goo blog サービス終了のお知らせ 

萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

第68話 玄明act.11-side story「陽はまた昇る」

2013-09-18 22:19:09 | 陽はまた昇るside story
The innocent brightness of a new-born Day 



第68話 玄明act.11-side story「陽はまた昇る」

太陽が稜線の彼方はるか消えてゆく。

天穹は薄墨ひいて紫の闇が降りてくる、それでも残照の黄昏はまだ終わらない。
漆黒のシルエット描く山嶺は朱色かすかに映えるままアーベンロートの記憶が煌めく。
こんなふう山の夕暮れを見た最初は去年の夏の終わり、あの懐かしい山頂に記憶は謳う。

The innocent brightness of a new-born Day  Is lovely yet;
The Clouds that gather round the setting sun
Do take a sober colouring from an eye That hath kept watch o’er man’s mortality;
Another race hath been,and other palms are won.
Thanks to the human heart by which we live. Thanks to its tenderness,its joys,and fears,
To me the meanest flower that blows can give Thoughts that do often lie too deep for tears.

新たに生まれゆく陽の純粋な輝きは いまも瑞々しい、
沈みゆく陽をかこむ雲達に
謹厳な色彩を読みとる瞳は 人の死すべき運命を見つめた瞳、
時の歩みを経、もうひとつの掌に勝ちとれた
生きるにおける人の想いへの感謝 やさしき温もり、歓び、そして恐怖への感謝
慎ましやかに綻ぶ花すらも 涙より深く私の心を響かせる

William Wordsworth「Intimations of Immortality from Recollections of Early Childhood」

この詩を幾度も想った山の黄昏、それは今もまた眼前の視界を光芒で染めあげる。
そんな記憶は標高2,017m雲取山、東京都最高峰で見つめた落陽はきっと忘れられない。
最初は青梅署山岳救助隊の訓練で登った時だった、次は初めて周太を連れて登った11月。
錦秋あざやかな落葉松の森、そしてあの大樹に会わせたとき周太は初めて、名前を呼んでくれた。

『…英二?』

あの声を、あの眼差しを、忘れるなんて出来ない。
それなのに今朝はもう名前を呼んでくれなかった。

『宮田、見送りに来てくれたんだ?』

あの瞬間どんなに自分の心が竦んだか、なんて君には解らない。

―周太、最後くらいなんでだよ?

黄昏に名前を呼んで吐息こぼれてしまう。
ぼんやりと佇んだ山頂は薄暮に蒼く沈みだす、もう登山客など誰もいない。
ショートカットコースでも日没過ぎまで居るのは限られている、そんな無人が今は優しい。

『ちょっと遠いところだから。携帯とかも電波入り難いかもしれないんだ、でも行ってくるね』

今朝そう告げて笑ってくれた瞳は、無垢の優しさに強い意志が明るかった。
あんな眼差しで見つめられたら何も言えなくて、ただ黙って見送った自分の弱さが傷む。
あの瞳に逢いたくて探したい、そんな願いと見おろす山麓に灯りは煌めいて家路が懐かしい。

けれど今、あの家に帰っても逢いたい笑顔にはもう、逢えない?

―逢いたいよ今すぐ…周太、

ひとつ、ふたつ、それから涯無く燈火は薄暮に輝きだす。
見つめる燈火へと優しい記憶を辿ってしまう、そんな想いごと頬が小突かれた。

「ほら英二、ボケッとしてんじゃないよ?へこみたいの解かるけどね、ヤルことあるんだからさ、」

飄々とテノールが笑って薄闇の隣、底抜けに明るい目が落陽に笑ってくれる。
いつもの陽気で優しい眼差しに微笑んで英二は素直を口にした。

「ごめん、光一のこと慰めに来たのに俺がへこんだりして、」
「あれ、ホントに俺のこと慰めてくれるんだったんだ?」

からり笑って光一は肩掛けた登山ザックを東屋に下ろしてくれる。
パーカーにカーゴパンツの普段着でも足元は登山靴、ザックの中身も装備は整っているだろう。
そんなアンザイレンパートナーと同じに、ワイシャツとスラックスでも登山靴に履き替えた自分の足に英二は笑った。

「光一を元気づけるには山だろ?だから俺、登山靴もザックも自分の四駆に入れて出掛けたんだけど?」
「なんだ、朝から予定してくれてたんだね、ありがとさん、」

軽やかな礼に笑いながら雪白の手は携帯コンロを据え、コッヘルに湯を沸かしだす。
いつも通りで久しぶりの手並みを眺めながら英二は向かいへ座り微笑んだ。

「光一も予定してたんだろ?湯を沸かすってコトはさ、」
「帰りの途中でね、ほら、」

笑って雪白の手がポンと放り投げてくれる。
片手で受けとめた軽い容器のラベルに、懐かしい時間ごと嬉しくて笑った。

「山頂でカップ麺って久しぶりだよな、」
「だね、」

底抜けに明るい瞳を細める眼差しは、もう涙は無い。
ただ静かに坐った意志が英二に笑って白い掌を差し出した。

「コレ、ちょっと耳につけてみな?」

差し出された掌には小さな黒い機体が乗っている。
そこから延びるイヤホンを耳に付けると微かなノイズが鳴りだした。

「光一、これって…」

言いかけた言葉を呑んで、聴覚に懐かしい声が響きだす。
クリアに聴こえるトーンで話し相手も推測出来てしまう、ただ驚きのまま英二は尋ねた。

「盗聴器って距離があっても、ここまでクリアに聴こえるのか?」

かすかなノイズの向こう、周太が話している。
その会話内容から全てが聴けてしまう、こんな仕掛けを何時の間にしたのだろう?
盗聴器の精度と仕掛けた事実両方に驚かされる薄闇のなか、テノールが愉快に微笑んだ。

「今は携帯電話の電波を遣えるからね、幾ら遠くてもクリアに音を届けられるワケ。しかも音源の機械に仕込んでるからね、色々と便利だろ?」

盗聴器を周太に仕掛ける、

そんな計画は全くなかった訳じゃない。
けれど予想以上の精度と今ここにある機体の姿に英二は溜息吐いた。

「オーディオに仕込むっていい考えだな、いつ周太には渡したんだ?」
「今朝だよ、周太の出掛け際にね、」

なんでもない貌で笑って答えてくれる解答に、英二は光一の目を見た。
なにもかも見通された、そんな悔しさの向こうでアンザイレンパートナーは笑ってくれた。

「今日みたいな日にね、周太が朝一で出掛けないワケないだろ?マジの別れかもって時だ、周太の本音は泣きたくなるからね、」

朝一で出掛けないわけない、本音は泣きたくなる、

そう言われて去った人の想いが今、鼓動に軋んで喉を迫り上げる。
そんな人なのだと解っていたはず、それなのに気づけなかった後悔が声こぼれた。

「俺…昨夜、何も気付けなかったんだ、6時半に出るから5時半に起こしてって言われたの真に受けて…今日だって解ってたのに、」

零れた後悔のまま迂闊な自分に奥歯を嚙みしめる。
こんな予想くらい出来て当然だった、そう納得ごと突きつけた相手は微笑んだ。

「ソレで良いんだよ、おまえはね?出て行く時には間に合ったんだ、名前も呼んで見送ったんだろ?ソレで周太は嬉しかったはずだね、」

名前も呼んで見送った、
そんな言葉に喉から熱は昇って、瞳あふれて本音が出た。

「周太は俺のこと、宮田って呼んだんだ、…っ別れかもって時なのになんであんな呼び方するんだよっ、」

なぜ?

ずっと本当は一日を考えてきた。
けれど答えなんて見つからないまま涙と声が堰を破った。

「俺、今日だって東大で聴き出してきたよ、馨さんの真似して教授のこと半分は騙してさ…っ、そういうの周太のこと護りたいからだ、
周太を護って取戻したくって俺、人を騙すようなことも傷つけるようなこともやってる、そういうの面白いばっかりじゃない…っ、ただ、
ただ周太と一緒にいたい、俺…アイガーで、光一も周太もやっぱり裏切ったんだ、だからもう捨てられたって文句なんか言えない、けど、」

声、詰まりながらも止まらない。
こんなふう泣くつもりなんて無かった、それでも涙に本音は落ちた。

「だけど嫌だ、あんな貌の周太が最後に見た俺の周太だなんて嫌だ、だから今日だって俺は何でもやるつもりで東大にも行ったんだよ…っ」

涙と一緒に落ちるのは、身勝手な言い分と我儘な願い、独りよがり。
そう解っているのに今は止まらなくて英二はポケットから携帯を出し、光一に突きつけた。

「周太、別れ際に言ったんだ、遠いところだから携帯も電波入り難いってさ?その通りに俺の携帯には周太から連絡なんか何も無い、
だけど今、この盗聴器で聴こえるだろ?この話してる相手って美代さんだ、俺にはメール1つくれない癖に美代さんには電話してるんだ、」

いま周太が話している相手は、美代。
それが声のトーンと内容から解かってしまう、美代と話している時の表情まで解かる。
その全てに今朝からの疑問ごと引っ叩かれて痛くて苦しくて、傷みの冷感そのまま微笑んだ。

「昨夜、俺、周太に叩かれて言われたんだよ。叩いたことは謝らない、周太にとって美代さんは親友で大事な女の子だからってな。
すごく大事な人だから泣かされたら嫌だ、だから泣かせた俺のことを叩くんだって言ったんだ、異動するって言って美代さん泣かせたって、
なあ、俺よりも美代さんの方が大事だから電話もしてるんだよな、今、こんなふうに聴かれてるなんて思いもしないで周太、今…っ俺より」

今、君の心には誰がいちばん輝いている?
そう訊きたいのに今もう訊けない、これから先ずっと訊けないかもしれない。
そんな時間の涯に迎えてしまいそうな哀切に英二はイヤホンを外し、光一に微笑んだ。

「光一、正直に教えてくれよ?…俺、周太に捨てられたのかな、」

もう自分は捨てられた?

そんな台詞をこんな貌で自分が言うなんて、去年の春の自分には考えられない。
それでも今、瞳から涙が伝うまま微笑んだ貌は現実で鼓動すら傷み軋んでゆく。

こんなふうに誰かを自分が想うなんて、思わなかった。

「なあ、どう思う?…俺やっぱり捨てられた?だから名字でしか呼んでくれなかったのかな、英二って、もう…」

もう一度、名前で呼んで?

もう一度だけ抱きしめさせて、君の体温をふれさせて。
もう一度あの笑顔を見せてほしい、ただ幸せな無邪気な笑顔を見たい。
そんな願いが涙ごとあふれて声が詰まるまま揺らぐ視界の真中、透明な瞳が笑った。

「ばーか、」

テノールの声が笑って雪白の手がこちらに伸ばされる。
その繊細な指が額ふれて、ばちん、一発弾かれた痛みに光一が笑ってくれた。

「馬鹿だね、おまえってホント馬鹿。別れ際に名前なんか呼んだらね、泣いちゃうに決まってんだろ?ソレくらい好きって解ってやりなよね、」

それくらい好き、そんな言葉に縋りたい。
好き、その一言を見失いたくなくて額の傷みも放って英二は問いかけた。

「俺のこと好きだから周太、名前を呼んでくれなかったのか?」
「だろ?今の電話だってソウだね、」

からり笑って光一はイヤホンを耳に嵌め、カップ麺のフィルム2つとも外してくれる。
そのまま蓋を開けてコッヘルの湯を注ぎながら薄闇の底、片手でLED灯を燈し微笑んだ。

「おまえの声なんか聴いちゃったらね、決心とかソウイウの鈍って危ないだろ?だから英二には電話しないって決めてるんだよ、
アレの入隊テストって生半可じゃ怪我する、下手したら死ぬかもしれない、だから周太も集中を乱さないよう英二の声は我慢してるね。
それに盗聴のリスクがデカい、俺たち以外に周太のこと探って監視してるヤツ居るだろ?そんなこと周太も気づいてるから電話出来ないね、」

ゆるやかな湯気が昇らすLED灯の明り、ふわり香ばしい匂いごとカップの蓋が閉じられる。
穏やかな光と香、けれど話してくれる現実に気が付いて英二は自分の頬ひとつ引っ叩いた。

ばちん、

派手な音が鳴って、じわり頬に痛み広がりだす。
この痛覚より以上を周太は知るかもしれない、そんな現実に冷静が戻ってくる。
今もう無駄な感情を遣う時じゃない、その肚に笑って英二はザイルパートナーへ頭を下げた。

「ごめん、俺がいちばん集中を乱してたな、余計なこと言ってごめん、」
「頭が冷えたみたいだね、じゃ、3分計測よろしくね、」

からり笑って白い手を伸ばし左手首を握りこんでくれる。
クライマーウォッチも見ないで3分計測する、この久しぶりな習慣に英二は笑った。

「こういうのも久しぶりだな?」
「だね、でも計測ミスんないでよ?カップ麺のびたらツマンナイからね、」

ランタンのLEDに照らされる笑顔は大らかに温かい。
その笑顔に緊張も哀しみも解かれながら英二は微笑んだ。

「そのオーディオと同じの周太に渡したんだろ?何て言って渡したんだよ、」
「おまえからの頼まれモンだって言ったよ、」

薄闇のなか底抜けに明るい瞳が穏やかに笑ってくれる。
暮れる夕風に髪なびかせながら光一は教えてくれた。

「前にね、ピアノで弾いてくれって曲を俺に聴かせたろ?アレをこの間の週休の時に録音してきたね、おまえが夏富士に登ってる日にさ。
あの曲って周太に伝えたい気持ちの歌なんだろ?だから俺は敢えて歌わないで曲だけダビングしたよ、おまえのラブレターな曲だからね、」

周太が初めて青梅署単身寮に来てくれた、あの日の曲。
あのとき自分のベッドで眠ってくれた、洗濯をしてくれた、そして自分のIpodから曲を聴いて泣いてくれた。
歌詞を聴いて英語を聞き取ったメモをしてくれた、ダビングしてあげた曲を聴いて笑って、告白してくれた。

『俺も、…』

恥ずかしそうな声、黒目がちの瞳も羞んで自分を見つめてくれた。
あのときの想いを今も周太は思い出しながら曲を聴いてくれるだろうか?
そんな想い祈るよう微笑んで英二はスラックスから小さな機械を取出した。

「光一、事情聴取の録音だけど聴く?」
「聴きたいね、コッチと交換してくんない?」

提案に笑ってイヤホンごとオーディオを渡してくれる。
その手に小さな録音機を渡して、イヤホンをセットすると陽気なテノールが教えてくれた。

「ソレね、いわゆる追跡機能ってヤツも付いてるよ?特殊だから詳しいこと言えないけどね、」

本当にどこまで器用なんだ?

そう質問したくなる相手はスマートフォンを出して此方に画面を示してくれる。
そこで切り替わった画像に点ふたつ、奥多摩山中と都心部とに点灯して居場所を示す。
その地図にある距離感を見つめながらイヤホンの生活音に微笑んで、英二は想いを口にした。

「遠いな、でも同じ東京だ、」






【引用詩文:William Wordsworth「Intimations of Immortality from Recollections of Early Childhood」より抜粋】

blogramランキング参加中!

人気ブログランキングへ

にほんブログ村 小説ブログ 純文学小説へにほんブログ村

にほんブログ村 写真ブログ 心象風景写真へにほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする