新・遊歩道

日常の中で気づいたこと、感じたこと、心を打ったこと、旅の記録などを写真入りで書く日記です。

to ハウステンボス with 孫たち

2015年07月26日 | 国内旅行記

2年前に行ったハウステンボス、今回は孫が一人増えて5人で行くことになりました。前回幼稚園生だった孫は、ハウステンボスの余韻がずっと残っていたようで、テレビでハウステンボスの映像が出てくると涙ぐんでいたと聞いて不憫になりもう一度連れてきたいと思っていました。
猛暑の中、2年生と1歳4か月の行動に負担がかからないように、テーマパークゾーン唯一のホテルアムステルダムに宿をとりました。前回宿泊してその利便性と朝食が気に入り、今回も迷わずにここを選びました。子連れには申し分なしです。

初日はあいにくの降ったりやんだりの雨模様。雨が35分以上続いた時にはカラフルなポンチョのプレゼントがあったり、「ハッピーレイン」と銘打った雨の日にしか見られないアンブレラストリートにわくわく。(写真はハウステンボスのHPから借りたもの)


   

前回はパスしたタワーシティの展望台へ。ハウステンボスの全景が展望されますが、園内をくまなく回るには数日かかりそう・・・。雨上がりで霞んでいても、緑とレンガ色のコントラストに心が和みます。

「夏の光の王国」が全国イルミネーションランキングで2年連続1位というからには見逃せません。
その中のひとつ「光のどうぶつえん」へ。べビーカーは貸し出してくれるものの、夜の小雨の石畳はかなり大変でした。
それでも光の海に包まれると、まるで別世界の青い海に浮いたような感じで、大人も子供も驚きと感嘆の声が聞こえます。Ledライトのクールな光が蒸し暑さを和らげてくれました。 

孫は前回の仮面舞踏会の記憶が忘れられずに、今回も楽しみにしていましたが、雨による中止の放送でかなりのショック。
それでもさすがハウステンボス、閉園1時前に雨が上がると急に舞台がにぎやかになり、ダンサーたちの軽快なダンスが始まりました。
ツービートの音楽に合わせて仮面をつけた体が自然に動き始め、ダンサーとハイタッチしたり、短時間でしたが仮面舞踏会に満足したようです。何よりも2年間の成長は目覚ましく、今回はちゃんと「ダンス」になっていましたo(^-^)o 


夜には必見!3Dプロジェクションマッピングは豪華版でした。伝説のドラゴンがよみがえるという壮大なマッピングです。
これが終了すると観客は次のマッピング会場に移動します。「未来への時間旅行」のマッピングが映し出されました。終園時間の10時までたっぷり遊んでもホテルは目の前、これが最高の安心感になっていました。

プロジェクションマッピングは、パソコンで作成したCGをプロジェクターを使って建物に投影するものです。建物と映像がピッタリ重なり合ってストーリーが進み、それは見事なものです。最近はこの方法の映像が世界中でも大人気のようです。

3世代に共通するようには、なかなか難しいのが食事のお店選び。孫は「佐世保バーガー」のお店の前から動きません。私には最後の選択肢のバーガー・・・、食べる前から胃がいっぱいになりながらも平然とした顔で同意。ところが噂の「佐世保バーガー」は、もう一度食べたいと思うほどおいしかったのです。あ~ぁよかった!

佐世保名物レモンステーキとハンバーグも美味。これが街中のレストランなら子連れにはちょっとためらわれるところでしたが、ハウステンボスだから快く入れてもらいました。孫がレジに飾ってあったトロフィーをちゃんと見てきていました。「あのお店、料理のコンクールで賞をもらっていたよ!」と。今時の子供はそういうことに敏感なようです。

翌日は、前日とは真逆の厳しい暑さの中、孫と娘は180mのウォーターロングスライダーやプール、水かけ祭りなど、予定していたイベントにはくまなく参加していました。

デジタル釣りアドベンチャーでは、巨大な魚を釣り上げて点数を上げ1位のメダルをもらって大喜び。子供の興味と心理をよく見ぬいています。


  

1歳児に無理なイベントでは二手に分かれての行動。写真のカルーセルの馬車で抱いている孫は、そういえば前回は母親のお腹の中でした。

かくして2日間のハウステンボスは終わりました。「楽しかったー!。いい日だった!じーじありがとう。ばーばありがとう。」の言葉に、猛暑にぐったりしていた老夫婦の疲れも吹っ飛びました。今回も、またして大人のビール祭りはパス・・・。それがちょっと残念でした。
夫婦二人でロスアンゼルスのディズニーランドに行ったときは、なかなか子供の心に戻れずに楽しめませんでしたが、こういう場所は孫と来ると心から楽しめるものです。

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スロヴァキア国立オペラ2015 久留米公演

2015年07月14日 | 音楽

スロヴァキア国立オペラ2015 魔笛福岡県中部に位置するこじんまりした地方都市久留米。久留米絣、有馬藩の城下町、ブリジストン発祥の地、筑後川・・・。
そんな陽だまりの都市に素晴らしいそして心温まるスロヴァキアオペラがやってきました。

この公演は、質の高いオペラを手ごろな価格で市民に提供し、スロヴァキアと日本の文化交流を計るのが目的で、今年が6回目の公演です。主催者は「筑後スロヴァキア・オペラ交流の会」です。
ワンスロープ1000席を埋め尽くす実績が、公演の趣旨が市民に浸透していることを物語っています。

オペラコンサート形式で、ナレーションを入れながらオペラの醍醐味を外さないように凝縮されて展開していきます。
伴奏はピアノだけですが、観客席いっぱいに広がってくるソリストの歌唱力と演技力にレベルの高さを見せつけられました。

第一部 コンサートオペラ 「魔笛」……1時間ほどのダイジェスト版ですが、ナレーションを入れながら「魔笛」の核心部分が進行していきます。

おなじみの、夜の女王「復讐の炎は地獄のように私の心に燃え」のコロラトゥーラ。パパゲーノの「パパゲーナ、パパゲーナ、パパゲーナ」の演技力と歌唱力。パパゲーノ&パパゲーナのコミカルなデュエット「パパパ」。
パパゲーナ役シモン・スヴィトックは聴きごたえ見ごたえ十分のソリスト!
オペラに詳しくなくても身構えなくオペラの世界に入り込めて、これって大切なことだと感じました。

第二部 アリア、オペレッタとミュージカルの曲
アリアの素晴らしさを心に浸みこませる12曲。
中でも圧巻だったのが「ホフマン物語」で人形オリンピアが歌うアリアです。機械仕掛けの直線的な動きと表情、巻いたネジの力により歌のテンポを変えるコミカルな演技力。
オリンピアと夜の女王を演じたのはマリアナ・ホヘロヴァー。長時間のコロラトゥーラにも耐えうる、まさに人間楽器とでも言えるほどの力量のソリストで、まだ若くてこれからが期待されます。


公演が終わった後で、「スロヴァキア国立オペラとともに歌う会」の合唱で團伊玖磨「筑後川」が披露されました。
次曲の「サンタルチア」はソリストたちと一緒に、最後の「はるかな友に」は観客も一緒に大合唱。まさに市民を巻き込んだスロヴァキア国立オペラの心温まる公演でした。

この公演の招致に高校の先輩や友人が深くかかわっていることに感動し敬意を表します。来年の公演日も演目もすでに公表され、また一年間かけた活動が開始されることでしょう。

 

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『9000マイルの約束』 (ドイツ映画)

2015年07月09日 | 映画

市民にも開放されている福大ドイツ語学科の映画鑑賞会も今回が前期の最後の日です。前回に紹介されていたので心待ちにしていた映画でした。

実話に基づいたベストセラーの小説を完全映画化したもので、2001年制作、158分間。原作はヨゼフ・マーティン・バウアー。数々の映画賞を受けています。

  

第二次大戦後の1945年、ドイツ人中尉クレメンス・フォレルは戦犯としてシベリアに送られることになりました。
酷寒のシベリアを鉄道と徒歩で1年かけて東北へ。気の遠くなるような大陸の最果てはデジネフ岬でした。3000人いた捕虜も1200人余りに減り、環境に耐えられない捕虜は自然淘汰されることは計算済みの護送でした。

待っていたのは、残酷で劣悪な収容所生活と鉛の鉱山での命がけの強制労働。
しかしフォレルは出発時に誓った娘との約束「必ず帰る」を心の支えにこの人間性のかけらもないラーゲリに立ち向かって働きます。

2年経った頃、脱走を試みるも失敗に終わりカメリアフ中尉からの過酷な罰を受けますが、止むことない家族への熱い思いが再び危険な脱走を計画させます。それを知った診療所のドイツ人医師が自身のために用意した脱走計画をフォレルに託しました。逃亡の為の装備と生きるためのアドバイスも・・・。医師はこの時がんに侵されていたのです。

たった一人広大な雪原に放り出されたフォレルは、方位磁針と歩いた歩数で大まかな位置を計算しながらとにかく西へ向かって歩き、歩き、歩き続けました。寒さと、孤独と、飢えと、危険と戦いながら、不安におびえながら・・・。
途中で二人組の盗賊に出会って一緒に旅をしたり挙句の果ては殺されかけたり、オオカミに襲われたり・・・。そんな時に少数民族のシャーマンに助けられ温かい看護を受け、匿われながら回復に向かいました。

1951年夏にはやっと緑のモンゴル国境へ、52年夏にはボロボロになりながらもコーカサスへ到着。ここで偶然にもユダヤ人の地下組織の力添えで偽のパスポートを作成してもらい、どうにかソ連から脱出しペルシャ国境に到着しました。

成功に見えた大逃亡も、執拗に追いかけてきた収容所のカメリアフ中尉が先回りして策略をめぐらしていたので、ソ連のスパイ容疑が掛けられて逮捕されてしまいました。

本当の自分を証明できなかったら死刑が待っています。3年にも及ぶ逃避行が水泡に帰してしまいます。最後の頼みはアンカラ滞在の叔父に身分を証明してもらう事だけでした。

もう15年も会っていない叔父はフォレル本人を確認できないでいます。そこで持ち出された古いアルバムで子供の頃の記憶をたどった二人は、叔父と甥であることを確認し喜び抱き合いました。後は家族の待つドイツへ。

こうしてクリスマスの宵に教会で、娘と、妻と、信じられない再会を果たすことができました。おそよ人間のでき得る能力を超えた逃亡劇は、シベリアの雪とは対照的に優しく舞う雪の夜、美しい家族への愛で締めくくられました。

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映画の最後はハッピーエンドとはいえかなり重苦しい空気でした。日本人のシベリア抑留のことが重なって胸が痛みます。
旅でシベリアの上空を飛ぶ時、眼下の広大な雪の大地の美しさへの感動とは別に、何か落ち着かない物悲しさが胸をよぎるのは、あの冷たい無表情な大地が飲みこんだ数えきれない苦しみや悲話があるからでしょうか。

この日は前期講座の最後という事もあって、先生・学生・市民参加の打ち上げという事になりました。地下鉄で10分ほど行ったところに、ドイツ料理のお店「シュタット マインツ」がオープンしたということで。
 
   

久しぶりに学生気分に戻り若返りました。これから生きて行く若い人は輝いていてまぶしく感じられます。大学の近くに住んでいるというだけで、こんなチャンスに恵まれて感謝しています。 
このきめ細かな泡の出る注ぎ方もオーナー自身から教授されました。キンキンに冷えたグラスのビールはやはりおいしかったです。

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