境界の結
第83話 辞世 act.17-another,side story「陽はまた昇る」
ほら、繋がれてしまう。
―僕でもほどけるかな、エイトノットだと思うんだけど…でも、
見つめるヘッドランプ照らす真中、ザイル繰る手は指が長い。
登山グローブ嵌めたままで器用に結わえてゆく、その手元に記憶が敲く。
タイトロープで安全確保するだけ、そう解かっているのに心ざわついてしまう。
―英二は僕だって解かってるわけじゃない、ただ任務で一緒にいるだけ山岳レンジャーとして当然の判断でして…僕だからじゃない、
心言い聞かせながら溜息こぼれそうになる、だって想いだす。
『周太、俺は今、きみのこと…っ、』
あなたが泣く、あれは何ヶ月前のことだったろう?
『俺は今…君を殺そうとした、…君を、離したくなくて、』
あなたが僕を殺そうとした、あれは初夏の夜だった。
初任科総合で警察学校に戻っていた夜、あのとき自分の喉くるんだ掌が今ザイルを結ぶ。
『ずっと傍にいたくて、どこにも行かせたくなくて…ずっと見つめていたくて離れたくないから、だから首に手を掛けて君を殺そうとしたんだ、』
そう言って泣いたのは、あなただ。
そして自分は言ってしまった、だから今も繋がれる?
『離さないって約束したよね?だから約束を守って、愛しているなら言うこと聴いて、』
あの夜のこと、あなたは憶えているだろうか?
それとも忘れてしまったろうか、だって君が他の人を抱いたのはあの後だ。
―アイガーでもこうしてザイル繋いでたんだ、光一と…なのにどうして?
夏、この人はザイルパートナーと関係を結んでしまった。
それなのに自分のところへ戻りたがる、そうして今ここで再会してしまった。
もう何度も突き放して離れて、それでも最後の今を繋いでしまったザイルがヘッドランプ照らされる。
「ザイルは常にタイト、ぴんと張った状態になるよう歩きます。訓練でしたことありますよね?」
問いかけてくれる手元、黒と赤の登山グローブは端正にザイル締めこむ。
これでもう離れてくれない、ほっとため息吐いたまま山ヤは微笑んだ。
「行きましょう、」
ほんとうに一緒に行くんだ?
そんな想いにヘッドランプの視界、光の輪に結び目は堅い。
結ばれてしまった、そんな想い呑みこんだ至近距離を穏やかな声が訊く。
「あと15分ほどで銃座の雪壁に着きます、」
もう15分で着くんだ?
告げられて意外で来し方ふりむいてしまう。
いつの間にか登ってきたらしい、そんな雪の足跡に緊張ゆるやかに昇りだす。
―もうじき撃つんだ、どうか救けられますように…どうか外さないで、
願い唯ひとつ見つめて前に向きなおる。
その前に赤と黒の掌がさしだされた。
「飴ですけど口に入れてください、寒さでエネルギー消耗しているはずです、」
月光あかるい掌の上ちいさな包み、これを見忘れるなんてない。
―オレンジの飴…僕があげた、
ちいさな小さな飴ひとつ、でも時間すべて見せられる。
この一粒に鼓動ごと奪われてしまう、これが君の意志だろうか?
―僕が最初にあげたものだ、ね…
オレンジのど飴、これが君にあげた最初のもの。
あれは駅だった、卒業配置に別れる朝、ひっぱりこまれた特急列車、初めての約束と電話。
『また、連絡する』
あの言葉、どんなに嬉しかった君は知ってるの?
『電車代分、今度おごるから許してくれない?』
また、今度、そんな言葉たち君にはありふれていたろうか?
けれど自分には宝物だった、初めて言われたことだった、そうして降り積もった想いが今に疼く。
―どうして英二、なんで…こんなとこまで付いてくるくせにどうして光一のこと、なんで…?
ほら結局こだわってしまう、自分は。
あなたが他の人を抱いてしまった、この夏が今も惑わせる。
今いるのは冬、厳冬期まだ鎖された雪の山、それなのに夏の現実が苦しい、迷う。
迷うからこそ今この隣にいる心が解からない、なぜ君はここまでする必要があるんだろう?
“伊達さんは、…宮田が僕の同期になったことも、仕組まれたことって考えるんですか?”
さっき自分のパートナーに訊いた質問、あの問いかけ本人にできたらいい?
そう想っても無駄だと想ってしまう、どうせ訊いたところで何も答えてなんかくれない。
こんなふう想えてしまうほど信じられないのは「嘘」それから「秘密」が君から遠ざけるせいだ。
『相手を知らないで判断は難しいだろ、』
さっき自分のパートナーが言ったこと、あれは自分の本音だ。
だって君のこと自分は知らない、解からない、何ひとつ本当は解かってなんかいない。
―任務のためにいるとしても偶然じゃない、観碕さんの罠…それとも英二の?
英二、君は誰?
いま自分がここにいるのは観碕の意志かもしれない、でも君がここにいるのは誰の意志?
君はすべてを知ってここにいるのかもしれない、それは誰のため何のため?なぜ君がここにいる?
君の本音が解からない、君の真意が解からない、けれど手は伸ばされて受けとった相手は微笑んだ。
「用意できたらザイルを引いて下さい、そうしたら歩きだします、」
微笑んで前へ踵返してくれる。
人前でマスク外せないと解かって気を遣う、そんな背中に飴のパッケージそっと破った。
「…、」
マスクの隙間に飴ふくんで、ふわりオレンジ甘い。
懐かしい香に味に視界にじみそうになる、だって遠くに来たと思い知らされる。
『かわいいものを食べるんだな、湯原、』
ほら君が笑う、まだ自分のこと名字で呼んだ懐かしい時間。
あれから一年半が過ぎてゆく、そうして今いる場所は遠すぎると思い知らされる。
―僕だけ見てくれるって信じてた、僕も英二だけを見て…でも今はもう、
もう二度とあの時間は還らない。
そんな想い瞳ふかく温めて滲んで、それでも繋がれたザイル引いた。
「行きますよ?」
きれいな低い声が応えて登山ザックの背が歩きだす。
ヘッドランプの先は森が消える、あの先は行ったことがない世界だ。
―お父さん、森林限界をぬけるよ?
いま任務で歩いている、それでも初めての世界が鼓動を敲く。
いま鼓動つきあげる一年半前が苦しい、痛い、だからこそ未知へ踏みだしたい。
もう3歩で森を抜けるだろう、ざくり雪と氷を踏んでたどって前の背中が停まった。
「これを羽織っていきましょう、雪面では色も目立ちます。ザックごと羽織って下さい、」
白い合羽ひろげ手渡してくれる、そのヘルメットはヘッドランプ消してある。
ならって自分も消すと山ヤも長身に羽織りながら微笑んだ。
「雪壁の裏に入ったらすぐ脱いでください、風に煽られると危ないですから、」
声に肯きながら合羽に袖とおす。
ふっと香る気配がほろ苦く深い、この香に鼓動また毟られる。
―英二の香だ、でも今はもう、
今はもう集中したい、だって森林限界を今超える。
ただ願いごと黒かった腕が白く雪とける、そんな支度に雪が鳴った。
ざくっ、
森の境界に一本、竹竿のさき赤い布ひるがえる。
その傍ら長い白い腕は梢に赤布ひとつ結わえて、端正な横顔は微笑んだ。
「いま森林限界を超えます、風には気をつけてくださいね?」
ほんとうに今、自分はそこへゆく。
―あのとき以来だね、お父さん…僕は行くよ?
森林限界を超えたのは昔ずっと幼い時間、あの時は父がいた。
あの時より自分は大人になった、そうして今は違う目的で超えようとする。
その先は死線かもしれない、それでも幼い日に叶わなかった想い見つめて一歩、雪嶺を踏みだした。
「…あ、」
静かだ、まぶしくて。
(to be continued)
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周太24歳3月
第83話 辞世 act.17-another,side story「陽はまた昇る」
ほら、繋がれてしまう。
―僕でもほどけるかな、エイトノットだと思うんだけど…でも、
見つめるヘッドランプ照らす真中、ザイル繰る手は指が長い。
登山グローブ嵌めたままで器用に結わえてゆく、その手元に記憶が敲く。
タイトロープで安全確保するだけ、そう解かっているのに心ざわついてしまう。
―英二は僕だって解かってるわけじゃない、ただ任務で一緒にいるだけ山岳レンジャーとして当然の判断でして…僕だからじゃない、
心言い聞かせながら溜息こぼれそうになる、だって想いだす。
『周太、俺は今、きみのこと…っ、』
あなたが泣く、あれは何ヶ月前のことだったろう?
『俺は今…君を殺そうとした、…君を、離したくなくて、』
あなたが僕を殺そうとした、あれは初夏の夜だった。
初任科総合で警察学校に戻っていた夜、あのとき自分の喉くるんだ掌が今ザイルを結ぶ。
『ずっと傍にいたくて、どこにも行かせたくなくて…ずっと見つめていたくて離れたくないから、だから首に手を掛けて君を殺そうとしたんだ、』
そう言って泣いたのは、あなただ。
そして自分は言ってしまった、だから今も繋がれる?
『離さないって約束したよね?だから約束を守って、愛しているなら言うこと聴いて、』
あの夜のこと、あなたは憶えているだろうか?
それとも忘れてしまったろうか、だって君が他の人を抱いたのはあの後だ。
―アイガーでもこうしてザイル繋いでたんだ、光一と…なのにどうして?
夏、この人はザイルパートナーと関係を結んでしまった。
それなのに自分のところへ戻りたがる、そうして今ここで再会してしまった。
もう何度も突き放して離れて、それでも最後の今を繋いでしまったザイルがヘッドランプ照らされる。
「ザイルは常にタイト、ぴんと張った状態になるよう歩きます。訓練でしたことありますよね?」
問いかけてくれる手元、黒と赤の登山グローブは端正にザイル締めこむ。
これでもう離れてくれない、ほっとため息吐いたまま山ヤは微笑んだ。
「行きましょう、」
ほんとうに一緒に行くんだ?
そんな想いにヘッドランプの視界、光の輪に結び目は堅い。
結ばれてしまった、そんな想い呑みこんだ至近距離を穏やかな声が訊く。
「あと15分ほどで銃座の雪壁に着きます、」
もう15分で着くんだ?
告げられて意外で来し方ふりむいてしまう。
いつの間にか登ってきたらしい、そんな雪の足跡に緊張ゆるやかに昇りだす。
―もうじき撃つんだ、どうか救けられますように…どうか外さないで、
願い唯ひとつ見つめて前に向きなおる。
その前に赤と黒の掌がさしだされた。
「飴ですけど口に入れてください、寒さでエネルギー消耗しているはずです、」
月光あかるい掌の上ちいさな包み、これを見忘れるなんてない。
―オレンジの飴…僕があげた、
ちいさな小さな飴ひとつ、でも時間すべて見せられる。
この一粒に鼓動ごと奪われてしまう、これが君の意志だろうか?
―僕が最初にあげたものだ、ね…
オレンジのど飴、これが君にあげた最初のもの。
あれは駅だった、卒業配置に別れる朝、ひっぱりこまれた特急列車、初めての約束と電話。
『また、連絡する』
あの言葉、どんなに嬉しかった君は知ってるの?
『電車代分、今度おごるから許してくれない?』
また、今度、そんな言葉たち君にはありふれていたろうか?
けれど自分には宝物だった、初めて言われたことだった、そうして降り積もった想いが今に疼く。
―どうして英二、なんで…こんなとこまで付いてくるくせにどうして光一のこと、なんで…?
ほら結局こだわってしまう、自分は。
あなたが他の人を抱いてしまった、この夏が今も惑わせる。
今いるのは冬、厳冬期まだ鎖された雪の山、それなのに夏の現実が苦しい、迷う。
迷うからこそ今この隣にいる心が解からない、なぜ君はここまでする必要があるんだろう?
“伊達さんは、…宮田が僕の同期になったことも、仕組まれたことって考えるんですか?”
さっき自分のパートナーに訊いた質問、あの問いかけ本人にできたらいい?
そう想っても無駄だと想ってしまう、どうせ訊いたところで何も答えてなんかくれない。
こんなふう想えてしまうほど信じられないのは「嘘」それから「秘密」が君から遠ざけるせいだ。
『相手を知らないで判断は難しいだろ、』
さっき自分のパートナーが言ったこと、あれは自分の本音だ。
だって君のこと自分は知らない、解からない、何ひとつ本当は解かってなんかいない。
―任務のためにいるとしても偶然じゃない、観碕さんの罠…それとも英二の?
英二、君は誰?
いま自分がここにいるのは観碕の意志かもしれない、でも君がここにいるのは誰の意志?
君はすべてを知ってここにいるのかもしれない、それは誰のため何のため?なぜ君がここにいる?
君の本音が解からない、君の真意が解からない、けれど手は伸ばされて受けとった相手は微笑んだ。
「用意できたらザイルを引いて下さい、そうしたら歩きだします、」
微笑んで前へ踵返してくれる。
人前でマスク外せないと解かって気を遣う、そんな背中に飴のパッケージそっと破った。
「…、」
マスクの隙間に飴ふくんで、ふわりオレンジ甘い。
懐かしい香に味に視界にじみそうになる、だって遠くに来たと思い知らされる。
『かわいいものを食べるんだな、湯原、』
ほら君が笑う、まだ自分のこと名字で呼んだ懐かしい時間。
あれから一年半が過ぎてゆく、そうして今いる場所は遠すぎると思い知らされる。
―僕だけ見てくれるって信じてた、僕も英二だけを見て…でも今はもう、
もう二度とあの時間は還らない。
そんな想い瞳ふかく温めて滲んで、それでも繋がれたザイル引いた。
「行きますよ?」
きれいな低い声が応えて登山ザックの背が歩きだす。
ヘッドランプの先は森が消える、あの先は行ったことがない世界だ。
―お父さん、森林限界をぬけるよ?
いま任務で歩いている、それでも初めての世界が鼓動を敲く。
いま鼓動つきあげる一年半前が苦しい、痛い、だからこそ未知へ踏みだしたい。
もう3歩で森を抜けるだろう、ざくり雪と氷を踏んでたどって前の背中が停まった。
「これを羽織っていきましょう、雪面では色も目立ちます。ザックごと羽織って下さい、」
白い合羽ひろげ手渡してくれる、そのヘルメットはヘッドランプ消してある。
ならって自分も消すと山ヤも長身に羽織りながら微笑んだ。
「雪壁の裏に入ったらすぐ脱いでください、風に煽られると危ないですから、」
声に肯きながら合羽に袖とおす。
ふっと香る気配がほろ苦く深い、この香に鼓動また毟られる。
―英二の香だ、でも今はもう、
今はもう集中したい、だって森林限界を今超える。
ただ願いごと黒かった腕が白く雪とける、そんな支度に雪が鳴った。
ざくっ、
森の境界に一本、竹竿のさき赤い布ひるがえる。
その傍ら長い白い腕は梢に赤布ひとつ結わえて、端正な横顔は微笑んだ。
「いま森林限界を超えます、風には気をつけてくださいね?」
ほんとうに今、自分はそこへゆく。
―あのとき以来だね、お父さん…僕は行くよ?
森林限界を超えたのは昔ずっと幼い時間、あの時は父がいた。
あの時より自分は大人になった、そうして今は違う目的で超えようとする。
その先は死線かもしれない、それでも幼い日に叶わなかった想い見つめて一歩、雪嶺を踏みだした。
「…あ、」
静かだ、まぶしくて。
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