新・遊歩道

日常の中で気づいたこと、感じたこと、心を打ったこと、旅の記録などを写真入りで書く日記です。

断熱結露防止シート

2020年11月30日 | くらし
夜が冷え込んで来るようになると、そろそろ窓に水滴がつくようになります。
ペアガラスの断熱効果はずいぶん高いようですが、26年前の我が家は普通のガラス。毎年朝起きると溜まった水滴に悩まされます。
今迄は、窓の下方に吸水テープを貼っていましたが効果が少ないので、今年は全面に「断熱結露防止シート」を貼ってみました。
糊は使わず水でくっつく「水貼り」というもの。包装に使う緩衝材のプチプチと同じ原理を使っています。使用期間は6か月。90×180サイズで1枚1000円ほどで、腰窓は1枚を半分に切って使います。


主人の部屋に3枚、私の部屋に2枚。リビング1枚。キッチン1枚。リビングの掃出し窓は外の見晴らしが悪くなるので腰窓だけ貼りました。
まだ夜の冷え込みがないので効果の程はわかりません。
剥がれても水をスプレーして押さえつければOKで、剥がしても跡は残りません。

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てるてる坊主の「くるみ柚餅子」がだいぶん乾いてきました。作って2,3日経つと、砂糖と味噌のベタベタが染み出してきたので、一度包装紙を取り替えました。

今はマスクの数も種類もたくさん市販されていますが、それでも心配になり当選したシャープのマスクを購入しました。
300枚程ストックしていますが、市販のより自作の布マスクの方が使いやすくて・・・。
外出には市販のマスクでないとちょっと気が引けるので、西村大臣風マスクの裏側にシートを入れるポケットをつけました。

市販の専用シートは薄くて心もとない気がします。市販の消毒用ガーゼは6枚重ねで、それを更に折って入れると、ふーわふわで感触がとても心地いいのです。
西村大臣風マスクのデザインは、鼻と口と顎にぴったりフィットするので気にいっています。
白いマスクには黒ゴムが引き締まって見えるとかで黒を使いました。
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マイナポイント取得まで

2020年11月29日 | くらし
マイナポイント7000ポイントが付与されていることを思い出しポイント交換機ヘ。入ってる!waon電子マネーにチャージしました。7000円!大判振る舞いです。
キャッシュレス決済を選択するとき、paypayかwaonか迷いましたが、ここは時間がかかっても2000ポイント余分に付加されるwaonにしました。

①マイナカード申請は、9月半ば、スマホでオンライン申請しました。
3年前に送られてきた「個人番号カード交付申請書 兼 電子証明書発行申請書」の下方にあるQRコードにアクセスすると、既に申請ID、住所、氏名は入力されています。先ず「メールアドレスを登録」します。
すると、メールアドレスの「登録完了のメール」が返ってきます。そこに記載されたURLにアクセスし「顔写真登録」「申請情報登録」して完了です。
その後、申請情報の登録が完了したという連絡メールが入ります。
大切な個人番号だから、もっと細かくて大変と思っていたので、意外に簡単に申請できて拍子抜け。
申請からちょうどひと月後、「個人番号カード交付通知書」がハガキで届きます。
③区役所で「個人番号カード」を受けとります。
この時に4種類の暗証番号を設定しますが、そのメモはきちんと返してくれるので、これは絶対無くさないように気をつけないと後が大変になります。

ここで終了と思っていたら、希望する人にはマイナポイント申込みのサービスがありました。
マイナンバーカードを読み取り、先ほどの暗証番号を入力します。キャッシュレス決済サービスのwaonを選ぶと、細かい操作はスタッフさんがパソコンでやってくれました。
「翌月の月末にポイントが入るので、必ず電子マネーに交換して下さい。それをしないとお金として使えません」と念を押されました。
チャージした金額に対してポイントの還元があります。手続きのあとwaonカードに現金で20000円チャージしておきました。
9月にマイナンバーカードを申請して11月末の忘れた頃にポイントget。イオンのポイント交換機でめでたく7000円をwoanカードにチャージしました。思わぬ「不労所得」は嬉しいものです(@_@)

woan以外は電子マネーはしないと決めていましたが、コロナ禍で現金のやり取りが危険に思われたのでスマホのpaypayを始めました。
使い始めると楽で楽で、遂に長財布から折りたたみのサイフに変えました。コインが殆どが必要ないし、紙幣もなかなか減りません。
カードとスマホを無くさないことが先決ですが。
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スナップエンドウにこんなに花がつきました。本当は春の収穫なのです。冬が越せなくて春まで持たないかも。困ったーぁ。


皇帝ダリアが今年も咲きました。毎年植えようか植えまいかと悩む花です。
今年は人丈に伸びたところで成長を止めるべく先端を切りました。
秋の空にすくすく・・・とはいかずちょつと無様な格好です。
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小川洋子『博士の愛した数式』とアドベントカレンダー

2020年11月27日 | 本・新聞小説
カラフルなクリスマス用品が店頭を賑わす季節です。それに加えホークス優勝の熱気で街は賑わいを見せています。そんな中で見つけたのが、クリスマスを待つアドベントカレンダーでした。
boxにはキャンディが入っており、日付のboxをひと箱ずつ裏返しにしていけば、クリスマス当日にはツリーの絵が完成するというもの。孫娘に送ります。

数あるアドベントカレンダーの中から、なぜこれに目が行ったのか?
それは読んだばかりの小川洋子著『博士の愛した数式』が突然頭に降ってきたからです。
三角形の上から6段目までのboxが「自然数」で積み重ねてあり、ある数式を当てはめればboxの総個数が求められる・・・、そう(6×7)÷2=21でぴったり21個。
高校のとき「n×(n+1)÷2」は無機質な公式としてただ暗記しただけ。それが芥川賞受賞作家にかかれば数式は美しくなり、輝き、喜びを持ってくる・・・。

交通事故で記憶の蓄積は1975年まで、それ以降は80分しか記憶が続かないという64歳の数学博士、家政婦の「私」、彼女の10歳の息子「ルート」の心温まる話です。
博士の「子供は一人にさせてはいけない」という考えで、ルートは下校後は博士の家で過ごすことになりました。
ある日、博士と家政婦がルートの治療を待つ間に、目にはいった放射線の三角マークにヒントを得て、●を三角形の形に並べて書いていきます。


博士は「つまり三角形は本人が望もうが望むまいが、1からある数までの自然数の和を表しているんだ。この三角形を二つくっつけると、更に物事は先に拓ける」と家政婦に説明します。
こうして「n×(n+1)÷2」が導かれます。すごい、美しさって数字で表せるんだぁ~!数式に表情が宿りました。(このインパクトが強くてアドベントカレンダーに釘付けになったのです)
数字を、数学を愛してやまない純粋な博士の目には、この美しさに感動の涙が・・・。

家政婦の誕生日は2月20日→220。博士の論文「学長賞No.284」→284。
220の約数の和が284。284の約数の和が220。2つの数字はめったに存在しない「友愛数」。二人は見事なチェーンで繋がっていたのです。
江夏投手の背番号は28。28の約数1、2、4、7、14を足すと28。これが単純で規則正しい「完全数」。江夏はこの完全数を背中に背負って活躍したのです。

博士の愛する「数字」と「タイガース」で繋がった3人の生活のリズムはすぐに軌道に乗りました。
博士のルートを慈しむ純粋な愛情、ルートも少年ながら、博士を敬愛し正面からそれを受け止める寛容さを持っています。心根の優しい家政婦の博士に対する細やかな心遣いも自然です。

素数、双子素数、虚数、√(ルート)など、生活の中にエレガントな数を見つけながら三人の心が自然に結びついていきます。
無色だった博士の生活に「楽しさ」と「体温」が加わって透明感のあるカラー版になりました。静謐で、穏やかで、そして切ないストーリーでした。
ルートが長じて中学の数学の先生になる結末に、わずか2年足らずの3人の共同生活が意味を持ち、希望に繋がります。

この本が出版されたときに大いに話題になりましたが、数学と純文学の異質な結びつきに興味はわきませんでした。しかし、長びくコロナ禍で本に逃げ場を求めるうちに何でも読もうという状況に変わってきました。
もっと早く読んでおきたかった、この3人と心を共有したかった、ずっとこの本の美しい数字に浸っていたいと余韻がいっぱい残る本でした

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やっとget、やっと出番。

2020年11月24日 | くらし
松茸をやっと手に入れました。松茸を最初に見かけたときはまだ小さすぎ、二度目は開きすぎ、三度目は原産国に問題が、四度目でやっと松茸らしい形と大きさに出会い迷わずにget。もちろん国産でなくトルコ産ですが。
今年はもう無理かなと諦めていただけに土瓶の出番がやっと実現した、と言う感じです。タイミングよく銀杏もまだ残っています。

松茸の土瓶蒸し。今のガスレンジは土瓶を上に置くことが難しい設計になっています。苦心してネットを置き2個一緒に温めました。

松茸ご飯を炊くと、後半に松茸の香りが漂い始めるので嬉しくなります。
たった一度の松茸料理ですが、秋のノルマを達成したという満足感があります。
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健診結果

2020年11月20日 | 健康・病気
10月上旬に受けていた健診結果を聞きに行かなくては・・・と思いながら40日も経っていました。近くのクリニックだから何時でも行けると思っていたのが、かえって長引く結果になってしまいました。

血液検査の結果は良好。ここ数年、唯一警告の黄信号だったLDLコレステロールが昨年の132から117に下がり、やっと理想値以内に! 数年ぶりでした。
BMIは19.5。昨年は20.1だったので数値の変化はコロナの影響かも。コロナ情報を耳にする度に食欲が減退したので、その結果だとするとあまりいい影響ではありません。

骨粗鬆症の検査は「正常」の判定だけど骨密度の値が下降気味で、このまま行けばボーダーラインより下ってしまうと警告されてしまいました。

減少するのは女性の宿命だけど、せめて「同性同年代平均値を120%」に保つようにとのことです。
ボーダーラインを切ってからでは回復が難しいから、今のうちからカルシウムの吸収を良くするビタミン剤を服用することを勧められました。
常備薬を服用していないことが、私のささやかな誇りだったので「抵抗」しましたが、最後は資料を示しての説明に怯まざるを得ませんでした。
調剤薬局でも今飲んだ方が効果的だと肯定の言葉が・・・。

エルデカルシトールカプセル0.75μg「サワイ」。さしあたって1日1錠1週間分です。
ついに私も・・・。階段を一段ガクンと降りた感じです。

気になって家に帰ってから早速調べてみると、「小腸からのカルシウムの吸収を促進させ、骨量の減少を抑え骨粗鬆症による骨折などの危険性を低下させる薬」ということでした。
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「藤田嗣治と彼が愛した布たち」展 福岡市美術館

2020年11月18日 | 福岡市美術館
12月13日まで「藤田嗣治と彼が愛した布たち」展が福岡市美術館で開催されています。



藤田嗣治と言えば、独自に編み出した半光沢の滑らかな乳白色の絵肌が特徴です。
2009年に3月には、その乳白色を集めた「レオナール・フジタ」展が開催されています。しかし今度の展覧会はちょっと違いました。展覧会の切り口が実に新鮮でした。

藤田は普段から布や工芸品をこよなく愛し、パリで見つけた布の端切れやドレスのデザイン画を日本にいる妻に送ったり、果ては織物、裁縫までするという力の入れようでした。事実、裁縫をしている自画像や裁縫道具が細かく描かれた絵も展示されています。

このように布一般に深く関心を持っていた藤田は、背景に「ジュイ布」を描くのに特に力を入れていました。上の写真で、自画像の両サイドの薄いピンクグレーが「ジュイ布」です。
「ジュイ布」とは、田園風景の人物や植物など単色濃淡でプリントされたフランスの伝統生地のことで、フランス人の憧れの布でした。


《タピスリーの裸婦》の背景の布もジュイ布。細かい部分まできっちりと描かれたポピーと麦、布の折りじわ。日本画の繊細なタッチが見てとれます。
もともとジュイ布自体が人気の的でしたが、絵画の背景をここまで精密に繊細に実物どおりに描いていることが話題になり、藤田の人気向上のきっかけにもなりました。

当時、足元の4種類の布や背景のジュイ布を細かく描き込んだ絵画は、美しい裸体画の人気を更に盛り上げたようです。

妻と二人の生活の場だったパリのメゾン=アトリエ・フジタから届いた展示品の中には、自分で織った布で作った帽子や服、自分と妻用のマスク、半纏、浴衣など穏やかな生活を偲ぶ物もあります。
最後まで日本の工芸品を愛していたことに、捨ててきたはずの日本が心の奥には静かに横たわっていたのだと、ちょっと安心しました。

50年以上も前、藤田の亡くなった昭和43年に「藤田嗣治追悼展」が開催され、その時の図録を引っ張り出して見ました。やはり乳白色の肌の絵の称賛と解説が殆どでした。今回のような「布」を切り口にした画業の検証は初めてと言うことで、とても新鮮でした。

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妹からどうしても藤田嗣治展がみたいと言うことでLINEが入りました。「布」というテーマに心が引かれたようです。コロナ自粛で妹に会ったのは何と9か月ぶり。
入場者は密にならない程よい間隔で、ことさら神経を尖らす必要はありませんでした。
館内のニューオオタニのレストランは、空間が広いから安全な印象が強いのか、安心した表情の客でテーブルは埋まっていました。
全面ガラス張りの向こうは、大濠の水と緑の平和な小春日和が。コロナから解放されたひとときでした。
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くるみ柚餅子(ゆべし)

2020年11月12日 | 食・レシピ
昨年は時期が少し遅れてきれいな柚子が手に入らなかったので、今年は早めに作りました。

蓋の部分を切り落として中身をきれいにくりぬきます。貝あわせみたいに一対にしておかないと、蓋が合わなくなります。
合わせ味噌と白味噌と砂糖と酒とミリンを火にかけて少し固めに練り合わせます。
火を止めて、ローストしたくるみと柚子の搾り汁を加えます。

それを柚子に詰め、柚子の蓋をして、蒸し器で30分蒸します。練り合わせた味噌を控えめに詰めないと蒸しているときに吹き出します。
冷めたらてるてる坊主みたいにペーパーで包み、ひと月以上干します。

柚子に詰めて残ったくるみ味噌に、更に柚子の搾り汁を入れて「くるみ味噌」もできました。


柚子を絞った後は袋と種が残ります。丁寧に種を取り除き、砂糖を入れて火にかければ、リンゴジャムみたいに薄黄色のジャムが出来上がりました。
少々高いと思った柚子も、余すところなく使いきりました。

種もお酒に浸ければとろっとしたハンドクリーム代わりになりますが、これはパス。コロナの消毒でアルコールを使うのに、これ以上アルコールを使う気にはなりませんから。
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バジルの保存は・・・

2020年11月10日 | くらし
バジルは葉が茂る割には利用が少なく、穂も出てきたので引き抜くことにしました。側に植えている「ちびまるこニンジン」の日当たりも良くなります。

もったいないので、葉の保存方法を調べて粉末ドライにすることにしました。

水気を拭き取り500Wレンジで2分。すり鉢であたって粉にしましたが、バジルの爽やかな香りはすっかり吹っ飛び、むしろ嫌みな香り。失敗でした。バジルは生に限る!

葉だけ摘み取り冷蔵庫保存してもすぐに黒ずみます。結局瓶に指して保存することにしました。


何の根拠もないけど、少しは汚れが減るかなと残りを排水口に入れてみました。効果の確認はできていませんが、意外にも1週間も持つのにびっくり!掃除する度に触ると、ほのかな香りが何となく嬉しいのです。

コップに入れて3週間、全く新鮮だったのでコップを2個に増やしました。根も出てきたので小さなポットに移植。冬に向かって育つかなぁ。

写真は就寝前のキッチン。カタログの商品みたいに何の変哲もない流し台ですが、極力物を置かないようにしています。「若い」頃にはグッズを置いたものですが、今では省く、省く、省く。掃除も簡単です。
寝る前にはシンクも乾いているし、「お休みなさい」と一日をねぎらって火の始末を確認して休みます。
6人家族の時は時間的に揃わない夕食で、キッチンも日をまたぐほどの長時間の活躍でした·····。台所も過疎化、高齢化です。


やっとバジルの出番です。魚に乗せるトマトときのこのソース。その上にバジルを散らしました。

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もうひとつの「麒麟」

2020年11月09日 | 本・新聞小説
中国で「麒麟」は乱世には人里離れた林にひそみ聖天子の世に出現するといわれておりで、人びとは太平の夢を託して麒麟が来るの待ち続けました。その「麒麟」を出現させるべく心血を注ぐのが『麒麟がくる』の光秀です。

「もうひとつの麒麟」の話は20数年前に読んだ『翔べ麒麟』の話。再読しました。



著者・辻原登が正倉院宝物「金銀平文琴」の裏に描かれた双竜を見たことが物語を生むきっかけになりました。
琴には「季春」と銘が書かれていること、双竜がどうしても麒麟にしか見えないこと、その中国琴のみが正倉院目録に無いこと、それがなぜ正倉院御物に含まれているか・・・から壮大な物語を編み出します。
冒頭の地図「長安城坊図」が人物の行動を具体化させてくれるので、イメージが膨らみわくわくして読める本です。

実在の阿倍仲麻呂と鑑真を日本に連れて帰るという目的で派遣された遣唐使ですが、登場人物は現存する資料の隙間を縫って、広大な唐の国を自由に駆け巡ります。

遣唐使の護衛士として藤原真幸(架空の人物)を登場させたり、遣唐使が新羅をめぐって唐政府と交渉をしたりします。きらびやかでスケールの大きい唐政府を内側から見ていて、なかなか緻密な描写です。
阿倍仲麻呂、吉備真備、藤原清河、玄宗皇帝、楊貴妃、安禄山、文化人で政治家の王維、李白、顔真卿など実在の人物も登場します。

藤原真幸は唐の騎馬隊に抜擢され、遣唐使として唐に渡ったまま玄宗皇帝に仕えていた阿倍仲麻呂の元で活躍します。やがて安禄山の戦いに巻き込まれますが、仲麻呂と共に唐政府再興に重要な役割を果たします。
そんな中で聡明な李春と出会い、彼女の祖父季春が作ったという麒麟の絵の琴に巡り会います。
時が経ち、大きく成長した真幸は「麒麟になりなさい」と後押しされて、自分の活躍する場所は唐ではなくて日本だ、と次の遣唐使船で李春を妻にして連れ帰ることを決意したところで話は終わります。著者は持ち帰った琴が正倉院に現存していることで、二人が日本に無事帰国したことを暗示しています。

著者は最後に『隆盛を誇った藤原氏南家は恵美押勝の乱で凋落し、代わって式家がのしてきて、桓武天皇擁立では最も重要な役割を果たしました。
かつて式家は藤原弘嗣(真幸の父)の乱を起こしました。大逆者を出した家系にも拘わらず再び隆盛をほこったことは極めて異例なこと。何か不思議な力が働いた、そういう力を持った人間が現れた、としか考えられない』と締めくくっています。
生きた麒麟・真幸だけではなくて、琴に忍ばせた麒麟も日本に現れた・・・。
当時の日本は鑑真が戒律を授けたり、正倉院や国分寺、国分尼寺が建てられ国は安定と繁栄に向かっていました。目には見えない麒麟が現れていたのかもしれません。
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またOutlookが消えた・・・・

2020年11月08日 | パソコン・スマホ・周辺機器
Outlookがまた消えました。
トップ画面にOutlookのアイコンはきちんと表示されているのに、スタートから「すべてのプログラム」を見ると、Outlookのアイコンだけ真っ黒!アイコンの模様が抜け落ちています。「Microsoft Edge」は正常に動くということはインターネットは問題ないことがわかります。

かつてうまくいった修復方法を試すと「Office」画面は開かずに、Microsoftのサインイン画面が表示されました。
「pinナンバーを入れてください」と言われても・・・。心当たりなし。
「他の方法」画面で思い当たるパスワードを入れても、正しくないと拒否。そもそもOutlookにメールが受け取れないから「パスワードを忘れたとき」の操作は無理です。
次の方法「ウェブ上での操作」に進むと反応していないの文字が・・・。

購入のとき、Windows10は Microsoftアカウント入手など操作が複雑過ぎると言うことで勧められるままにサポートをお願いしました。その時、A4サイズの「Microsoftアカウント確認シート」を受け取ったことを思い出しました。

冒頭に赤文字で「パソコンの再設定などの際に必要な情報となりますので、紛失などされないように大切に保管お願い致します」と書かれています。
書類の言葉をきちんと理解しておく必要があります。Microsoftのアカウント、既存のメールアドレス、Microsoftアカウントメールアドレスが設定されていて、サインインに必要なのはMicrosoftアカウントメールアドレスの「パスワード」だったのです。
それが見つかり、今度こそと祈る気持ちでエンターキーを押すと「最近使用したファイル」として幾つかのメールのタイトルが表示されました。
任意にその一つをクリックすると、ちゃんとOutlookの画面が出てきました。やーっとトラブルがクリアできました。「ほーっ」とため息です。
トラブると、Windows7がよかったなと後ろ向きになってしまいます。
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休載していた伊集院静『ミチクサ先生』が再開!

2020年11月07日 | 本・新聞小説
伊集院静氏の突然の入院、手術で、日経連載中の『ミチクサ先生』が2月21日から急遽休載になりました。「休止」でなく「休載」という言葉に希望を繋いでいた11月6日に再開の記事が目に入りました。思わず「やったーぁ!」

伊集院さんの完全復活に乾杯です。コロナと相まって気の抜けない療養生活だったことでしょう。

ミチクサ先生は夏目漱石を中心に展開していきます。幕末から明治にかけての揺籃期の庶民生活や庶民文化が丁寧に書かれていました。後に明治を代表する文化人の卵たちの出会いと生き様から、新しい時代の息吹がむんむんと漂ってきました。とても新鮮でした。

伊集院さんの病に心を痛め、中断に泣いた人も多かったと思います。嬉しいニュースでした。
11日からの連載再開がとても楽しみです。
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映画「ショーシャンクの空に」を再び

2020年11月05日 | 映画

(写真はネットからお借りしました)
25年前に見た感動の映画が、今度はリビングのBSシネマで再び見ることができました。BSシネマは字幕スーパーなので、映画館で見るのと同じ感覚です。
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時は1947年。銀行の副頭取、若きアンディは愛していた妻と彼女の不倫相手を惨殺した疑いで逮捕され、無実の証明ができないまま終身刑でショーシャンクの刑務所に収監されます。
刑務所内は服役囚への暴力、囚人同士の暴行が日常茶飯事。所員も罪を犯したものたちへの暴力·虐待が当然視されていました。
そんな中でやはり終身刑を受けたレッドと信頼関係を結んで行きます。レッドは、仮釈放の見込みがたたずむしろ希望を失っていました。しかし日用品をうまく調達してくる「調達屋」の技を持っていました。アンディが頼んだ何気ないポスターや写真の調達は伏線で、これが後に大きな転機をもたらすのです。

絶対的な権力を持つノートン所長は、服役者を刑務所外で労働させるうちに、収賄で表面にでない金を得てアンディに管理させます。アンディは銀行マンの知識を駆使して、架空の人物を作り出して多額の不正蓄財を見事に隠し、ノートン所長からも一目置かれます。

アンディは図書室の整備や若者が高卒の資格を取るのを成功させました。信仰も品行も優秀なアンディの再審請求もノートン所長によって阻止。アンディはノートン所長の不正をあまりにも知り過ぎていて、釈放すれば自分に身の危険が及びます。逆に2ヶ月間も過酷な懲罰房に入れてアンディの気力を削ぎ服従させました。その後はまたノートンの会計係を淡々とこなします。

しかしアンディは入所して間もなく、小さな石細工を彫るためにと手のひらに乗るほどの小さなハンマーをレッドから手に入れていました。その頃からコツコツと壁をくりぬいていてのです。数十年もかけて。
アンディに調達して貰った人気女優のポスターが何枚か世代交代するほど時は過ぎていきました。そのポスターの後ろにはようやく完成した脱出口が隠されていたのです。
ある嵐の晩ついに、掘り抜いた小さな壁の穴をくぐり抜け、泥々した下水を通ってショーシャンクの塀の外に出ることができました。その壁穴はレッドすら気づいていませんでした。

自由になったアンディは、刑務所で自らが手を貸したノートンの裏金預金の銀行口座から大金を引き出し、悠々とメキシコに逃亡しました。

アンディは刑務所を脱出する前にレッドに、「もしきみが釈放されたら行って欲しい場所がある」と言い残していました。
収監30年後にやっと仮釈放されたレッドは、社会復帰してもやはり住みにくさに希望を失っていましたが、ふとアンディとの約束を思い出してその約束の場所に行きます。
そこにはアンディの逃亡先のメキシコの場所とお金が封筒に入れて埋められていました。長い長い年月をかけた、最後まで希望を失わなかったアンディの気の遠くなるような緻密な計画でした。

ラストは、美しい浜辺で古船を修理していたアンディとレッドが再会を果たす感動の場面で締め括られます。

「ショーシャンクの空に」も「グリーンマイル」も「スタンド・バイ・ミー」もスティーブン・キングの小説からの映画です。どれも深く心に残っています。
「ショーシャンク・・・」のレッド役のモーガン・フリーマン、「グリーンマイル」のトム・ハンクスの演技が素晴らしいです。

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冷凍枝豆で「ずんだおはぎ」

2020年11月04日 | くらし
はるか太平洋を越えた向こうの国のことですが地球の一大事、長~い一日になります。どこの局も国政選挙並みの選挙報道です。

ビールのおつまみの冷凍枝豆、北海道産です。ビールも低調になり早く使いきろうと「ずんだおはぎ」を作ることにしました。
枝豆をサヤから出すと豆は150gほど。面倒な薄皮を取り除き潰して砂糖を混ぜるとずんだの出来上がり。
1合のもち米・うるち米を炊いて8個の出来上がりです。

着色したような黄緑色ですが、冷凍豆でもこれだけの鮮やかな自然色がでます。おはぎのなかに小豆餡も少し包み込みました。
食べたくて作り始めましたが、出来上がった時は既にお腹いっぱい、というより食道が一杯の感じです。
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BSシネマより「スターリンの葬送狂騒曲」

2020年11月02日 | 映画
11月2日BSシネマより。タイトルのスターリンと聞いて暗い冷たい映画と思いきや、ブラックコメディの肩の凝らない重たくない映画でした。


冒頭、モーツァルトのピアノ協奏曲23番の美しく物悲しい第2楽章が響くコンサートホールが映し出されます。
そこで録音されたレコードを、スターリンは自室で聴いているうちに発作を起こし意識不明の瀕死状態に陥ります。連絡を受け集まった側近はパニック状態に。といっても悲しみにくれる者はいません。失禁したスターリンを運ぶ姿は政治のトップにある人でなく、そこら辺のおじさんです。
それぞれが自分が殺したと疑われないようにすぐには医者を呼ぼうとしません。尤も優秀な医者は既に粛清されており、かき集められた医者は冴えない医者ばかりです。
側近6人が責任が及ぶことを恐れて右往左往するさまがコミカルに映しだされ、それが表情の真面目さと噛み合わないところが可笑し味を誘います。

フルシチョフを葬儀委員長にして準備が始まりますが、亡くなった当時に居合わせた医者、使用人などを逮捕し粛清するところは見ていても背筋が凍ります。「粛清」は問答無用なんですね。

スターリンの後継者を狙って権謀術数が幾重にも渦巻き、裏では陰湿な取引がなされ、秘密警察トップのベリヤとフルシチョフの見えない戦いが起こっています。
フルシチョフはベリヤの排除に軍の元帥に協力を求め、幹部会の場で元帥はベリヤを銃殺、遺体に油をかけて焼却するという徹底したものでした。
サラサラになった黒い灰を無造作に取り扱うところを見て、体制の中にいる人の心は無機質なのかなとそら恐ろしさを覚えました。
その後フルシチョフは首相を他の人にやらせ、自分は第一書記として実権を握っていきます。

裏切っても、殺してでも、自分の勝利だけを願う・・・、品性も道徳心もなく、これは今にも通じるところがあり、痛烈な批判を込めているのでしょう。

2017年、面白可笑しい政治映画として欧米では大ヒットしたのに、ロシアでは上映禁止になったとか。

ロシアに行ったときに、日本語学科で学ぶ女学生から話しかけられました。留学の経験はないのに見事な日本語です。日系の会社で働きたいと夢を語っていました。
「ロシア」になって生まれた若者は、「スターリンは悪い人です」と切って捨てた言葉がとても印象的でした。
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