enfin ―I'll be fantasy
第68話 薄明act.5―another,side story「陽はまた昇る」
「周太!」
名前を呼ばれて振り返る、その薄闇に長身が駆けてくる。
ゆるやかに明けてゆく夜から白いシャツ姿は現われて、白皙の手が伸ばされた。
あの手に、抱きしめてもらえたら?
―それは駄目、
それはだめだと意志が呟いて、呼吸ひとつ瞳を瞬く。
ゆっくり披いた真中に切長い瞳を見つめて、綺麗に周太は笑った。
「宮田、見送りに来てくれたんだ?」
名前じゃない、名字で呼んだのは今、どれくらいぶりだろう?
私的時間なら、二人きりなら、名前で呼ぶことがもう当然になっていた。
けれど今この出立に自分を留まらせたくて呼んだ想いに、白皙の手が力なく落ちた。
「っ…見送り、したいよ…?」
軽い息切れと見つめてくれる貌は、昨夜の笑顔が消えてしまった。
真直ぐ見つめてくれる瞳が縋ってくれる、その纏うシャツは袖ひとつ染み淡い。
あの染みは記憶を揺らがせて鼓動を敲く、そのままに今の瞳と唇が昨夜を彩らす。
―…周太、ずっと好きだ、
逢えなくても一緒にいるって信じてる
だから帰って来て、必ず俺のところに帰って来て、周太
幾度も名前を呼んで、幾度も約束を結んで、体ごと心を結いあわせて夜を籠めた。
誰にも知られない静寂に声ごと封じられた夜、その始まりにあのシャツが唇に咬まされ塞いだ。
その瞬間たち全てが鼓動に響いて傷んで、けれど温かくて、それでも決めてしまった覚悟に周太は微笑んだ。
「駆けって来てくれた?息切れるなんて珍しいね、」
「逢いたかったから走って来た、…周太、」
即答してくれる声は呼吸を整えながら、名前、呼んでくれる。
いま自分は名字で呼んでしまった、それでも呼ばれた名前に瞳ゆっくり瞬いて笑いかけた。
「ありがとう、ごめんね?」
ごめんね英二、
そう名前を呼びたいけれど今はもう呼ばない。
もう名前ひとつで堰は切れそうな想いに大好きな瞳は真直ぐ尋ねてくれた。
「まだ始発とかだろ、もう出ないといけないのか?」
本当は、まだ出発するには時間が早い。
それでも今なのだと押される覚悟のまま周太は微笑んだ。
「ん、ちょっと遠いところだから。携帯とかも電波入り難いかもしれないんだ、でも行ってくるね、」
あの場所は自分にとって多分、電話も自由に出来ない。
そんなふう今日までのパズルに解ってしまう、それでも変えられない覚悟を切長い目が見つめた。
「そんな、…周太、」
見つめてくれる瞳が自分を呼んで息を止める。
その呼吸すら本当は抱きしめたい、けれど動かない前に綺麗な声が零れた。
「…そんな、遠くに行くとかって、」
行かないで、
そう音無い聲が眼差しに告げてくれる。
けれど今ここで行かなかったら?その想い素直に周太は微笑んだ。
「祖父がくれた宿題を見つけに行ってくるね?プレゼントは全部、ちゃんと受けとりたいから、」
“Je te donne la recherche”
探し物を君に贈る、
そんな意味を綴った異国の言葉を祖父は父に遺した。
それを父が探し受けとめたのかは解らなくて、だから尚更に自分が受けとめたい。
あの祖父が遺した小説は何を「recherche」と告げるのか、その真実を探す道へと綺麗に笑った。
―さようなら英二、いつか、またね?
音無い聲に名前を呼んで約束に笑って、踵を返す。
ゆっくり廻らす視界の真中は唯ひとり映して、けれど背を向けて周太は歩きだした。
―さようなら、ごめんなさい…元気でいて、笑っていて、
背を向けても心は見つめて告げてしまう、その感情が鼓動を軋ませる。
いつか逢える、そう願いたいまま自分はきっと帰って来られるだろう。
けれどその時、真実を知った英二が受入れてくれるのかは、解らない。
『 La chronique de la maison 』
パリ郊外で放たれた2発の銃声に始まる罪と真相の物語、あの全ては祖父の現実。
そう今は想えて仕方ない、あの物語が語られる舞台も主人公も、生家と祖父の姿に酷似する。
だから考えてしまう想ってしまう、あの物語の全てが事実ならば自分は「殺人」のリンクの裡に居る。
父は警察の狙撃手だった、
そして祖父も軍隊の狙撃手で、私的殺人すら犯してしまった。
それは法の正義で、または家族を護るためだった、それでも殺害してしまった現実は無罪だなんて誰が言えるのだろう?
―無罪だなんて言えない、でも、お父さんもお祖父さんも俺は大好き…恥になんて少しも想えないんだ、
父も祖父も殺人者、それでも二人を愛してしまう。
そんな自分が英二に相応しいだなんて今もう思えない、だから「いつか」帰って来るなら正直に裁かれたい。
真実の全てを告白して、真実の想いのままを微笑んで、そして憎まれ嫌われるなら全てを受容れて遠く去りたい。
―英二、次に会う時はきっと本当に、さようならする時だね?
また会えるのか?
そんな約束すら覚束ない、そして再会は別離だろう。
だから今何も言わずに去ってしまえるならば何ひとつ、本当の意味で傷つけることは無い。
―ごめんね英二、本当のことを確かめたら話させて…いつか、
真実を話す「いつか」にあなたは、どんな眼差しで自分を見てくれる?
そんな想いごと微笑んで真直ぐ駅へ歩いてゆく彼方、昇ってゆく太陽に夜も時も終わってゆく。
別れ、哀しみ、願いと祈り、そんな全ては背中の視線に受けとめて、けれどもう振り返らない。
ただ真直ぐ駅への道を登山ザックとボストンバッグ提げて歩いて、そのまま改札口を抜けてゆく。
“Sans qu'on dise : enfin. ”
独りホームに立って異国の一節が心ふれる。
あの詩に詠まれた想いは今の自分と似ていて、けれど違う?
そんな想いごと微笑んだ前に線路は鳴って金属の箱が現れる、その開いた扉に乗り込む。
“本音ひとつ許さぬまま盡き、終焉する。”
異国語は母語になる、そして鼓動を刺して涙ゆっくり熾しだす。
それでも泣かない瞳は静かに車窓を見ながら腰下して、落着いた席に吐息こぼれた。
「…終わった、ね…」
enfin.
終焉した時間は今、走りだす列車に遠ざかる。
いま9月、この2ヶ月前に見つめていた海の約束はもう叶わない?
そんな哀しみは静かなまま穏やかで涙にならない、ただ微笑んで周太はスーツのポケットから一つ取出した。
『あいつからの頼まれモンだよ…聴いたら解かるね、』
そう言って光一が渡してくれた小さな機械は、掌の暁に煌めかす。
聴いたら解かる、そう言われた通りipodのイヤホンを繋いでセットして取扱説明書を広げさす。
そこに書かれた通りに電源を入れて再生機能は作動を初め、やわらかな旋律が聴覚へ広がった。
「あ、…」
旋律に吐息こぼれて、音と曲が記憶を揺すらせる。
よく聴き慣れている、そして懐かしく愛しい記憶を連なる音が呼んでしまう。
高く低くピアノだけが旋律を響く今、そこにアルトヴォイスの詞が記憶から歌いだす。
I'll be your dream I'll be your wish I'll be your fantasy
I'll be your hope I'll be your love Be everything that you need.
I'll love you more with every breath Truly, madly, deeply, do
I will be strong I will be faithful ‘cause I am counting on
A new beginning A reason for living A deeper meaning
I want to stand with you on a mountain…I want to lay like this forever…
Then make you want to cry The tears of joy for all the pleasure in the certainty
That we're surrounded by the comfort and protection of The highest powers
In lonely hours The tears devour you
I want to stand with you on a mountain…I want to lay like this forever…
Oh, can you see it baby? You don't have to close your eyes
'Cause it's standing right before you All that you need will surely come…
I love you more with every breath Truly, madly, deeply, do
I want to stand with you on a mountain
僕は君が見ている夢になろう 僕は君の抱く祈りになろう 君がもう諦めている願望にも僕はなれるよ
僕は君の希望になる、僕は君の愛になっていく 君が必要とするもの全てに僕はなる
息をするたびごとにずっと君への愛は深まっていく ほんとうに心から激しく深く愛している
僕は強くなっていく、僕は誠実になっていく それは充たす引き金になる
君への想いはきっと新しい始まり、生きる理由、より深い意味
君と一緒に山の上に立ちたい…こんなふうにずっと寄り添い横たわっていたい…
そして君を泣かせたいんだ 確かな幸福感の全てに満ちた嬉しい涙で
僕らは、孤独を壊されて護りに抱えこまれている 最上の力によって
孤独な時にある時も 涙が君を呑みこむ時も そう守られている
君と一緒に山の上に立ちたい…こんなふうにずっと寄り添い横たわっていたい…
ねえ、愛しい君には見えてるの? どうか君の目を瞑らないでいて
ここに、君の目の前に立っているから 君に必要なもの全てになった僕は、必ず君の元へたどりつく…
息をするごと愛は深まってゆく 本当に心から激しく深く愛してるよ
君と一緒に山の上に立ちたい
「…この曲、秋の…」
零れた言葉のままに秋の記憶が目を覚ます。
いま聴いているのはピアノの音だけ、それでも旋律は詞を奏で鼓動を響かせる。
この曲に名残らす秋は去年の秋、奥多摩の秋、そして青梅署単身寮の狭い一室に懐かしく愛おしい。
『ほんとうに俺…酷いことを…ごめんなさい、どうか許して、隣にいさせて』
そう英二に告げたのは去年の秋、この曲の歌詞を初めて聴いた日だった。
あの日の懺悔も願いも今だって変わらない、けれど現実は遠く離れてしまう。
―離れるって解ってたんだ、あのときも…でも今はもう知ってるから、
去年の秋、今、そしてこれから迎える秋。
唯ひとつの想いは色褪せず温かくて、けれど去年と今の現実は違う。
あれから降り積った幾つもの涙も幸福も全てが今は愛おしい、そう想えるのは今きっと、遠く離れる時だから。
(to be continued)
【引用詩文:Jean Nicolas Arthur Rimbaud「L'eternite'」/Savage Garden「Truly Madly Deeply」】
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