新・遊歩道

日常の中で気づいたこと、感じたこと、心を打ったこと、旅の記録などを写真入りで書く日記です。

TALIKAのハンドモイスチャーグローブ

2017年12月28日 | 健康・病気

息子にロクシタンのハンドクリームを頼んでいたら、一緒にこれをもらいました。
TALIKAハンドモイスチャーグローブ」です。

  
単なるゴム手袋と思っていたら、娘に「国際線で機内販売されているハンドケア用よ」と教えてもらってびっくり!機内販売の本には一応目を通しますが、もともと買う気はないので目にも止めていませんでした。
冬場は温水とゴム手袋、夏場もゴム手袋を使用しているにも関わらず、右親指の角にできる痛~いあかぎれに毎冬悩まされます。
一度も言ったことはないのに、あかぎれに気づいていたのでしょうか。

グローブの内側は指先までプニョプニョのジェルコーティング。ずしりと重たい感じですが、手指によく馴染みます。使用前にしっかり手を洗って40分ほど装着します。
ビタミンEが豊富なアボガドオイル、ホホバオイル等の保湿成分が配合されていて、つるるんすべすべ、手が軟らかくなる感じです。

効果を失うことなく繰り返し40回まで使用できる優れもの。汚れたら優しく手洗いをして、陰干しで自然乾燥。
私にはちょっともったいないけど、ビフォー・アフターを実感しながらリッチな気分に浸っています。顔用があったらいいのに・・・。

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クリスマス雑感

2017年12月24日 | くらし

 
今では、日本中すっかりイベント化したクリスマス・イブ。年寄り二人の生活にも、それなりのテーブルをセットしないと・・・、と思う程になっています。イブの想い出を少し・・・。

遠い昔、大学時代の前半の2年間だけは当時としては瀟洒な寮生活を経験しました。キリスト教に基づく教育だったので、朝・夕食前の祈りは当然、年末にはクリスマス行事があります。
1年生の12月のある夜に、キャンドル片手に結核病棟へキャンドルサービスに出かけました。初めて経験する関東の空っ風の厳しさが心身を通りぬけたこと、患者さんの喜ぶ笑顔の優しかったこと、何となく心が充実したことを覚えています。その時のロウソクで燃えた讃美歌の本が今でも残っています。

大学も寮も12月中旬には冬休みに入るので、その前に晩餐会があり、プロの料理人さんが寮のキッチンに入ってクリスマスにちなんだ料理がふるまわれました。その時の来賓が遠藤周作氏。今思えばよく出席いただいたものだと深い感慨に浸っています。

遠藤氏のテーブルスピーチは、少しずつイベント化しているクリスマスイブについての警告で、クリスチャンの遠藤氏としては無神経な街と人の騒音が気になっていたのです。もう50年も前の話。

それ以降、クリスチャンでもないのにイブを祝うことに後ろめたさを感じてはいますが、これほど商戦が繰り広げられると、それに抵抗するほうが却ってエネルギーを使います。
それに文学だって歴史だって文化だって、キリスト教なしでは考えられません。要するに文化を共有しているのだと納得させて楽しむことにしました。
写真はベルギーやドイツで買ったお土産を並べただけのものですが、何となく童心に帰ったみたいで心が弾みます。

 
我が家では20年前ぐらいからクリスマスケーキでなくシュトーレンを食べています。男の子は中学になるともうケーキを食べなくなり、娘はショートケーキならいいけど、とクリスマスケーキとは縁遠くなっていました。シュトーレンが一番口に合っています。
DONQ のシュトーレンです。これと同じくらい欲しかったのがヴァレンヌさんのカレンダーですが、先着順だったので入手できませんでした。

お昼にシュトーレンを2切れも食べると、お腹いっぱいでもう買い物に行く気がしなくなりました。テーブルを「らしく」飾りたかったのですが、冷蔵庫の中のもので破れかぶれのメニュー。夫はおいしいと言って食べてくれました。
 
壺焼きにはパン生地でなく、冷凍パイ生地を使ったので膨らみませんでしたが、それなりにおいしく・・・。
中味はマカロニグラタンを冷凍していたものを市販のポタージュと牛乳で薄めただけ。なかなかおいしかったのにびっくり、ちょっと気が引けました。この行き当たりばったりの料理には多分夫は気づかないだろうなぁ・・・。

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鯖に挑戦

2017年12月17日 | 食・レシピ

LDL143、このイマワシキ数値が頭の片隅にこびりついています。コレステロールを下げるにはサバ、アジ、サンマだとか。
ある方から「さば缶カレーライス」を教えていただきすぐに作りましたが、夫からは「これ限りでいいよ」。
次にさば缶トマト煮をつくったら、サバ特有のにおいが少し消えて夫は「まあまあ」、私も「まあまあ」でした。

その後「さば水煮缶」よりも「さば味噌煮缶」の方がコクが出ておいしいとの情報を得ました。

 

レタスクラブのレシピで「さば水煮缶」を「さば味噌煮缶」に変えて造ってみました。

●材料(2人分)カロリー:309Kcal(一人分)
さば味噌煮缶…1缶(190g)   キャベツ大1/4個
ニンニク…1/2片         玉ねぎ…1/4個
トマト水煮缶…1/4缶(100g)   固形スープの素(チキン)…1個
パセリのみじん切り…適宜     バター、こしょう、塩

●作り方
①キャベツはくし形に4等分、ニンニクはみじん切り、玉ねぎは薄切り

②鍋にバターを塗りニンニクを散らし、キャベツを並べる。玉ねぎ、トマト水煮、水カップ1、さば缶は汁ごと、スープの素を入れます。

③強火にかけて沸騰したら弱火にして、約20分コトコト煮ます。塩、こしょうで味を整え、パセリを散らします。

サバ料理がこんなに簡単に、調理も生臭くならずにできることに感激でした。「さば味噌煮缶」は優れものでした。

缶詰を使うのにやはり抵抗があったので、「さばの味噌煮」をレシピ通りに、霜降りの下ごしらえも丁寧にして作ってみました。注意しながら作ってもやはり流し台には臭いが残ります。手をかけた割には拍手とまでは・・・。さば味噌煮缶の方がおいしかったのは複雑な気持ちです。

 

豚汁・味噌煮・煮物・田楽、と和食になるとどうしても塩分過多。保健所でもその注意がありました。 

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『われても末に』・・・

2017年12月15日 | 健康・病気

このあとに続く言葉は『逢わんとぞ思ふ』です。そう、NHKあさドラ「わろてんか」の今週のタイトルです。12世紀、崇徳院の『瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われても末に あはむとぞ思ふ」の下の句です。
川の瀬の流れが速いので、岩にせき止められて水の流れは二つに分かれるが、末にはまた一つになるように、いつかはまた再会したいという意味です。これはテレビでのことで波乱の1週間でした。

私の「割れても末に 逢わむとぞ思う」はキッチンです。

  ⇒  ⇒ 

前にも書きましたが、ヨーグルトを濾してギリシャヨーグルトを作ると「ホエー」ができます。
そのホエーに干しブドウを漬け込むのです。ふと思いついたアイディアに自画自賛。捨てなくて済むし、干しブドウはたっぷりホエーを吸い込みました!
そしてギリシャヨーグルトの上にふやけた干しブドウをトッピングすれば美味しいデザートに!分かれたホエーとギリシャヨーグルトは胃の中で一緒になるのです。
手作りだし牛乳製品だからいいことだと思っていたら、どうも量的に食べ過ぎていたようです。

今日健康診断の結果が出て個人説明を受けました。一日分の献立表を提出したら、ヨーグルトを含め牛乳は一日200ccまでにという事でした。
果物の果糖の摂り過ぎに注意、夕食のメニューが多すぎるのでその中の一品でも朝か昼に回すといい、という栄養指導を受けました。
これだけではありません。身体測定、血圧、尿検査、貧血、肝機能、糖代謝、尿酸、腎機能はA判定ですが、脂質代謝がなんと!要指導のE判定!

中性脂肪58(正常値149以下)はOK。HDLコレステロール102(40以上)はOK。しかし、LDLコレステロール143(119以下)が危険ゾーンに入っていました!ショックでした。
夫が正常値だったので私も当然と高をくくっていたのですが、献立を考えてみれば、さもありなん・・・。肉食に偏っているのは自覚できています。食事改善のパンフレットにはやはり青魚を摂ること・・・でした。

60過ぎてから健康診断は毎年保険所で受けています。2年前からLDLコレステロールは上がり気味で、今年こそはと気をつけていたのでがっかりです。「全部A判定だから説明することはありません」と早々に帰されていたあの「栄光の日」はいずこに・・・。
青魚の料理のレパートリーを増やすべく、気を取り直して頑張ります。

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司馬遼太郎『故郷忘じがたく候』

2017年12月13日 | 本・新聞小説

この本を教えていただいたのは、サークルの会話の中に出てきた言葉からです。主人公は沈壽官で、そのタイトルがとても心を惹きました。秀吉の朝鮮出兵と沈壽官に至る関係は悲劇としてのマイナスイメージがあったからです。
月曜の「鶴瓶の家族に乾杯」で尋ねた家で沈壽官作のぐい飲みがでてきて、そこに沈氏の声の出演場面がありました。たまたまこの本を再読中だったので、この偶然に喜び、素晴らしい本を記録して残しておきたく思いました。

今から14年前に、韓国の水原(スウォン)の古都と利川(イチョン)の焼き物を訪ねようとハングル語もわからないままに4日間の旅をしました。
   
利川の「海剛陶磁美術館」で、古代から現代の素晴らしい作品群の展示を見てスタッフの女性に質問したときのこと。
こんなに素晴らしい陶磁器があるのに、今はなぜ金属の食器を使うのか尋ねた時に、「秀吉が全部日本に連れて行ってしまったからです」と実に冷たい態度と言葉が返ってきました。敵とみなされている感じがしました。相手の感情を無視した自分の愚問、しっかりとした歴史認識をしていない自分の甘さを恥じ入り、その光景がずっと心に澱のように溜まっていました。しかし、この本を読んで心の中の澱が少し澄んだように思います。

*゜...あらすじ ...*:.::.*゜:.::.*゜

司馬氏は京都のある寺の庭で一片の茶碗のかけらを目にし、同席していた人の「薩摩の苗代川の焼き物では」という言葉を耳にします。
そして20年の月日が経ち、鹿児島の空港でひょんなことから苗代川を思いだし、出発までの時間を利用してそこに向かいます。

苗代川は秀吉の朝鮮出兵の折に捕虜として日本に連れてこられた朝鮮人の村でした。そこで14代沈寿官と出会います。「どの程度この村には三世紀半前の朝鮮が残っているか」が司馬氏の関心でした。
その後、日が経つにつれて『沈寿官氏と苗代川の一種神寂びた村のたたずまい』が司馬氏の脳裏に増幅し小説を書こうと思いたちます。

18世紀の江戸、医家の橘南谿が憧れていた苗代川に旅をしています。そのとき薩摩藩が苗代川の民に母国(朝鮮)どおりの暮しさせ、年貢を免じ、士礼を持って待遇していることに感じ入ります。
そこで村の荘官に「もう朝鮮のことなど思い出されることもございますまい」と尋ねると「さにあらず。…このように厚遇を受けているにも関わらず、人の心は不思議で、帰国いたしたき心地に候…故郷忘じがたしとは誰人のいいけることにや」と語りおさめました。

慶長の役の折、薩摩は沈姓等70人ほどの男女を捕虜にしましたが、突如の秀吉の死で困難と混乱を伴う撤退をした折に、奇妙なことに一部の陶工たちは船団を離れ漂流して、翌年薩摩半島・串木野の浜に漂着したのです。
折からの関ヶ原の戦いで、半ば放っておかれた状態で島平で3年ほど窯を築いて生活しますが、現地民の迫害を受けさらに奥に進みます。
そこで見つけたのが、どこか故郷の南原(ナモン)の土地に似た苗代川でした。近くの倭人は心優しく両三年過ごすうちに、漂着民のことがようやく島津藩主の耳に入ります。

そのころ、鹿児島城下では別ルートで来た相当数の韓人を高麗町に住まわせていました。藩主は城下に住むことを命令しますが、長老は高恩に感謝しながらも頑固に拒否します。
朝鮮を裏切って薩摩についた朱嘉全とは居住をともにしないこと、故郷を偲べる東シナ海の見える丘に住みたいことの理由が許されて苗代川に定着することになりました。
土地と屋敷と扶持を与えられて、彼ら島平の漂着組十七姓の身分が決定したのです。武士同様の礼遇でした。

活発な作陶活動が始まります。独自の白薩摩、黒薩摩を世に送り出しました。幕末の薩摩藩は十二代沈寿官を中心に洋食器も作り、長崎経由で輸出して巨利を得ました。パリ万博、オーストリア万博での出品も薩摩焼の評判をさらに高め、この時が苗代川のもっとも盛んな時でした。

島津義弘の頃から、この村は藩規として学問を強制され高い学力を誇ってきました。
明治以後の政府はかれらをただの日本人としましたが、姓と血筋だけが特異なものとして残り、その特異さが世間の目を惹いたのです。
旧制中学校では、十三代も十四代も、「朝鮮人」として暴力を受けたのです。
苗代川の住民はむしろ能力の高い選民として戊辰戦争、西南戦争と日本的でありすぎるほど日本人として生きてきました。それが、突如、日本人でない「朝鮮人」として暴力を受けたのでした。
韓国人の血、日本人の血を真剣に考え闘ううちに、14代はそれが誤りであることを突き止め、この世で生きていく姿勢を得たのでした。十三代沈寿官は京都帝大法学部へ、十四代は早稲田大学政経学部へ。

14代沈寿官氏が招かれて渡韓した時に、ソウル大学で講演をしました。
『韓国の若者は誰もが口をそろえて三十六年間の日本の圧政について語ります。もっともであるが、それを言いすぎることは若い韓国にとってどうであろう。言う事はよくても言い過ぎるとその時の心情は後ろ向きである。新しい国家は前へ前へと進まなけばならないというのに・・・・・・あなた方が三十六年を言うなら、私は三百七十年を言わねばならない。』
この時、沈氏の言葉は学生たちの本意に一致しているという合図を歌声にして湧き上がらせました。
この言葉を日本人が言ったとするなら学生は反発したでしょう。しかし沈氏が何者であるかを学生はすでに知っていました。学生たちは沈氏へ友情の気持ちを込めて歌ったのでした。

沈氏は壇上で呆然となり涙が止まりません。しかし背負うべき伝統の多すぎる沈寿官氏は「ここで薩摩人らしく振舞おうという気持ち」が反射的に起こり、涙を冗談に変えようとします。友人の間ではもっとも薩摩人らしい薩摩人と認められているからです。しかしその感情は大合唱に飲みこまれてそのまま壇上で身を震わせていました。
二つの祖国・・・、いつの時代も難しい命題です。私は、沈寿官氏が心の奥にずっと祖国から引き離されてきた悲しみと恨みを持っているように感じていましたが、沈氏の人柄や人物像を知り、何かホッとしたような救われた気持ちになりました。
司馬氏にしては60ページほどの短編ですが、じっくりと心にしみわたる余韻のある内容でした。

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大腸精密検査

2017年12月10日 | 健康・病気

市の健康診断の大腸検査の結果、精密検査を受けるようにと通知がありました。2回の検便で1回目のみが陽性。何となく陽性の原因が思い当たるだけにそれほど心配はしませんでしたが、父が90歳の時に大腸がんという家族歴があるので受けることにしました。
15年ほど前にも一度再検査の辛~い体験があるので少し苦になりますが・・・。検査前日には大腸検査食を指定されました。

 
「検査前日の食事」は指定のレトルト食品。朝食、昼食、おやつ、夕食です。水・お茶・イオン水は好きなだけ。


 
朝食の和風がゆ鮭入り300g、すまし汁。ご飯の量が多いのでお腹はすきません。


 
お昼の豆腐バーグ200g、お粥200g、味噌汁。お茶は好みで。


 
おやつは、水分で腹持ちを考慮したのか水ぶくれになりそう。
レモンジュース200ml、パイナップルジュース200ml、ビスコ。粉末をお湯か水に溶かすものですが予想外のおいしさでした。


 
夕食はコーンポタージュ220gのみ。これがまた美味!ホテルレストランの味がして感激です。たったこれだけの夕食でも満足でした。
一日分全部で1125Kcal。1620円。美味しかったし、恐れていた空腹感に悩まされることはありませんでした。
このあと緩下剤の薬5mlを飲んで終わりです。21時以降は食事禁止。

さて、検査当日です。もちろん朝食抜きで9時に来院。すぐに腸管洗浄液(ニフプラス)2リットルが目の前にでーんと置かれ、2時間かけて飲むように指示されました。
塩っぱくてかなり飲みにくいのです。気が遠くなりそうですが、気を取り直して、何も考えないように、無感情に、事務的に、強制的に飲むようにします。これで「成功」しなかったら「浣腸」と書かれていましたから必死です。2時間半かけて無色の水様状態になってやっと完了しました。

お昼休みのあと1時45分検査室に入り着替えと説明と肩に痛み止めの注射。ベッドに横向きで、2時から大腸カメラの検査開始。腸内に空気を入れながら内視鏡が進んでいくのが感じられますが、痛かったのは1度だけで1分間にも満たなかったと思います。
検査自体は30分ほどで終わり、その場で映像を見ながらの説明がありました。異常はないどころか、つややかな腸管内にふともつ鍋が頭をよぎり、不遜な自分を恥じました。

痛み止めでふらつきが出やすいということで、念のために30分ほど休息室で横になりました。昼休みを挟んでの一日がかりの検査になりました。
白い天井を見ながら、何を食べようか、どこで食べようか・・・。やっぱり胃腸に優しいものをと、病院の食堂で遅い昼食をとりました。シンプルな卵うどんのおいしかったこと!
昨日からの抑制された食生活にはショートケーキと紅茶は必需。これでやっと胃と心が落ち着きました。

この3日前に、胃カメラの検診もしていました。鼻からのカメラの挿入は決して楽なものではありませんが、これも異常なし。検診の二大イベントをクリアしました。自分の体を内側から見続けた2日間でした。今週末には私の検診の総合判断の面接があります。あと一息・・・。

夫の方も血液検査の数値も、胃カメラも、検便の大腸検査も異常なしでした。

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映画「アマデウス」

2017年12月09日 | 映画

近くの大学の今年最後の市民講座は映画「アマデウス」。宮廷作曲家サリエリとヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの映画です。ディレクターズカットの3時間版で、前後の解説を含めて4時間半、終わったのは5時半過ぎの夕闇どきでした。

モーツァルトと同時期に活躍したサリエリは、彼の天才的な才能を認めながらも次第に疎ましく思い始め対立もあります。
モーツァルトのハチャメチャな経済観念と弟子がつかない性格と新しい作曲への苦悩で次第に追い詰められ家庭生活も破綻状態。
モーツァルトの死を予感したサリエリは陰湿なはかりごとを巡らしました。モーツァルトに「レクイエム」を作曲させそれを自分の作曲として世に出すというものです。
衰弱したモーツアルトにはもう楽譜を書く体力がなく、サリエリが記述を手伝ううちに、再びモーツァルトの才能に驚愕します。この間の真に迫った二人の気迫あふれる作曲場面は心に迫るものがあります。
最後はモーツァルトの妻の機転でサリエリのもくろみはみごと失敗に終わりました。

サリエリの独白に、神は「凡庸な者に神の栄光をほんの少しだけでも分かち与えてやるよりも、自分が愛する者を破滅させる方を選んだ」という重たい言葉が何度か出てきます。そして、結局はサリエリはどうあがいても自分が忘却の縁に埋もれていく運命を受け止めなければならないのでした。

 

ストーリーはざっとこんなものですが、ウィーンでの音楽家の地位と生活、オペラを大衆のものにしようと挑戦するモーツァルトの苦悩など、ストーリーに合わせて最初から最後まですごい数の名曲演奏がばらまかれており、それが全体を壮大な映画にしています。
舞台となる大聖堂、宮廷、街並みなどの歴史的建造での大がかりなロケ、ウィーンの食の豪華さ、手を抜かない丹念な服装など、アカデミー賞の各賞を総なめしたことがよくわかります。

映画の中のモーツァルトが、ずっと前に読んだ文庫本のモーツアルト像と全くそぐわなくて、むしろ真逆でずっと違和感がありました。
行動に品がなく、子供っぽく、モーツァルトのあの苦悩のない、品格に満ちた素晴らしいメロディーとどうしてもそぐわなくて・・・。

ただ、最後の場面でモーツァルトが若くして亡くなり、亡きがらが淡々と墓地に向かう途中に流れたピアノコンチェルト第20番ニ短調第2楽章ロマンス、その澄み切った美しいメロディがエンドロールまで続いたのがせめてもの慰めで、自分なりにまた元のモーツァルト像に修正できてよかったです。

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惑星を作った・・・・

2017年12月09日 | まち歩き

去る9月の終わりに、九州大学が移転し跡地に「六本松421」「MJR六本松」「SJR六本松」ができ上がりました。広大な校舎あとに「突如出現した」という感じです。奥の方はまだまだ建設半ばですが、学生の街は緑豊かなゆとりのあるおしゃれな街に変身しました。

  
この建物の5階が福岡市科学館、6階がプラネタリウム。
科学館で面白い体験をしました。自分の腕で輪をつくると宇宙に漂う粒子が吸い込まれるように集まり、なんと惑星が出現するのです!
写真右下の青い球体が「私がつくった惑星」です。ぐるりと一周公転します。このスペースには他に人がいなかったので小さい惑星も作って、感激、わくわくの壮大な夢体験でした!
  
これは1918年の電気自動車です。エジソンはバッテリーの開発だけでなく自分でも電気自動車を作りました。展示されていたのはエジソンのものでなく、同時代に実際に発売されたものです。
その後燃費の良いガソリンエンジンに取って代わられましたが、100年経った今、再び電気自動車が世界的に取り上げられるようになり、「それはなぜか?」という問いかけがなされていました。

プラネタリウムは尤も期待していたところですが、リクライニングの心地いい椅子がやばい・・・、星座の説明の後やっぱり途中からうつらうつら・・・、ちょっと恥ずかしい・・・。入場料は500円だし、近くだし、孫たちを連れてくる下見だからと思う事にしました。

  
2階は漢字表現の蔦屋書店です。『代官山蔦屋書店の意志を引き継ぐライフスタイル提案型書店』で九州初上陸、BOOK&CAFEが上質な時間を提供してくれます。

  
書店の奥まったところにアートスペースがあり、モンドくんの絵として売り出していました。2003年生まれの天才画家として活躍しているようです。上をクリックして見てください。

この日は朝から胃カメラ検診で朝食抜きでした。喉のしびれが消えるまで科学館とプラネタリウム、蔦屋に入って時間をつぶし、やっと入れたのが「五穀」です。名前からして自然食のお店かと思ったら、オムレツとケーキのお店でした。いつもL字型になるほどの行列でしたが、待ち時間もなく入れたのはラッキーです。その20分後にはもう行列ができていました。若い人が多く人気のお店です。
    
ふわふわトロトロの焼肉オムライスです。かなりボリュームがあり単品を食べるのが精いっぱい。並んでも食べたくなる美味しさでした。

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12月のお掃除・・・レンジフード

2017年12月07日 | 住まい&掃除

フィルターなしの換気扇に取り換えて4年。説明書には月1回、薄い洗剤液に浸した柔らかい布で拭き取ると書いてあります。
お手入れランプの表示機能もありますが、あのベタベタ油煙が排気口から100%完全に外に出ていくはずはありません。物理学的にも油の分子が消滅することはないでしょう。
壁にメモ紙を張って、掃除した日を記入していくようにしています。汚れが見えなくても2か月に1回、部品を取り外して掃除をするようにしておけば年末にも困りません。12月のお掃除は少し丁寧にしました。

先ず整流版を取り外してスチームクリーナーで蒸気を拭きかけます。
汚れはこのくらいですが、乳化した油が残っていて乾いた布で拭き取ればきれいに落ちてさっぱりします。痛みもなく、最初の取り付けた頃とほとんど変わっていません。


シロッコファンには直接蒸気を吹きかけて油を浮かせ、割りばしに布を包んで縦に拭き取ります。これもさっぱりしました。
洗剤を使った掃除法では、水拭き2度、それから乾いた布で拭き取るという手間と時間がかかり、仕上がり後も油のべとつき感が残ります。しかしスチーム掃除は時短で、仕上がりのすっきり感が全く違います。
オイルトレーには油は溜まっておらず少しべとつくだけでした。これもスチームを吹きかけて乾いた布で拭き取ります。


本体をカバーする整流板よりも、この本体の方にが油がついていました。
本体の部分は布カバーの付いたスチームで拭き取り、金具の部分は直接蒸気を吹きかけて。隅の方に乳化した油が残っていたので、これも乾いた布で拭き取れば、さらっと気持ちよく仕上がります。

黒く見える内部には初めてスチームを入れましたが、腕を入れると、奥の隅々に油がこびりついていたのでやっとスッキリしました。
ところが、乾いた布で拭き取った時に、何と!ゴキブリの死骸がくっついてきたのです。「きゃ~っ」もう身震いしました!こんなところにいるということが、そうとうショックでした。
密閉状態ではないなら、ゴキブリはどんなところからも入るそうです。夕食の時にこれを思い出しそうで怖い・・・。でも大丈夫でした。すっかり忘れていてよかったです。

前回の掃除までは、スチームクリーナーを使っていいものかと不安で、ファンの部分にだけ使っていました。しかし、掃除の専門業者はスチームクリーナーを使うという事をテレビで知り、今回は全工程をスチームでの掃除にしました。別に変色も変形もなかったので、レンジフードにもスチーム掃除がOKだったのだと理解しました。時短、すっきり、のスチーム掃除でした。

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ほぇ~!ホエーからリコッタチーズが!

2017年12月05日 | 食・レシピ

ヨーグルトメーカーでヨーグルトを作り、それを濾過するとねっとりした美味しいギリシャヨーグルトができます。その時にかなりのホエー(乳清)ができ、捨てないで鼻をつまむようにして飲んでいました。
ところがある日、ホエーからリコッタチーズが作れるという情報を得ました。「そんなことってあり~?」と半信半疑で作ってみると、本当にできました!
①鍋でホエー200g、牛乳300mlを中火で温め、牛乳が分離し始めるたらレモン汁大さじ1を入れて3分ほど温めます。
②ぽろぽろと分離してきたら火からおろし、水切りカップにコーヒーペーパーを敷いた中に入れて半日ほど置きます。
③広げたラップに出来上がったチーズを乗せ、筒状に形作り冷蔵庫で保管します。これで、握りこぶし大のチーズができました。
上記はクックパッドのレシピですが、私の感じでは火からおろした段階でほんの少し塩を入れた方がおいしいと思います。

この日の夕食は夫の忘年会で久々のひとり家飲みです。夕方カーブスで少し汗をかいて、帰りにコンビニに寄りおでんをゲット。ローソンのおでんはとてもおいしいのです。
バゲットにリコッタチーズを乗せたもの、メルシャンのサングリアとキャベツの塩昆布漬け、これだけが私の夕食で後片付けはないも同然!
   
サングリアは甘すぎて期待外れ。まるでジュースです。アルコール分は6%。自分でフルーツを入れて作ったものの方が新鮮でおいしいと思いました。

せっかくの家飲みですが、美味しさも中ぐらいなりおらが卓・・・。

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台湾茶

2017年12月05日 | くらし

くちこさんのブログで台湾のパイナップルケーキを見たら「あ~、食べた~い」。台湾独特のカラフルな包装紙のパイナップルケーキはとてもおいしいのです。
たくさんのお土産いいな~・・・と羨ましく思っていたら、数日後親戚から阿里山の高山茶と上等なパイナップルケーキをもらいました。何とパーフェクトタイミング!ラッキー!
 

せっかくの高山ウーロン茶だから、以前台湾で買った茶器セットで頂きました。

    
茶盤(ちゃばん)は竹でできています。ここにお湯をだらだらとこぼしてもいいように隙間から下に落ちるようになっています。ここが日本茶の繊細な淹れ方と違うところ。
ウーロン茶を茶海(ちゃかい)に移し、細長の聞香杯(もんこうはい)に注ぎ、その上に茶杯(ちゃはい)をかぶせて、一瞬で上下さかさまにひっくり返し、お茶を茶杯に移します。
 

空になった聞香杯のふくよかな残り香を楽しみ、やっとウーロン茶が口に。台北のお馴染みになったお茶屋さんのご主人がその場で淹れくれて伝授されたものです。

このパイナップルケーキは台東生まれで、いつも買うカラフルなパッケージの、「これぞ台湾土産!」というものとちょっと違っていました。ライスパイナップルケーキと銘打ち、有名な台東関山米、台東パイナップルを使っていることで高級菓子の部類に入るようです。
そう言えば台東に行ったときに、米の上質さの説明を聞いてわざわざ日本に買って帰る人もいました。結構高かった記憶があります。
台湾ウーロン茶は茶葉を丸ごと使っていて、何度も差しが効くし、使い終えた茶葉で枕を作ったこともあります。とてもいい香りですが、さすが長く使っていると葉が細かく砕けます。
      

これでやっと満足しましたが、なぜか妙にあのカラフルな包装紙のパイナップルケーキの庶民の味が懐かしいです。

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待合室のテレビから

2017年12月01日 | 食・レシピ

健康診断の再検査で病院へ。その待合室で久しぶりにテレビの料理番組「3分クッキング」を見ました。最近はスマホが多かったし、さすがテレビは画面も大きいし分かりやすさを実感しました。

   ♪♪♪:;;;: 小松菜入り麩チャンプルー ;;;:♪♪♪

びっくりなのは麩を使っていることでした。卵を割り入れるのではないからべとつかず見た目にもきれいで意外に好評でした。「麩」という事もわからなく「鶏肉?」と質問されたぐらいです。

      
● 焼き麩…20g 水に戻してしっかり絞っておきます。卵2個を溶き、だし汁半カップと塩コショウ少々を混ぜ、その液に焼き麩を戻し入れて卵汁を吸わせます。
● 豚肉…150g  醤油、酒 各小さじ半分をもみ込みます。

●小松菜…一束を5㎝ぐらいに切っておきます。

①フライパンにごま油大さじ1を熱し、焼き麩を裏返しながらこんがり焼き、取り出しておきます。
②フライパンに油大さじ1を熱し、豚肉を炒め、焼けたら小松菜を加えしんなりしたら、麩を戻し入れ、塩…小さじ2/3  砂糖…小さじ1  醤油…小さじ1 を加えて炒め合わせます。 

塩分少なめメニューで、しっかり卵を吸った麩が変身したように存在感を示します。何よりも小松菜が色鮮やかでヘルシーなおかずです。リピートのメニューになりました。

     ♪♪♪:;;;:;;;:   カレーヴルスト   :;;;:;;;:♪♪♪

ドイツに行ったときに食べそこなったカレーヴルスト。NHK「旅するドイツ語」で、前川泰之さんが美味しそうに食べていたので、ケチャップソースの作り方を検索して2種類作ってみました。
 
    

先ず少し手の込んだソースで。玉ねぎみじん、ニンニクみじん、アーモンドみじん、ピクルスみじんをバターで炒め、それにアーモンドプードル、カレー粉、しょうゆ、砂糖、ガラムマサラを入れ、最後にケチャップを入れたもの。
味はいいけど手をかけた割にはソースの粒々が気になり「???」。滑らかになるようにミキサーにかけたらいいのかもしれません。改良の余地あり(´゚Д゚`;)

次に、なめらかソースを検索して作ったのが一枚目の写真のもの。カレーパウダー、オリーブオイル、水、ウスターソース、ケチャップ、ブラックペッパーを混ぜただけの超簡単なものです。
ハンバーグにかける簡単ソースと同じ感じ・・・。カレー味がピリリと効いて、まぁ、おいしいですが。
気をつけたいのは、ソーセージ自体に味がついていることが多いので、ケチャップソースを楽しみたいなら塩分の少ないソーセージを求めることです。

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