Eclipse―秘密、ふたり重ねて

第68話 薄明act.2―another,side story「陽はまた昇る」
もう、願ってしまいそう?
見つめる扉にほら、心が吐息する。
この扉を開いて逢いたい時間がある、そして願いたい。
―でもだめ、願いごとは半分だけ…今夜だけで、いい、
ひとり覚悟と佇んだ扉はブルーの光に静まらす。
非常灯ゆるやかに青い廊下は静謐の底、水底と似た沈黙はどこか優しい。
もう起きている人は限られている時間、それも其々の空間に安らいで時を刻む。
この時間に自分も開きたい空間がある、その想い深呼吸ひとつで周太は扉ノックした。
こん、こん…
響いた音の向こう、なつかしい気配が静かに動く。
揺れる夜の体温がこちら向いて近づいて、扉の開錠音が響いた。
「周太、」
綺麗な低い声に呼ばれて見あげた先、切長い瞳が自分を映してくれる。
すこし驚いたよう大きくなった瞳に自分を見つめたまま周太は笑いかけた。
「英二、あの…おじゃましてもいい?」
名前を呼んだ向こう、切長い瞳ゆっくり一つ瞬かす。
驚いて、けれど嬉しそうな瞳は濃やかな睫を和ませ微笑んでくれた。
「もちろん、入って?」
大好きな声が招いて白皙の腕を伸ばしてくれる。
紺青色の半袖しなやかな手の指がシャツふれて、この腕をそっと掴んだ。
そのまま惹きこまれて扉は背に閉じられて、かちり施錠音が閉じて英二が笑った。
「周太から来てくれるのって、ここでは初めてだよな?嬉しいよ、」
大好きな笑顔が抱きしめてくれる、その腕が白いシャツ透かして温かい。
抱き寄せられて頬ふれる紺青色のTシャツは深い森の香くゆらす、この体温と香に泣きたい。
「周太、キスさせて?」
綺麗な低い声が笑った言葉が、鼓動に響く。
響いて膨らんでしまう想い心臓につまって、声が出ない唇に吐息ふれる。
ふれる甘い深い香ほろ苦い、その懐かしさに瞳閉じた唇にキスが重なった。
―あ、
心、吐息こぼして泣きだしてしまう。
だって今、たったキスひとつで気づいてしまった。
―大好き、やっぱり英二を好き…ずっと傍にいたい
ずっと傍にいたい、けれど叶わぬ願いは瞳の熱になる。
もう泣きたくて唇ふるえる、それでも瞳は泣かさず堪えるキスの唇が優しい。
優しくて、独り部屋ごと片付けた時間も覚悟も崩されそうで、それでも堪えたキス解けて大好きな人が笑った。
「周太とキスするたびに俺、ほんと幸せ、」
もう、願ってしまいそう?
―このまま終れたらいいのに、今、英二の傍でこのまま、
もう願ってしまいたい、この腕のなか終りたいと本音が泣いてしまう。
大好きな腕に抱いてもらえる幸せの瞬間、今、今夜のまま消えてしまえたらいい。
あなたに融けてしまえたら、あなたに消えて還って、そして永遠の一つになれたらいい。
そう願ってしまう心に懐かしいページが開かれて、遠い遠い国の言葉が夏の記憶を詠いだす。
Elle est retrouvee.
Quoi? - L'Eternite.
C'est la mer allee
Avec le soleil.
Ame sentinelle,
Murmurons l'aveu
De la nuit si nulle
Et du jour en feu.
見つけたよ。
何を?― 永遠を。
融けあい無に還す海だ、
あの太陽を。
魂の守人よ、
懺悔の告白を囁いて
君に融けこんだ零の夜を
それから 君に焦がれた炎天の真昼を。
L'eternite'「永遠」と呼ばれる詩の海が七月の海を呼んでしまう。
孟夏七月、葉山の海で見つめた黄金色、海の約束、夜に抱きあった海の夢。
渚で見つめた横顔は真昼の白炎に、黄昏の黄金に、端正な白皙も瞳もただ目映かった。
炎天の海で夕陽の海で、そして恋眠れる夜の海で、ふたり見つめあえた幸福な海と約束がほら、もう鼓動に泣く。
―泣いたらだめ…ないたらくずれてしまう、どうか涙でないで、
涙に願いながら呼吸ひとつ、笑顔に変えて笑いかける。
そして想い出せた忘れ物に周太は右掌のばし、大好きな顔の頬ふれた。
「英二、歯を食いしばって?」
「え、」
なんだろう?そう切長い瞳が見つめて、けれど端正な唇を閉じてくれる。
白皙の肌透かして噛みしめたと解かる、その確認に微笑んで平手一発ばちんと食らわせた。
「痛っ、…周太?」
驚いた声と瞳が自分を見つめて途惑う、そんな貌にまた愛しい。
いま叩かれた驚きと哀しみのまま見せてくれる素顔が嬉しくて周太は笑った。
「叩いてごめんね、でも俺も男の意地があるの。英二、泣いてる美代さんをほったらかしたでしょ?」
笑いかけた言葉の向こう、叩かれたままの頬で大好きな瞳が見つめてくれる。
困ったような縋るような瞳は懐かしい家の近所を想いだす、そこの俤に周太は笑った。
「八月に英二、異動するって美代さんに言いっ放しで泣かせたでしょ、そのことを俺ずっと怒ってるの…そんな貌してもだめ、許さないよ?」
美代は自分の、初めて出来た夢の仲間で親友と呼べるひと。
今は賢弥が夢のパートナーとして最も近くに居る、けれど美代が居たから賢弥に会えた。
美代が居たから自信も夢も友達も見つけられて今がある、その感謝に素直なまま笑いかけた。
「美代さんはね、俺に自信と夢をくれた人なんだよ?自分と同じって言ってくれたから自信持てたの、そういうの美代さんが初めてなんだ、
植物が好きなことも、料理が好きなことも…夢を追っかけて楽しいのも悩みもね、一緒に頑張ろうって笑ってくれたのは美代さんが初めて。
そういう全部で友達って想えたのはね、美代さんが俺にとって初めてだから、すごく大事な人なんだ。だから泣かされたら嫌なの、俺でも、」
幸せだね?私も、湯原くんも
あのね、きれいね、湯原くんは
そんなふう言ってくれた初対面から、いつも美代の言葉は励ましてくれる。
冬富士に登る英二を見送る時も手紙をくれた、待つことの不安も一緒に笑ってくれた。
英二と光一への嫉妬や羨望も同じだと笑って、植物学の夢も一緒に追いかけようと笑って共に学んでくれる。
そして最も「同じ」と想ってもらい難いことすら美代は同じ視線で居てくれる、その感謝と信頼に周太は微笑んだ。
「それにね英二、英二と俺は同性愛でしょう?いっぱい偏見もあるし俺なりに悩むこともあるよ、そういうのも美代さんは一緒に考えてくれるの、
そういうの普通の恋愛と同じなんだと思うよ?本当にフラットな美代さんだから、偏見とか関係なしで英二に恋してくれるの、だから大切だよ?」
大切だよ、
そう言った自分の聲が、とくん鼓動に響いて温かい。
そう言える相手が自分は一人だけじゃない、もう一年前とは違う。
だからこそ今も真直ぐ英二と向き合える、嬉しくて笑った真中で切長い瞳が泣きそうに微笑んだ。
「ごめん、周太。きっと俺、また同じことがあっても放っとくよ?美代さんでも誰でも、周太と光一以外は追いかけない、」
告げてくれる綺麗な低い声が、真直ぐ響いて澱まない。
切長い瞳も泣きそうなまま見つめて正直に笑ってくれた。
「光一がいないと最高峰の夢も叶わないし、俺の全部を知っても友達やってくれる奴は他にいないよ、そういうの光一も同じなんだ、
俺たち一度ヤったからこそ恋愛と違うってハッキリ解かったよ?光一と俺はね、唯一の親友ってヤツ同士でアンザイレンパートナーだから、」
恋愛とは違う、けれどもっと深い感情が二人にある。
そう告げられる言葉に詩の一節が鮮やかに響きだす。
And every fair from fair sometime declines,
By chance or nature's changing course untrimm'd;
But thy eternal summer shall not fade,
Nor lose possession of that fair thou ow'st,
清廉なる美の全ては いつか滅びる美より来たり、
偶然の廻りか万象の移ろいに崩れゆく道を辿らす。
けれど貴方と言う永遠の夏は色褪せない、
清らかな貴方の美を奪えない、
英国詩人が謳う詩は、英二と光一が見たアイガーの夏と似ているかもしれない。
氷壁の危険と壮麗に見つめた二人の夏はきっと、涯ない永遠の瞬間に生きていく。
―だから恋愛と違っても大丈夫なんだ、ね…それ以上の繋がりがあるから、
ことん、心から肚に納得は落ちてゆく。
やっぱり自分には踏み込めない世界が英二にはある。
そこは光一だけが許される世界で自分から遥か遠い。
そう気が付いて思い知らされて、また鼓動が苦しい。
―やっぱり怖い、今は…もう違うんだ、ね、
今はもう怖い、この瞳に自分の姿を晒すことが怖い。
恋愛を超えたような感情に結ばれる相手を英二は体も心も抱いて愛しんだ。
その時間を再びくり返すことはもう無いだろう、だからこそ唯一度の逢瀬はきっと永遠に眩い。
But thy eternal summer shall not fade,
けれど貴方と言う永遠の夏は色褪せない、
この想いを捧げる英二の相手は光一だけ、そう解ってしまう。
だから今はもう自分が消えてしまっても心残り一つ無いのかもしれない。
そんな想い微笑んで、両掌ふたつとも英二の肩に置いて、そっと押して笑って離れた。
「正直な英二が好きだよ?でも叩いたことは謝らない、俺にとって美代さんは親友で大事な女の子だから…じゃあ、おやすみなさい、」
好きだよ、おやすみなさい、
そう告げて離れて踵返して扉に向かう。
あの扉を開いて自分はもう行こう、そう決めた吐息に聲が微笑んだ。
『さよなら英二、全てあげたから、』
別れの言葉は音も無くて、けれど真実は息づいている。
この真実ひとつ抱いて自分は今の世界から明日へ消えていく、それでいい。
祖父の罪も秘密も抱いて、父の輝いていた素顔を抱きしめて、二人の真相を探しに行く。
その先には英二との幸福があると本当は想っていた、信じていたかった、けれど今は違う未来かもしれない。
―大丈夫、俺には学問があるから帰って来られる、
祖父が遺したフランス文学、父が遺した英文学、そして幼い自分が唯ひとつ夢を見つめた植物学の世界。
この三つが自分には何があっても残されるだろう、明日から何処に立っても自分を支えて必ず学問の世界に還す。
そんな自信は一昨日の大学、祖父の愛弟子で父のアンザイレンパートナーが教えてくれたから信じられる。
『君のお父さんは学問に愛される人なんだ、だから必ず学者の道に立つべき人だって信じている、どんなに遠回りでも帰るはずだってな?
君の声を聴いて君の笑った貌を見ていると信じた通りって想えるよ、君のなかに生きて馨さんも湯原先生も、ここに帰って来たって、』
自分のなかに父も祖父も生きている、それなら自分は父たちが帰るべき学問の場所に必ず帰られる。
だから今はもう潔く扉を開いて独り今夜の最期を抱きしめて、明日の太陽を迎えたらいい。
さよなら、その想い微笑んでドアノブを握って、けれど背中から温もりが抱きしめた。
「行かないで周太、」
行かないで、そんな言葉で惹きとめないで?
そう言い返したいけれど音無い聲に頬よせられて、綺麗な低い声が囁いた。
「ちゃんと俺の話を聴いて、周太…最後まで、」
最後まで、
そう言われたら動けない、だって覚悟を重ねられてしまう。
いま少しずつ外れかけていた二人の重ねて繋いだ想いに、少しだけ気楽になっていた。
けれど気楽よりも本当は、何倍も涯なく哀しかった寂しかった本音に大好きな聲が微笑んだ。
「傍にいてよ周太、離れるなよ、離れても俺ずっと追いかけるから…離れないで?」
離れても、ずっと追いかける。
そんなこと本気で自分に言ってくれてるの?
ずっと傍にいてと自分に言うの、恋愛以上の永遠を見た相手があなたは居るのに?
「…そんなこと言わなくて大丈夫だよ、英二?…今夜は大学の勉強があるから部屋に帰らせて、」
ほら、自分の声が事実から嘘を吐く。
いま自分の心は秘密にしていたい、祖父のことも秘密にしたい。
どうせ明日から消えてしまうなら何も知らせたくない、もう何も確かめたくない。
そんな想いごと白皙の頬よせられて抱き上げられて、床から離れてしまった足からサンダルが脱げ落ちた。
「嫌だ、周太が帰る場所はここだろ?」
綺麗な低い声が抱きしめてスプリング軋む音が立つ。
ふわりコットンの波が受けとめ頬にシーツふれる、その視界を切長い瞳が微笑んだ。
「今夜は周太、俺のベッドで一緒に寝てくれるつもりで来たんだろ?このシャツ着てくれるなんてさ、」
笑いかけながら長い指ふれてくれる白い衿、このシャツは想い出が多すぎる。
だから今夜の覚悟と願いに着てきた、それを見透かしてしまう瞳が綺麗に笑った。
「明日から周太、交番の応援でシフトも非番からなんだろ?それでシャツ着て俺のベッドに来てくれたら期待しちゃうけど、」
シャツはともかく、どうして非番の事まで知ってるの?
こんなこと驚かされるまま周太は率直に訊いてみた。
「あの、なんで応援要請のこと知ってるの?シフトの事まで、」
「内緒だけど松木さんから聴いたんだ、昨夜、風呂で一緒になったとき誘導尋問させてもらったよ?」
さらり内緒を暴いてベッドの隣、抱きしめたまま幸せな笑顔ほころんでくれる。
まだ第七機動隊に異動して英二は1週間しか経っていない、それなのに情報網がある。
いつの間にそんな人脈と信頼を作ってしまったのだろう?呆れながらも感心して周太は尋ねた。
「松木さんと英二、そんなに仲良かったの?」
「ああ、松木さんの同期の人が第二小隊にいるからさ、風呂で喋ってるよ?」
笑顔で答えられて気づかされる。
英二が風呂で自分と一緒にならなかった理由は、自分の盲点だった。
―俺が避けてたから一緒にならなかったんじゃなくて、英二に目的があったからってことだね?
こんな緻密さに呆れながら感心してしまう。
こういう英二だから幹部候補の光一とパートナーだと公私とも認められる。
そんな現実に改めて気づかされるベッドの上、長い指そっと前髪ふれて綺麗な低い声が笑った。
「ね、周太?さっき俺が光一は追いかけるって言ったから嫉妬してくれたんだよな、だから部屋に帰るって言ったんだろ?」
「え、…」
言われた台詞に瞳ひとつ瞬いた隙、やわらかな唇に唇が囚われる。
ふれるキス優しくて、けれど熱い唇のはざま吐息が乞い微笑んだ。
「…周太、このままさせて…俺もう我慢も限界なんだ、お願い周太?」
このまま何をするのか、英二が何を求めてくれるのか?
そんなこと今の自分にはもう解かる、けれど躊躇いが竦んで声こぼれた。
「あの、俺も一緒にいたくて来たけど…でも、したくとかあまりできないから…よごしちゃ」
言いかけて恥ずかしさに言葉が消えてしまう。
男同士の場合は支度が多くて、けれど隊舎の共同浴場では大した支度も出来ない。
それを告げる言葉すら恥ずかしくて首すじ熱くなってくる、その熱に優しい接吻けが微笑んだ。
「大丈夫だよ、周太…学校の時もちゃんと出来てたろ?あのときみたいに俺にまかせて…」
誘惑が囁いて、唇やわらかにキスが熱で解きだす。
深い熱は森の息吹のよう甘くほろ苦く肺から充たし温かい、その気配に胸の病が心を押した。
―たとえ銃弾に当たらなくても喘息で終わるかもしれない、
硝煙と煤塵が明日から自分の居場所、それは喘息が悪化する可能性の増大。
その先にある現実を主治医が告げた記憶が心を寛げて、素直な声が唇に微笑んだ。
「お願い英二、明日は6時半に出るから5時半に起こして?…俺ちゃんと起きられないかもしれないから、」
自分で起きられない事をこれからしてしまう、その願いに心ごと震えて泣きたい。
それでも涙ごと隠した瞳には綺麗な笑顔が映りこんで、幸せなまま笑ってくれた。
「うん、ちゃんと起こすよ?明日も疲れないようにするから安心して、周太、」
綺麗な笑顔が自分を見つめて長い指が衿元ふれる。
ボタンひとつ外れて、端整な唇キスふれかけて周太は最後ひとつ願った。
「…あの、ライト消して?」
「あ、そうだな、」
すぐ笑って紺色のTシャツ姿起こすと長い腕を伸ばしてくれる。
かちり、デスクライトの消えた薄闇に衣擦れが立って傍ら、白皙が上半身から顕れる。
するり腕を抜いた広やかな背中は光あわく艶めいて、ゆっくりシャツの体を抱きしめた。
「周太…」
名前呼んだ吐息そっと唇ふれてシャツのボタンが外される。
夏の終わりの夜ふれる肌は震えて、2ヵ月を超えてしまった怯えが竦んでしまう。
それでも逃げたくない瞬間を抱きしめたくてシーツ握った掌にそっと長い指が絡んだ。
「周太、ずっと今夜を待ってたよ俺…やっと、ひとつになれる、」
懐かしい声が希う、その瞳に体温に想い募らされ愛しくて2ヶ月の空白が消えてしまう。
こんな簡単に消されてしまう隔てと躊躇いに離れられない、ずっと傍にいたい願いがもう止まない。
だから明日、自分は5時半にエントランスを発とう。
(to be continued)
【引用詩文:Jean Nicolas Arthur Rimbaud「L'eternite'」/William Shakespeare「Shakespeare's Sonnet18」】
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第68話 薄明act.2―another,side story「陽はまた昇る」
もう、願ってしまいそう?
見つめる扉にほら、心が吐息する。
この扉を開いて逢いたい時間がある、そして願いたい。
―でもだめ、願いごとは半分だけ…今夜だけで、いい、
ひとり覚悟と佇んだ扉はブルーの光に静まらす。
非常灯ゆるやかに青い廊下は静謐の底、水底と似た沈黙はどこか優しい。
もう起きている人は限られている時間、それも其々の空間に安らいで時を刻む。
この時間に自分も開きたい空間がある、その想い深呼吸ひとつで周太は扉ノックした。
こん、こん…
響いた音の向こう、なつかしい気配が静かに動く。
揺れる夜の体温がこちら向いて近づいて、扉の開錠音が響いた。
「周太、」
綺麗な低い声に呼ばれて見あげた先、切長い瞳が自分を映してくれる。
すこし驚いたよう大きくなった瞳に自分を見つめたまま周太は笑いかけた。
「英二、あの…おじゃましてもいい?」
名前を呼んだ向こう、切長い瞳ゆっくり一つ瞬かす。
驚いて、けれど嬉しそうな瞳は濃やかな睫を和ませ微笑んでくれた。
「もちろん、入って?」
大好きな声が招いて白皙の腕を伸ばしてくれる。
紺青色の半袖しなやかな手の指がシャツふれて、この腕をそっと掴んだ。
そのまま惹きこまれて扉は背に閉じられて、かちり施錠音が閉じて英二が笑った。
「周太から来てくれるのって、ここでは初めてだよな?嬉しいよ、」
大好きな笑顔が抱きしめてくれる、その腕が白いシャツ透かして温かい。
抱き寄せられて頬ふれる紺青色のTシャツは深い森の香くゆらす、この体温と香に泣きたい。
「周太、キスさせて?」
綺麗な低い声が笑った言葉が、鼓動に響く。
響いて膨らんでしまう想い心臓につまって、声が出ない唇に吐息ふれる。
ふれる甘い深い香ほろ苦い、その懐かしさに瞳閉じた唇にキスが重なった。
―あ、
心、吐息こぼして泣きだしてしまう。
だって今、たったキスひとつで気づいてしまった。
―大好き、やっぱり英二を好き…ずっと傍にいたい
ずっと傍にいたい、けれど叶わぬ願いは瞳の熱になる。
もう泣きたくて唇ふるえる、それでも瞳は泣かさず堪えるキスの唇が優しい。
優しくて、独り部屋ごと片付けた時間も覚悟も崩されそうで、それでも堪えたキス解けて大好きな人が笑った。
「周太とキスするたびに俺、ほんと幸せ、」
もう、願ってしまいそう?
―このまま終れたらいいのに、今、英二の傍でこのまま、
もう願ってしまいたい、この腕のなか終りたいと本音が泣いてしまう。
大好きな腕に抱いてもらえる幸せの瞬間、今、今夜のまま消えてしまえたらいい。
あなたに融けてしまえたら、あなたに消えて還って、そして永遠の一つになれたらいい。
そう願ってしまう心に懐かしいページが開かれて、遠い遠い国の言葉が夏の記憶を詠いだす。
Elle est retrouvee.
Quoi? - L'Eternite.
C'est la mer allee
Avec le soleil.
Ame sentinelle,
Murmurons l'aveu
De la nuit si nulle
Et du jour en feu.
見つけたよ。
何を?― 永遠を。
融けあい無に還す海だ、
あの太陽を。
魂の守人よ、
懺悔の告白を囁いて
君に融けこんだ零の夜を
それから 君に焦がれた炎天の真昼を。
L'eternite'「永遠」と呼ばれる詩の海が七月の海を呼んでしまう。
孟夏七月、葉山の海で見つめた黄金色、海の約束、夜に抱きあった海の夢。
渚で見つめた横顔は真昼の白炎に、黄昏の黄金に、端正な白皙も瞳もただ目映かった。
炎天の海で夕陽の海で、そして恋眠れる夜の海で、ふたり見つめあえた幸福な海と約束がほら、もう鼓動に泣く。
―泣いたらだめ…ないたらくずれてしまう、どうか涙でないで、
涙に願いながら呼吸ひとつ、笑顔に変えて笑いかける。
そして想い出せた忘れ物に周太は右掌のばし、大好きな顔の頬ふれた。
「英二、歯を食いしばって?」
「え、」
なんだろう?そう切長い瞳が見つめて、けれど端正な唇を閉じてくれる。
白皙の肌透かして噛みしめたと解かる、その確認に微笑んで平手一発ばちんと食らわせた。
「痛っ、…周太?」
驚いた声と瞳が自分を見つめて途惑う、そんな貌にまた愛しい。
いま叩かれた驚きと哀しみのまま見せてくれる素顔が嬉しくて周太は笑った。
「叩いてごめんね、でも俺も男の意地があるの。英二、泣いてる美代さんをほったらかしたでしょ?」
笑いかけた言葉の向こう、叩かれたままの頬で大好きな瞳が見つめてくれる。
困ったような縋るような瞳は懐かしい家の近所を想いだす、そこの俤に周太は笑った。
「八月に英二、異動するって美代さんに言いっ放しで泣かせたでしょ、そのことを俺ずっと怒ってるの…そんな貌してもだめ、許さないよ?」
美代は自分の、初めて出来た夢の仲間で親友と呼べるひと。
今は賢弥が夢のパートナーとして最も近くに居る、けれど美代が居たから賢弥に会えた。
美代が居たから自信も夢も友達も見つけられて今がある、その感謝に素直なまま笑いかけた。
「美代さんはね、俺に自信と夢をくれた人なんだよ?自分と同じって言ってくれたから自信持てたの、そういうの美代さんが初めてなんだ、
植物が好きなことも、料理が好きなことも…夢を追っかけて楽しいのも悩みもね、一緒に頑張ろうって笑ってくれたのは美代さんが初めて。
そういう全部で友達って想えたのはね、美代さんが俺にとって初めてだから、すごく大事な人なんだ。だから泣かされたら嫌なの、俺でも、」
幸せだね?私も、湯原くんも
あのね、きれいね、湯原くんは
そんなふう言ってくれた初対面から、いつも美代の言葉は励ましてくれる。
冬富士に登る英二を見送る時も手紙をくれた、待つことの不安も一緒に笑ってくれた。
英二と光一への嫉妬や羨望も同じだと笑って、植物学の夢も一緒に追いかけようと笑って共に学んでくれる。
そして最も「同じ」と想ってもらい難いことすら美代は同じ視線で居てくれる、その感謝と信頼に周太は微笑んだ。
「それにね英二、英二と俺は同性愛でしょう?いっぱい偏見もあるし俺なりに悩むこともあるよ、そういうのも美代さんは一緒に考えてくれるの、
そういうの普通の恋愛と同じなんだと思うよ?本当にフラットな美代さんだから、偏見とか関係なしで英二に恋してくれるの、だから大切だよ?」
大切だよ、
そう言った自分の聲が、とくん鼓動に響いて温かい。
そう言える相手が自分は一人だけじゃない、もう一年前とは違う。
だからこそ今も真直ぐ英二と向き合える、嬉しくて笑った真中で切長い瞳が泣きそうに微笑んだ。
「ごめん、周太。きっと俺、また同じことがあっても放っとくよ?美代さんでも誰でも、周太と光一以外は追いかけない、」
告げてくれる綺麗な低い声が、真直ぐ響いて澱まない。
切長い瞳も泣きそうなまま見つめて正直に笑ってくれた。
「光一がいないと最高峰の夢も叶わないし、俺の全部を知っても友達やってくれる奴は他にいないよ、そういうの光一も同じなんだ、
俺たち一度ヤったからこそ恋愛と違うってハッキリ解かったよ?光一と俺はね、唯一の親友ってヤツ同士でアンザイレンパートナーだから、」
恋愛とは違う、けれどもっと深い感情が二人にある。
そう告げられる言葉に詩の一節が鮮やかに響きだす。
And every fair from fair sometime declines,
By chance or nature's changing course untrimm'd;
But thy eternal summer shall not fade,
Nor lose possession of that fair thou ow'st,
清廉なる美の全ては いつか滅びる美より来たり、
偶然の廻りか万象の移ろいに崩れゆく道を辿らす。
けれど貴方と言う永遠の夏は色褪せない、
清らかな貴方の美を奪えない、
英国詩人が謳う詩は、英二と光一が見たアイガーの夏と似ているかもしれない。
氷壁の危険と壮麗に見つめた二人の夏はきっと、涯ない永遠の瞬間に生きていく。
―だから恋愛と違っても大丈夫なんだ、ね…それ以上の繋がりがあるから、
ことん、心から肚に納得は落ちてゆく。
やっぱり自分には踏み込めない世界が英二にはある。
そこは光一だけが許される世界で自分から遥か遠い。
そう気が付いて思い知らされて、また鼓動が苦しい。
―やっぱり怖い、今は…もう違うんだ、ね、
今はもう怖い、この瞳に自分の姿を晒すことが怖い。
恋愛を超えたような感情に結ばれる相手を英二は体も心も抱いて愛しんだ。
その時間を再びくり返すことはもう無いだろう、だからこそ唯一度の逢瀬はきっと永遠に眩い。
But thy eternal summer shall not fade,
けれど貴方と言う永遠の夏は色褪せない、
この想いを捧げる英二の相手は光一だけ、そう解ってしまう。
だから今はもう自分が消えてしまっても心残り一つ無いのかもしれない。
そんな想い微笑んで、両掌ふたつとも英二の肩に置いて、そっと押して笑って離れた。
「正直な英二が好きだよ?でも叩いたことは謝らない、俺にとって美代さんは親友で大事な女の子だから…じゃあ、おやすみなさい、」
好きだよ、おやすみなさい、
そう告げて離れて踵返して扉に向かう。
あの扉を開いて自分はもう行こう、そう決めた吐息に聲が微笑んだ。
『さよなら英二、全てあげたから、』
別れの言葉は音も無くて、けれど真実は息づいている。
この真実ひとつ抱いて自分は今の世界から明日へ消えていく、それでいい。
祖父の罪も秘密も抱いて、父の輝いていた素顔を抱きしめて、二人の真相を探しに行く。
その先には英二との幸福があると本当は想っていた、信じていたかった、けれど今は違う未来かもしれない。
―大丈夫、俺には学問があるから帰って来られる、
祖父が遺したフランス文学、父が遺した英文学、そして幼い自分が唯ひとつ夢を見つめた植物学の世界。
この三つが自分には何があっても残されるだろう、明日から何処に立っても自分を支えて必ず学問の世界に還す。
そんな自信は一昨日の大学、祖父の愛弟子で父のアンザイレンパートナーが教えてくれたから信じられる。
『君のお父さんは学問に愛される人なんだ、だから必ず学者の道に立つべき人だって信じている、どんなに遠回りでも帰るはずだってな?
君の声を聴いて君の笑った貌を見ていると信じた通りって想えるよ、君のなかに生きて馨さんも湯原先生も、ここに帰って来たって、』
自分のなかに父も祖父も生きている、それなら自分は父たちが帰るべき学問の場所に必ず帰られる。
だから今はもう潔く扉を開いて独り今夜の最期を抱きしめて、明日の太陽を迎えたらいい。
さよなら、その想い微笑んでドアノブを握って、けれど背中から温もりが抱きしめた。
「行かないで周太、」
行かないで、そんな言葉で惹きとめないで?
そう言い返したいけれど音無い聲に頬よせられて、綺麗な低い声が囁いた。
「ちゃんと俺の話を聴いて、周太…最後まで、」
最後まで、
そう言われたら動けない、だって覚悟を重ねられてしまう。
いま少しずつ外れかけていた二人の重ねて繋いだ想いに、少しだけ気楽になっていた。
けれど気楽よりも本当は、何倍も涯なく哀しかった寂しかった本音に大好きな聲が微笑んだ。
「傍にいてよ周太、離れるなよ、離れても俺ずっと追いかけるから…離れないで?」
離れても、ずっと追いかける。
そんなこと本気で自分に言ってくれてるの?
ずっと傍にいてと自分に言うの、恋愛以上の永遠を見た相手があなたは居るのに?
「…そんなこと言わなくて大丈夫だよ、英二?…今夜は大学の勉強があるから部屋に帰らせて、」
ほら、自分の声が事実から嘘を吐く。
いま自分の心は秘密にしていたい、祖父のことも秘密にしたい。
どうせ明日から消えてしまうなら何も知らせたくない、もう何も確かめたくない。
そんな想いごと白皙の頬よせられて抱き上げられて、床から離れてしまった足からサンダルが脱げ落ちた。
「嫌だ、周太が帰る場所はここだろ?」
綺麗な低い声が抱きしめてスプリング軋む音が立つ。
ふわりコットンの波が受けとめ頬にシーツふれる、その視界を切長い瞳が微笑んだ。
「今夜は周太、俺のベッドで一緒に寝てくれるつもりで来たんだろ?このシャツ着てくれるなんてさ、」
笑いかけながら長い指ふれてくれる白い衿、このシャツは想い出が多すぎる。
だから今夜の覚悟と願いに着てきた、それを見透かしてしまう瞳が綺麗に笑った。
「明日から周太、交番の応援でシフトも非番からなんだろ?それでシャツ着て俺のベッドに来てくれたら期待しちゃうけど、」
シャツはともかく、どうして非番の事まで知ってるの?
こんなこと驚かされるまま周太は率直に訊いてみた。
「あの、なんで応援要請のこと知ってるの?シフトの事まで、」
「内緒だけど松木さんから聴いたんだ、昨夜、風呂で一緒になったとき誘導尋問させてもらったよ?」
さらり内緒を暴いてベッドの隣、抱きしめたまま幸せな笑顔ほころんでくれる。
まだ第七機動隊に異動して英二は1週間しか経っていない、それなのに情報網がある。
いつの間にそんな人脈と信頼を作ってしまったのだろう?呆れながらも感心して周太は尋ねた。
「松木さんと英二、そんなに仲良かったの?」
「ああ、松木さんの同期の人が第二小隊にいるからさ、風呂で喋ってるよ?」
笑顔で答えられて気づかされる。
英二が風呂で自分と一緒にならなかった理由は、自分の盲点だった。
―俺が避けてたから一緒にならなかったんじゃなくて、英二に目的があったからってことだね?
こんな緻密さに呆れながら感心してしまう。
こういう英二だから幹部候補の光一とパートナーだと公私とも認められる。
そんな現実に改めて気づかされるベッドの上、長い指そっと前髪ふれて綺麗な低い声が笑った。
「ね、周太?さっき俺が光一は追いかけるって言ったから嫉妬してくれたんだよな、だから部屋に帰るって言ったんだろ?」
「え、…」
言われた台詞に瞳ひとつ瞬いた隙、やわらかな唇に唇が囚われる。
ふれるキス優しくて、けれど熱い唇のはざま吐息が乞い微笑んだ。
「…周太、このままさせて…俺もう我慢も限界なんだ、お願い周太?」
このまま何をするのか、英二が何を求めてくれるのか?
そんなこと今の自分にはもう解かる、けれど躊躇いが竦んで声こぼれた。
「あの、俺も一緒にいたくて来たけど…でも、したくとかあまりできないから…よごしちゃ」
言いかけて恥ずかしさに言葉が消えてしまう。
男同士の場合は支度が多くて、けれど隊舎の共同浴場では大した支度も出来ない。
それを告げる言葉すら恥ずかしくて首すじ熱くなってくる、その熱に優しい接吻けが微笑んだ。
「大丈夫だよ、周太…学校の時もちゃんと出来てたろ?あのときみたいに俺にまかせて…」
誘惑が囁いて、唇やわらかにキスが熱で解きだす。
深い熱は森の息吹のよう甘くほろ苦く肺から充たし温かい、その気配に胸の病が心を押した。
―たとえ銃弾に当たらなくても喘息で終わるかもしれない、
硝煙と煤塵が明日から自分の居場所、それは喘息が悪化する可能性の増大。
その先にある現実を主治医が告げた記憶が心を寛げて、素直な声が唇に微笑んだ。
「お願い英二、明日は6時半に出るから5時半に起こして?…俺ちゃんと起きられないかもしれないから、」
自分で起きられない事をこれからしてしまう、その願いに心ごと震えて泣きたい。
それでも涙ごと隠した瞳には綺麗な笑顔が映りこんで、幸せなまま笑ってくれた。
「うん、ちゃんと起こすよ?明日も疲れないようにするから安心して、周太、」
綺麗な笑顔が自分を見つめて長い指が衿元ふれる。
ボタンひとつ外れて、端整な唇キスふれかけて周太は最後ひとつ願った。
「…あの、ライト消して?」
「あ、そうだな、」
すぐ笑って紺色のTシャツ姿起こすと長い腕を伸ばしてくれる。
かちり、デスクライトの消えた薄闇に衣擦れが立って傍ら、白皙が上半身から顕れる。
するり腕を抜いた広やかな背中は光あわく艶めいて、ゆっくりシャツの体を抱きしめた。
「周太…」
名前呼んだ吐息そっと唇ふれてシャツのボタンが外される。
夏の終わりの夜ふれる肌は震えて、2ヵ月を超えてしまった怯えが竦んでしまう。
それでも逃げたくない瞬間を抱きしめたくてシーツ握った掌にそっと長い指が絡んだ。
「周太、ずっと今夜を待ってたよ俺…やっと、ひとつになれる、」
懐かしい声が希う、その瞳に体温に想い募らされ愛しくて2ヶ月の空白が消えてしまう。
こんな簡単に消されてしまう隔てと躊躇いに離れられない、ずっと傍にいたい願いがもう止まない。
だから明日、自分は5時半にエントランスを発とう。
(to be continued)
【引用詩文:Jean Nicolas Arthur Rimbaud「L'eternite'」/William Shakespeare「Shakespeare's Sonnet18」】
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