<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
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作家の井上ひさしが亡くなった。
随分左巻きの作家さんだったが、私はこの人の作品が大好きで、私の読書遍歴はこの井上作品の乱読から始まった。

1978年。
当時中学生のわたしは大好きなFMラジオ番組「音の本棚」をほぼ毎日聴いていた。
音の本棚は25分間のラジオドラマで月曜日から金曜日まで毎日、午後9:00からFM大阪(大阪では)で放送されていた。
だいたい5日連続で1作品が普通で、毎週違った作家の小説を原作に優れた脚色と粋な演出でNHK-FMのラジオドラマよりも優れていたと思っている。

11月。
井上ひさし原作「モッキンポット師の後始末」が放送された。
モッキンポット神父を演じていたのは今は亡き三国一郎さんで、関西訛りで話すフランス人神父をコミカルに、そして表情豊かに演じていた。

このころの私とは言えば、読書なんかほとんどしないガキだった。
本といえば少年ジャンプか少年チャンピオン。
コンタロウの「1、2のアッホ」や手塚治虫の「ブラックジャック」が大好きだった。
ラジオは欽ドンを毎日聴いては投稿し、時々作品が採用されて欽ちゃんに読んでもらうのを至福の楽しみにしていた。
やがてラジオの嗜好はAMからFMヘ。

中学生活も終わりを迎えるこの時期に私はラジオドラマに凝っていたのだ。

「モッキンポット師の後始末」はそういう私のマンガとラジオドラマ、そして深夜の外国テレビシリーズ、といった生活スタイルに終止符を打つきっかけになった。
あまりに面白いので録音したテープを友達に貸して同調者を増やそうとしたこともあった。
でも、それ以上に原作小説を読んでみたいと思ったのだ。

原作を読むとドラマはかなりの部分を省いて要約していることを知った。
放送時間内に収める為にかなりのカットをしていたのだ。
もちろん原作はカットしていない分、さらに面白く、すっかりと魅了されてしまったのだった。
以後、その井上作品の面白さに浸りたいと片っ端から読みあさった。
「青葉茂れる」
にはそのあまり格好良くない青春に涙して、
「コント集」
ではてんぷくトリオのコントを活字で楽しんだ。
さらに井上ひさしが幼少の頃毎日見ていたNHKの人形劇「ひょっこりひょうたん島」の作者の一人で、さらにこれまた大好きな東映アニメ「長靴をはいた猫」の脚本を書いていたことを知ってすっかりファンになっていたのであった。

正直、看板の戯曲はあまり好きではなかったが、それでもNHKドラマになった「国語元年」も大好きで、この作品をきっかけに方言に興味を持つ余ようになったし、どういうわけか金田一春彦先生の市民講座をテレビでも見るようになった。
それに戦争反対のいきすぎや、九条の会なんていう、いささか常軌を逸した団体を結成されたりした面もあった人だったが、作品そのものはほとんどが面白く感じるものばかりだった

ラジオドラマという楽しむためには想像力を必要とするメディアが井上喜劇を放送して、それに感動した私は読書というさらに想像力で楽しむメディアを手に入れた、というわけだったのだ。

すべては「モッキンポット師」かた始まった。

井上ひさしさん。
面白かったですよ。


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