Ame sentinelle,Murmurons l'aveu ― 護り人に伝えて、
第68話 薄明act.4―another,side story「陽はまた昇る」
登山ザックを肩掛けてボストンバック持って、もう部屋は何も無い。
本も消えベッドの布団も畳まれてカーテン開いた窓から曙光だけが射す。
ここに1ヵ月と少しを過ごした記憶に想い微笑んで、周太は静かに空間へ笑いかけた。
「ありがとう、」
ひと言だけ告げて扉を開き、スーツの脚を廊下に踏みだす。
かつん、微かに革靴が鳴って施錠音が立ち、薄暗い廊下へ独り歩きだす。
その背後で密やかな音が立ち気配ゆれて、振向いた先に雪白の貌がそっと微笑んだ。
「…周太、忘れモン持っていってよね?」
「…光一、」
驚いて名前を呼んだ向こう、紺色のTシャツ姿が歩いて来てくれる。
音も無く長身は隣に立って薄明るい窓辺、しなやかな指が小さな機械を差し出した。
「ソレ小さいけどオーディオだよ、普通のイヤホンで聴けるから…充電はパソコンに繋いでね、コレ取説、」
潜めたトーンで教えてくれながらコードと小さな紙も渡してくれる。
その黒い小さな機械を眺めながら周太は幼馴染に尋ねた。
「あの、これ…どうして?」
「あいつからの頼まれモンだよ…聴いたら解かるね、」
密やかな声で笑って底抜けに明るい目が見つめてくれる。
いつものよう大らかで温かい眼差しは透明で無垢のまま優しい。
この笑顔と過ごせた時間はいつも幸せだった、その感謝に周太は綺麗に笑いかけた。
「…ありがとう…俺ね、光一と一緒にいた時間っていつも幸せだったよ、」
幼い雪の日、それから十三年を経た再会からの今日、その時間どれも幸せだった。
嫉妬したことも泣いたこともある、けれど笑いあえた時間は記憶にすら優しく温かい。
そして何よりも最後に伝えたかった想いごと幼馴染を見あげて、真直ぐに笑いかけた。
「一月の森はごめんなさい、本当に…ありがとう光一、」
ごめんなさい、ありがとう、そう告げた瞳から熱ひとつ零れておちる。
謝罪と感謝と、ふたつの言葉に籠めたい後悔も信頼もこの鼓動を咬んで痛い。
冬一月、弾道試験の現場で自分は光一に威嚇発砲をした、それを光一は隠匿してくれた。
威嚇発砲のことも秘密だよ?俺が命令したんだ、黙っていろって。
この縦社会の警察組織ではね、君は俺の命令には逆らえないはずだよ?これは俺の命令だ、従ってもらう
命令したのはこの俺だ、だから罪の大半は俺が背負っている、何も君は悪くない、俺が勝手に命令して君に押しつけたんだ
そう言って光一は罪を肩代わりしてしまった、そして隠匿は今も続いている。
光一はそんな男だと気づけなかった自分が赦せなくて、赦せない分だけ光一が好きだ。
―こんな俺を赦してくれる光一が好きだから、自分を赦せない、
公務として携行許可がある以上、私情の発砲は如何なる理由でも警察官として許されない。
それ以上に人として赦されざる行為をした自分、それなのに光一は罪の肩代わりまでしてくれた。
一月の森、あのとき自分が選んだことは過ちだったと今、発砲が日常になっていく今日こそ解かる。
「…ごめんなさい光一、本当にごめんなさい…ありがとう、光一、」
非常灯の青く寝静まる廊下に佇んで想い密やかに声になる。
涙ゆっくり頬伝うまま見つめる瞳は響きあうよう、無垢のまま笑ってくれた。
「俺こそだね…ありがとね、」
低めたテノールが微笑んで、澄んだ瞳が微笑んで見つめてくれる。
まだ眠りの深い隊舎は静謐にしずみこむ、それでも窓から曙光ゆるやかに廊下へ影を描きだす。
もう自分は行かなくてはいけない、その覚悟に笑って周太は幼馴染を見あげた。
「俺、行くね?…また今度、雪山に連れて行って、」
雪山、そう言えば光一なら解かってくれる。
この言葉に在る記憶に微笑んだ向かい、底抜けに明るい瞳も笑ってくれた。
「うん、連れてくよ?…また雪山デートしようね、周太…」
「ん、またね…光一、」
短く応えて笑って、周太は踵を返した。
音を隠して歩いてゆく廊下は非常灯の青い光に窓からオレンジあわく煌めきだす。
青とオレンジ、ふたつの光に交わす色彩は木洩陽と似て懐かしい、その光の背中を懐かしい視線が温めてくれる。
―光一、見送ってくれてる、ね…
幼い日に出逢った雪の森、あの日に見送ってくれた瞳が今も自分を見つめてくれる。
あの幸せだった陽だまりと雪の花咲く記憶に微笑んで曲がり角、振向いた彼方に周太は手を振った。
…またね、
そう音無い声に笑いかけた先、雪白の笑顔も手を振りかえす。
ふたり笑いあって手を振りあう、この瞬間に懐かしい幼い冬の光景が蘇える。
―あのときも「またね」って約束したね、だから今度こそ、
あのとき約束したまま自分は忘れてしまった。
春に父が亡くなって、そのまま記憶ごと光一のことも約束も忘れて生きてしまった。
あのとき忘れた約束の後悔を今はもう繰りかえさない、そう眼差しと掌に見つめて壁に視界が遮られてゆく。
もう見えなくなった幼馴染の長身、けれど二度と忘れない笑顔と約束を抱いたまま廊下を歩いて、担当窓口に立った。
『二週間の後はそのまま一週間の休暇だ、だから退寮の手続きを、』
昨日の業後、そう上司に言われても驚かなかった。
それくらい覚悟はもう出来ていたのは多分、祖父が小説に遺してくれた祈りの為だろう。
そして自分自身が見聞きした父の過去から現われるパズルがもう、幾つかの疑問から「答え」を示唆してくれる。
第1疑問、父の殉職現場「新宿警察署」に殉職者遺族である自分が配属許可されたのは何故だろう?
第2疑問、卒業配置期間は一般採用枠者なら術科特別訓練員に指定されない、けれど自分が選抜されたのは何故?
第3疑問、卒配期間は術科大会出場者に選ばれない、それでも全国大会と警視庁大会とも自分を出場させた特例の意図は?
どの疑問も「特例」では無く「異様」なのだと昨日、上司の言葉から確信してしまった。
『湯原、…すまん、』
退寮の手続きを、そう告げた後の台詞に上司は唇を噛んだ。
あの貌を見たら解かってしまう、きっと佐藤小隊長も疑問のまま「命令」した。
その貌は新宿署長が示した言動と正反対で、この二人の比較から自分が立たされた現実が「答え」を見せる。
新宿署に在任当時、父と似た男を見たらしい署長が兄弟の存在を2度も尋ね、射撃大会は2大会とも同じ男に注視された。
第七機動隊銃器対策レンジャーへ異動が決まった頃は老人が2度現われ、異動した先の寮室からは盗聴器が発見された。
そして入隊テストのまま休暇と異動になる「異様」が告げられたまま今日、誰にも何も言えずに退寮の手続きが終わる。
「お世話になりました、ありがとうございました、」
微笑んで鍵を返却し、担当官に一礼すると周太はエントランスに向かった。
明けてゆく空を切りとる出口は薄蒼い闇に沈む、けれど夜は今もう暁になる。
これなら時刻は定刻通り、その予想と見た左手首の文字盤に周太は微笑んだ。
「ん…午前5時、28分、」
明日は6時半に出るから5時半に起こして?
そう昨夜の自分は告げたからきっと、あのひとは追ってこられない。
もし追いつかれたら竦んでしまいそうな自分がいる、だから昨夜に吐いた嘘は効いたのだろう。
―英二の体内時計は5時半にセットされたから、まだ眠ってくれてるね…ゆうべつかれたろうし、ね、
きっと「昨夜」に疲れた英二の眠りは深いだろう。
今朝の出発に心揺らされたくて、だから眠りの深さすら願い計画して「昨夜」を過ごした。
いま計画通り眠ってくれていることは嬉しい、けれど首すじから熱と昇りだす本音に周太は微笑んだ。
「逢いたい…ね、」
逢いたい、
唯一言、心あふれて独り夜明に融けてゆく。
いま薄蒼い闇はオレンジの曙光に消えてもう、恋人の夜は終わる。
そして二度と逢えないかもしれない時が今ここから始まってゆく、そんな想いの背中を声が掴んだ。
「周太!」
いま、誰が、自分を呼んだの?
(to be continued)
blogramランキング参加中!
にほんブログ村
にほんブログ村