萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

第83話 辞世 act.19-another,side story「陽はまた昇る」

2015-10-09 09:22:08 | 陽はまた昇るanother,side story
白紗の底で
周太24歳3月



第83話 辞世 act.19-another,side story「陽はまた昇る」

空って、こんなふう境目があるんだ?

夜の紺青色と蒼白の影、星空と夜の吹雪。
ふたつ分かれた境界線が頭上かぶさる、白い粒子がマスクかすめて冷気が裂く。
駆けようとする足、けれどアイゼンの底どこか滑って氷咬まれて進めない。

「…っ、はぁっ」

息がつまる、呼吸が熱い、鼓動から絞めあげられる。
胸せりあげる感覚が喉ふるわす、咳こんで冷気が肺を突く。

「ごほっ、ぅぐっ、」

咳呑みこんで見つめる先、紺青色と雪嶺の境に白い合羽ひるがえる。
蒼白い雪壁から金属音が響く、あれがハーケンの歌だろうか?

かんっ、かこんっ、

青い腕ふりあげられ白い合羽がなびく、まるで翼みたいだ。
もう白皙の顔が見えてくる、その端正な口が怒鳴った。

「飛びこめっ、受けとめてやる来い!」

ああ、この言葉ずっと聴きたかったんだ?

“ 受けとめてやる、来い ”

誰かに、ずっと誰かに受けとめてほしかった。
そんな本音いまさら気づかされる、そして思いだしてしまう。
もう一昨年になってしまう秋の朝、9月の終わり黄葉あわい公園、あのベンチで幸せだった。

『俺の隣に居て欲しい。湯原の隣に、俺は居たい』

今あの瞬間だけ見つめてもゆるされる?ただ思いきりアイゼン蹴って飛びこんだ。

「っ…は、…っ、」

息吐いて膝くずれこんだ雪壁の影、雪面ついた手が黒いグローブ透かして凍みてくる。
鼓動どんどん肺ひっぱたく、呼吸が熱くて喉灼かれて苦しい。

―でも咳きこんじゃダメだ、こんなところで起きないで発作、

息荒く凍えて白くゆらせる、その視界が蒼く白い。
もう隠れられる場所にいる、安堵ごと青い腕にひきよせられた。

「間に合いましたね、よかった、」

低くきれいな声が笑って温もりくるまれる。
ほろ苦い香かすめて甘くて、けれど呼吸が苦しい。

「…っ、ぅ、」

咳きこみそうになる、呑みこんで治めてまた迫り上げる。
堪える咳に胸そっと抱えうずくまる先、紺青色の星空を蒼白い影おおいだす。

―吹雪の雲なんだね、あれが…おとうさん、

標高はるかな雪嶺の夜、雲おおらかに覆ってゆく。
視界かすめる冷気また強くなる、睫から凍える風に声が聴こえた。

「登頂、ビバークに入ります、」

無線で話しているのだろう?
そう気づいてすぐ機械音かちり切れて、きれいな低い声が笑いかけた。

「ツェルトで吹雪を凌ぎましょう、この雪壁で小屋からは見えないので安心してください、」

説明しながら登山ザック降ろし簡易テント張ってゆく。
雪壁の蒼い影、手慣れた作業に彼の月日が見える。

―こんなに速くできるんだね、英二…初めて会った時と別の人みたい、

初めて会ったのは春三月、警察学校の門の前だった。
桜ふる乾いた風の初対面は「傲慢」それから「苦労知らず」そして「寂寞」しかない。

『こんど会う時まで、その無愛想なんとかしとけよ。結構かわいい顔してんだからさ、』

あんな失礼なこと言った相手、それも同齢で同性の男。
仮面のような笑顔、高価そうな車と派手な女性、着ているものから不実で自堕落な男だった。
こんな男と同期になるのは面倒だ、そう軽蔑すらした相手に今こんな想い抱えこんで見つめている。

―すっかり山に慣れてかっこいいな…こんなこと想うなんて想わなかった、僕は、

嫌なヤツ、そうとしか想えなかったのに?
要領ばかり良くて努力なんかしない、顔ばかり良くて誠実のかけらも無い。
そんなふうに想っていた、それなのに今は真摯な眼ざしで山ヤの警察官が微笑んだ。

「失礼します、」

端正な言葉きれいな低い声、そんな腕に抱きよせられる。
ツェルト一枚に空覆われて風音すこし遠のく、でも雪の気配が近くなる。
それでも体は青い登山ウェアの懐くるまれ香ほろ苦く甘くて、温かくて竦む。

―英二に抱きしめられてる、こんなときに…どうして、

どうして君は今、ここにいるのだろう?

『結構かわいい顔してんだからさ、』

あんなふう言われて肚が立った、だから髪やたら短く切ってしまった。
かわいいなんて馬鹿にしている、そう想えて肚立って、だから入校式の再会も苛立った。
そんな相手が今ここで自分を抱きよせ護ろうとする、こんな廻りあわせに懐かしい声が告げた。

「気温が明方にむかって下がります、」

ツェルトせまい空間と雪の音、けれど低い声はきれいに透る。
この声いつのまにか大好きになった、今も呼吸まだ苦しいのに聴きたい声が微笑んだ。

「かなり冷えこむのでこの装備だと温め合わないと凌げません、吹雪に巻かれると尚更です。男の膝なんて気持ち悪いでしょうけど我慢してください、」

あ、今なんて言ったの?
そう考えかけて体ふわり抱きあげられた。

「…っ、」

呑みこんだ呼吸すぐ温もりくるまれる。
さっきまで脚は雪面に硬かった、けれど今やわらかな体温の暗がり綺麗な声が言った。

「雪の夜明は不慣れだと低体温症も起こしかねません、任務に差し支えたら困ります、」

抱きあげられている、この人の膝の上に。
その温もりアサルトスーツも透かして沁みる、こんな人を自分は巻き込むのだろうか?

―僕が発砲したらきっと、この雪壁が崩れて…雪崩がおきる、

ここから狙撃する、そのために連れて来てくれたひと。
どんな結果になるか知らない筈がない、山のプロなら解からない筈がない。
それでも逃げなかった、こうして今も膝の上に抱きあげ低温から庇おうとしてくれる。

「冷えてきましたね、喉は乾きませんか?」

また気遣ってくれる、その声にかすかな音さらさら敲きだす。
ツェルト一枚むこう吹雪かすめてゆく、そんな気配に大きな掌が手をくるみこんだ。

「紅茶です、」

きれいな低い声が告げた、ふわり光の輪が明るます。
ヘッドランプ点けてくれた青いヘルメットの影、その切長い瞳すぐ間近に笑ってくれた。

「蓋開けると飲み口があるので飲んで下さい、熱いから気をつけて?」

こんなふうに言ってもらったことがある、この声、この笑顔に。

―変わってないんだ、ううん…前よりかっこよくなった、ね?

雪ふる音さらさら絶え間ない、風の唸り通るごとツェルトふるえて波うつ。
雪も風も吼えゆく嵐の底、ちいさな光と見つめてくれる笑顔が優しい。

「吹雪にビバークは俺も初めてなんです、でも去年の三月に一度だけ危なかったことがあります、」

去年の三月、その言葉に鼓動つかまれる。

―遭難事故のことだ、去年の英二の、

去年三月、このひとは死に瀕した。
あの哀しい春の雪の夜、不安と希望のはざま自分は付添うしか出来なかった。
あんなふうに自分は無力で、そのままに今も吹雪の底もどかしい記憶を低い声がつむぐ。

「雪崩で谷へ落とされました、でもブッシュ帯、草叢があってスピードが緩んだのと落ちた先の雪がちょうどいい深さだったので助かりました、」

あれから一年が経つ、あのとき生死の境を超えたひとが今ここにいる。
だからこそ今も護りたい、そのために自分が出来ることは一つだろう。

―すぐ下山してもらおう、吹雪が治まったらすぐに…理由ちゃんと考えて、

きっと説得は簡単じゃない。
それだけ誠実な人だと今は知っている、考えこみながら俯きマスクずらす。
出した口もと冷気かすめる、渡されたテルモスの蓋はずし飲み口そっと啜りこんだ。

「そのとき助けに来てくれた仲間が今日も待機しています、この山に詳しい仲間も来ています、だから無事に必ず下山できますよ?」

きれいな低い声が笑いかける、その声に紅茶が香り温かい。
やわらかな馥郁あまく熱く喉おちる、胸ほっと温められて呼吸ゆるく落着かす。

―楽になる、ね…空気は薄いけど、

最後のダッシュが苦しかった、肺から冷えて痛んだ。
冷たい乾いた風に喉が裂かれるようだった、今も発作せりあげそうで怖い。
それ以上にほんとうは、なによりも誰よりも今この温もりくれる人を護りたくて、恐い。

「打ちあわせに立ち会われていたから解かるでしょうけど、俺のザイルパートナーは上官でもあるんです。山に生きている佳い男ですよ、」

ほら、話してくれる声は優しい。
その言葉も自分には優しくて懐かしくて、だから怖くなる。
だって「知っている」ことばかり話しだす、これは君からの意思表示なのだろうか?

「いつも笑って真剣で、誰より山を憎みながらも愛していて。山ヤなら誰もが山を愛するだろうけど、あいつは憎むからこそ愛してるのかもしれません、」

どうして「あいつ」の話をするの?

―どうして光一のこと話して…僕だって解かってるって言いたいの、英二?

話しれる「俺のザイルパートナー」は自分の幼馴染、それを当然この人は知っている。
それを今ここで話す意図は何だろう?ただ頷いて相槌しながら紅茶は温かい。

「そのパートナーには俺、いっぱい迷惑かけまくってるんです。仕事でもプライベートでも山をたくさん教わって、家族や恋愛まですごい迷惑かけています。だから帰ったら今までの借りきちんと返したいです、仕事でもプライベートでも今度はあいつのワガママいっぱい聴いてやります、」

ヘッドランプの小さな明かり、懐かしい声、そして雪と風の音。
薄暗いせまい空間で体温ひとつ抱きこめられる、その温もりに大好きな声が笑いかけた。

「でもね、そいつ以上にもっと迷惑かけまくってる人がいるんです。俺の身勝手でいつも振り回して、秘密も嘘もたくさん作ったんです、」

とくん、

鼓動そっと敲かれる、だって今なにを言おうとしているの?
こんな場所で君は何を告げるつもりだろう、すべて透かすようなきれいな低い声は微笑んだ。

「ほんとうは秘密も嘘も俺は嫌いです、嫌いだからこそ大事な人のためなら出来ると想っています、自分のプライドよりも大事な人だから、」

自分より大事、どうして?

―僕こそ護りたいのに、英二…でも僕は、

大事だから大切だから護りたい、そのためには何でも出来ると信じている。
出来ると信じたくて、けれど今だって君はここまで付いて来てしまった、こんな自分を護ろうと抱きしめてくれる。

―どうして英二、僕は本当は…解からないのに今もう、

解からない、君は誰?

今もう解からなくなっている、どうして君は自分と出逢ったのだろう?
なぜ君は自分を大事だと言うのだろう、その言葉の底にある真実はどこにある、それを唯ほんとうは知りたい。

―今言ってくれるとおりなら英二、僕を大事にして何の幸せがあるの?

ほら疑問こみあげてしまう、だってずっと考えていた。

―男の僕を好きになってどうするの?英二はなんでこんなことまでするの…どうして、こんな、

いまツェルトの影でヘッドランプひとつ燈るだけ、それでも聴こえる低い声は美しい。
その声のまま端整な貌は白皙まばゆく惹きつける、切長い瞳は長い睫に華やかなくせ鎮まり深い。
どこまでも美しい男、真摯な一途は才能ゆたかに育んで強くて、そんな人がなぜ同性の自分をこんなに追ってくる?

あなたは誰?でも今はそれも構わない。

―あなたが誰かなんて僕には解からない、でも英二、英二は自由に生きていいんだ…僕のためなんて、もういいんだ、

どうか自分のためなんて願い、もう棄てて?

だって今もうそんな時じゃない、そんな場所じゃない、この吹雪が止めば刻限は来る。
自分が14年かけて追いかけた父の真実、その知りたかった瞬間にあなたまで立会う必要なんかない。
そこが自分の涯かもしれない、それでも逃げたら後悔する過去に誰も巻きこまないことが自分のプライドで、だから追わないで?

「その人のためなら俺なんでも出来るんです、だから俺は絶対にその人のところへ帰ります。そういうの警察官なら誰も同じかもしれませんが、」

きれいな低い声、懐かしい声、あのころと変わらない惹きつける声。
けれど前よりすこし深くなった、こんな変化まぶしくて惹かれて、そしてまた迷って願ってしまう。

この美しい人に自由をあげたい、唯それだけを。


(to be continued)

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