予定変更で少し混乱しました。

Cimg8156_2★パリのメトロ

地下鉄は改札してから目的地まで1枚の切符で行けるので何度乗り換えても構いません。料金も10枚セットのカルトを購入すれば1枚1.3?と安くなりとても重宝します。
14路線が複雑に交差しながら走っているので、地下道を通って路線を乗り換えながら目的地へ行きます。

毎朝、使う路線の番号と最終駅名を調べてメモするのが夫の役割。コツをのみこめば実に快適に使いこなせますが、今回のように予定の変更があれば路上で地下鉄路線地図を開いて調べ直したり面倒になります。

Cimg7470_2★ マルモッタン美術館

前回も訪れたパリ16区にある小さな美術館です。分冊百科・世界の美術館50の中に選ばれており、『印象派』を生み出したモネの『印象・日の出』が展示された美術館です。1時間もあればゆっくり鑑賞できます。

16区は高級住宅街でしっとりとした落ち着きがあり、見終われば街歩きが楽しめます。

途中ビストロに立ち寄り昼食をとりました。きちんとしたレストランになるとメニューに英語表示があります。これぞフランス料理とうれしくなるようなメニューでした。

Cimg7482★オランジュリー美術館

楕円形の広間の壁一面に大型のモネの睡蓮4枚が展示してあり、真ん中にある椅子に座って見ればさながら池の中にいるようです。2室もあります。

ほかにも印象派の絵がずらり。現代絵画は難解ですが、印象派の絵はわかり易くて世界の人々が好きなようです。

日本ばかりでなくパリの美術館もかなりの行列ができます。以前来た時に娘がミュージアムパスを購入して難なく入館できたのを覚えていたので、今回も同じようにパスを使用。並んでいる人をしり目にすんなりと入館しました。

もちろんどの美術館もセキュリティーチェックが厳しく、鞄の中がチェックされセンサー付きのゲートをくぐります。

Cimg7531★ルーブル美術館

ここは到底一日では見れるものではなく2日間を予定していました。水曜、金曜は夜10時まで開いているので、それを利用して効率よくスケジュールを組みました。

一日の入場者が4万人といわれるルーブル、やはり中央入口は長蛇の列。地下鉄からの接続口からミュージアムパスを使えば難なく入れます。クロークにコートを預け日本語版の案内図をもらいました。

今日は主にリシュリュー翼3階へ。フェルメール、デューラー、レンブラント、ブリューゲル、クラナハなど北方絵画がずらーり。中でも「ルーベンスのホール」の『マリー・ド・メディシスの生涯』24枚の連作は圧巻。フランス王妃の権力のほどがしのばれます。見ても見ても終わらない絵画。でも閉館時間だけは迫ってきます。足もかなり疲れてきました。

Cimg7897★少女スリ3人組

パリの地下鉄は各駅のデザインがそれぞれ趣向を凝らしておりとてもおしゃれです。しかしこの駅での乗り換えの時のことです。混んでいた地下鉄にやっと乗り込んだ時に体がバランスを失い、女の子が体を支えてくれニッコリ微笑みかけてくれました。それがとてもかわいいのです。その笑顔に途端に気をゆるして「メルシーボークー」。旅行の時はいつもバッグをしっかり握るのが習慣になっており、その時もバッグのファスナーをしっかりつかんでいました。ところがいやに体が揺れて(今から思えば3人グループがわざと押していたと思われます)、親切そうにこのポールを握ったらとしつこく言い、右手をバッグから放させようとします。その時不審に思い始め、左手でバッグをつかみ直して右手でポールを握り、それでもバッグからは絶対に手を離しませんでした。見れば私のバッグの上に少女の大きいバッグが覆いかぶさるような形で乗っかっています。この時これがスリなのだ・・・と確信しました。

次の駅で少女たちは諦めたのか下車していきました。空いた席に座り自分のバッグを見るとファスナーが10センチほど開いています。しっかりバッグを掴んでいたおかげで手がストッパーになりそれ以上開かなかったのです。10センチでは財布も抜き取れなかったのでしょう。「日本のオバサン」はパリのギャルのスリグループに負けませんでした。これでパリの街に少し自信が持てました。初日にスリにあっていたらきっと旅行は台無しになったと思います。

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ゆったりパリ旅①

2011年11月04日 | ’11 パリ個人旅行

もう一度行きたいと思っていたパリ。入院中の母も小康状態を保っているので、思い切ってパリ旅行を実行することにしました。個人旅行でゆったりと街歩きをしたくてサンラザール駅の近くのホテルに7連泊。ゆっくり美術館巡りをする、ヴェルサイユ宮殿の裏手にあるトリアノンに行く、ジベルニーのモネの庭を楽しむ、オペラ座でオペラかバレエを鑑賞する・・・、それが今回の主な目的です。この次のパリはもうないな・・・と思い、できるだけ満足する旅にしたいと思いました。

KLMで10:30に関西空港を飛び立つと間もなく食事が出ました。福岡を朝早く発ったので空き腹には食事もワインもおいしく気分はハイに。今までの中では味付けがよく断然おいしかった気がします。

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夫が選んだのはホテルオオクラ監修の和風メニュー。あーぁ私もこっちがよかった・・・。

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成田発と関空発では、上空から見る地上の様子が少し違うようです。

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左手の川の流れをみると日本では考えられない地形です。地球の歴史を目の当たりに見る思いです。

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10時間45分の空の旅を終えオランダのスキポール空港に到着。それからパリまでまた1時間半の空の旅でドゴール空港に着いたのは18時過ぎ。薄暮の中の見知らぬ街のホテル探しには不安があったので、旅行社を通して空港からホテルまでのドライバーを頼んでおきました。入国審査を済んで出口に来ると、当方の名字を書いたプラカードを掲げてドライバーさんがちゃんと待っていてくれました。

ドライバー氏がマーケットの広い駐車場を何回もグルグル回り出し少し不安な気になりましたが、それは高速のラッシュをやり過ごしているとのこと。なかなかラッシュが解消せずにとうとう下道を選んで13世紀の教会のある村を通ってくれ、これはラッキーでした。パリ郊外の温かみのある村は一目でとても気に入りました。それにドライバー氏は日本食、特に豆腐とすしが大好きで日常的に食べているとのこと。これで親近感がわきドライバー氏の株は急上昇。すでにチップ込の料金を旅行社に払っていましたが、ついついまたチップをあげてしまいました。

英語ドライバーでしたが、「スキポール」といったのがなかなか通じません。なんとフランス語発音の「シーポル」、KLMが「ケイエルエム」でなく「カールム」でした。

ホテルはオペラ地区へのアクセスがいいサンラザール駅の近く。部屋は清潔なツインでバスもトイレもきれいでしたが、スーツケース2個がやっと広げられるくらいの狭さ。それは口コミで承知済み。持ち物をロッカーに収めてしまえば実に快適になりました。何よりも鉄道とメトロの使い勝手のよさに重点を置いたので、一応はなまるです。

長旅の疲れでお風呂に入る気力もなくなり、早朝に風呂に入ろうというわけでバタンキュー。長い一日の終わりでした。

 

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