境界へ
周太24歳3月
第83話 辞世 act.21-another,side story「陽はまた昇る」
嫌だ。
そう言われたら拒絶だって想うだろう?
けれど今はその逆だ、だからこそ頷けなくて周太は首ふった。
「…、」
無言の意思表示、これでもこの人には伝わるだろう。
それなのに蒼い闇の雪の上、月明かりに低い声は微笑んだ。
「嫌です、あなたを無事に下山させるところまでが私の任務ですから、」
月光あわい雪壁の翳、白皙の微笑が自分を見る。
その切長い瞳まっすぐ自分を映して低いきれいな声が笑った。
「あなたが狙撃を任務とするように私は山で人を援けることが任務です、その任務は警察官としても山の人間としてもプライド懸けて譲れません、」
譲れない、あなたならそうだと解っている。
―でも英二、お願いだから…僕だってプライド懸けてるんだ、
今あなたの名前を呼んで願いたい。
もし名前を呼んだら納得して下山するだろうか、それとも尚更に留まるだろうか?
どちらを選んでくれるのだろう、知りたいけど確かめられないまま端正な唇が語る。
「あなたも狙撃手になるには覚悟と時間を費やしてきましたよね?私も同じです、山岳救助隊として信頼されるまで本当は何度も泣いています、」
あなたが泣いたこと、忘れてなんかいない。
『背負っていた背が、がくんと軽くなった。命には重みがある事があの瞬間に教えられた、あの重みを、俺は、ずっと、覚えていたい…』
あれは秋、卒業配置まもない英二は知人の死を背負った。
御岳の山を教えてくれた人だった、その死が英二を山岳救助隊員に育んだ。
「みっともない事もたくさん晒してここまで来ました、後悔も沢山ありすぎます、」
ほら、あのころのまま言葉まっすぐ話してくれる。
今は秘密も嘘も挟まりすぎて、それなのに真摯な眼ざしが微笑んだ。
「後悔するからこそ今ここで退けません、今までのぜんぶ懸けて退きません、」
英二、あなたの後悔はどれのこと?
聴きたいけれど訊けない、今はそんな時じゃない。
それでも薄闇に見つめる瞳はまっすぐ自分を映して、低いきれいな声は誇らかに言った。
「あなたは俺の上司ではないし山のプロじゃない、ここでは俺の判断を優先します、」
誰が何を言っても変らない。
そんな意志まっすぐ笑って雪壁の影、長い腕がザイルたぐり雪さぐる。
凍てつく蒼い雪はすこし盛りあがって、手慣れた登山グローブが一点にタオル巻きつけた。
こんっ、
ハンマー振りあげタオルに撃ちこむ。
あの手元はハーケンがあるのだろう、そんな音に意志が謳う。
こんっ、こんっ、
音にぶく籠って響かない、けれど鼓動ふかく敲かれる。
だってハーケン繋がれたザイルは自分と彼を結わえて離さない。
―英二、どうしてこんなこと…あなたは誰?
こんなことしてまで離れない、死ぬかもしれないのに?
なぜ離れようとしないのだろう、ただ任務のためだと言うのだろうか?
『あの重みを、俺は、ずっと、覚えていたい…』
あの秋に泣いたひと、あの涙と言葉を今も憶えているだろうか?
憶えているからこそ今ここからも逃げてくれないのだろうか?
そんな横顔ただ見つめる耳元、かちりスイッチ音に掌かぶせた。
「…S1-2 from S1、preparation、」
チーム名、そして常と違う単語が告げる。
いつも聴いている声、けれど緊張くゆらすトーン言葉にそっと答えた。
「Yes、」
今回のターゲットは山岳ガイド、山のプロとして無線機を装備している。
この通信だって傍受される可能性がゼロじゃない、そんな指示に片膝ついて声また続いた。
「Safe return」
ほら、願ってくれる。
―こんなこと言って大丈夫かな伊達さん?でも…嬉しい、ね?
“safe return” 安全帰還
この言葉を今、自分に言ってくれる意志は何か?
こんな場所まで届けてくれた祈りにそっと微笑んだ。
「…You too」
こんなこと言ったら「大丈夫じゃない」だろう?
決められた以外の通信など叱責される、けれど伊達も解かって言った。
そんなパートナーに自分も応えたいだけだ、それくらいの意思表示はもうしてきた。
『もう誰ひとり殺させません、』
そう告げた相手は自分の上官で、そして父のパートナーだったひと。
彼は今この言葉どんな思いで聴いたろう、それとも「報告」するだろうか?
―班長は観碕さんに言うのかな、それとも…僕が死んだら報告するだけ、かな、
考えながら肩のスリング外し雪壁のはざまを望む。
斜面ゆるやかに薄墨あわく這いあがる、あの雪煙かすめて撃たなくてはいけない。
絶対に「外さない」そして誰も殺させない、もう誰にも。
(to be continued)
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