Beholds the light, and whence it flows, 燈火の花
第83話 雪嶺 act.17-side story「陽はまた昇る」
素足の床が凍える。
雪ふる窓の廊下は鎮まらす、もう夕刻の病院は人気も少ない。
それともこのフロアだけ特別だろうか、そんな状況に英二は微笑んだ。
「…極秘だもんな、」
今ここに収容された人は「極秘」隠したい事実だろう?
けれど自分が晒してしまった、それでも静かな病棟の片隅ポケットから携帯電話だした。
From :中森
subject:無題
本 文 :無事の確認いたしました。
ただ一行、それでも明確に伝わらす。
この発信人なら滞りないだろう、ほっと息ついてTシャツの胸元ふれた。
「馨さん…これでよかったですか?」
指先なぞる輪郭はありふれた鍵の形。
どこにでもある家の合鍵、けれど自分には今この手にある全てだ。
『あなたにしか出来ない、あなただけにしかあの子の隣はいられない…私はあなたを信じるしか出来ない、』
おだやかな優しい声が泣く、そして合鍵ひとつ与えられる。
あの涙の願い探し続けて今ここに立つ、あの声は自分にとって眩しかった。
送りだす息子と亡くした夫、唯ふたりの家族にむける涙は無条件で無償の願いだ。
―でも母さんは美幸さんみたいには泣かない、これからもずっと、
美幸は夫を亡くし息子ひとり育てあげた。
そんな女性の泣顔は自分に眩しい、それは手に入らない所為だ。
そんな現実は今この廊下にも解る、ひとり裸足で歩きながら15秒前が映りこむ。
『湯原も無事だ、熱は下がりきってないが咳は落着きだしてる、ご家族が付添ってるから安心しろ、』
家族が付添っている。
そう言われた瞬間、遠くなった。
―周太には美幸さんが来てくれる、でも俺には誰も来ない、
誰もいない、自分には。
思い知らされて、けれどあまり哀しくもない。
こんな現実だと元から解っている、なにより報せるなと言ったのは自分だ。
“ご無事の確認いたしました。”
家宰からのメールは「確認」の報せ。
それは自分が望んだこと、そのため今こんな怪我も負っている。
こうなると最初から解かっていて、だから指示した涯に鼓動すこし痛い。
―でもテレビ観たならって思ってる、俺…未練がましいな、
口もと自嘲に微笑んで廊下の爪先から冷えてゆく。
音もなく歩く窓は雪がふる、きっと朝には新雪が深い。
そうして雪崩の爪痕すら白く蔽って、すべては呑まれて沈む。
「…あのままなら幸せだったかな、俺、」
そっと声にして確かめる、だって幻のようだ。
眺める窓に山は夜しずむ、けれど雪嶺で聴いた声が響く。
『ごめんねえい、じ…っごほっ』
ほら君の声だ。
ずっと聴きたかった君の声、けれど謝ってほしかったわけじゃない。
どうして君が謝るのだろう、なぜ君は謝ったのだろう?なにが君を謝らせる?
そんな疑問ごと声もう一度だけ聴きたい、唯ひとつの願いに扉を開けた。
かたん、
音かすかに開いて、病室には誰もいない。
マットレス外されたベッドの並ぶ部屋、その窓へ歩みより鍵を開けた。
「は…、」
冷気しのびこんで頬ふれる、吐いた息も凍えて白い。
雪明かり蒼く梢をえがく、もう夜になるベランダへ踏みだした。
さくり、
素足に雪ふれる、このまま積もるのだろう。
あわい雪踏んで見おろした先、中庭も銀色あわく照らしだす。
これなら見つかることはないだろう、微笑んでベランダの境しきる柵を右手つかんだ。
「よっ、」
呼吸ひとつ、右腕一本に支え飛び越える。
むこう側ふわり降りたって、静かに歩き柵また右手に掴む。
…さくっ、
かすかな雪音が素足ふれる。
冷気じわり肌沁みてゆく、たぶん紅くなっているだろう。
そんな繰りかえし3つほど超えて角の部屋、覗いた窓に微笑んだ。
「…周太、」
白いベッドの上ふとんの中、眠れる貌はランプの灯り温かい。
黒髪やわらかに時おり揺れて艶めく、まだ咳が出るのだろう。
その傍ら、まとめ髪きれいな横顔がふり向いた。
「…、」
唇ひらいて何か言った、けれどガラス遮られ聞えない。
それでも何を言いたいのか解ってしまう、ただ微笑んだむこう窓が開いた。
「英二くん、こんな…どうして?」
呼んでくれる声は驚いて、けれど柔らかなアルトは変わらず優しい。
ただ嬉しくて再会に笑いかけた。
「脱け出して来たんです、入っていいですか?」
「もちろんよ、早く入って?」
すぐ招き入れて窓そっと閉めてくれる。
いま事態を解かっているのだろう、この聡明な女性に笑いかけた。
「こんばんは美幸さん、仕事のまま来たんですか?」
山麓の総合病院の個室、深い栗色のスーツ姿が見あげてくれる。
きっと職場で報せを受けたのだろう、その黒目がちの瞳が頷いた。
「ええ、出勤してすぐ電話を戴いたの…すぐ家に帰って支度して、」
アルト穏やかに話しながらボストンバッグ開いてくれる。
タオルひとつ出して、こちら見つめて彼女は言った。
「新幹線で号外を見たわ、周太を背負った英二くんの写真…息が止まったわ、」
ああ、ちゃんと「無事」だったな?
家宰のメールどおりに聴いた前、華奢な手はタオル差しだしてくれた。
「雪で濡れたでしょう、風邪ひかないように拭いて、」
「ありがとうございます、」
素直に受けとって肩すこし拭う。
紺色のTシャツ雪いくつか染みる、すぐ乾くだろう。
そんな前で黒目がちの瞳は頭から爪先ながめ、すこし笑ってくれた。
「英二くん裸足じゃないの…それで雪のベランダを歩いてきたの?」
「足音を隠したかったんです、」
応え笑いかけて、その真中で黒目がちの瞳が見つめてくれる。
まとめ髪こぼれる後れ毛にランプ揺れて、そして頬を光伝った。
「英二くん、その怪我は周を助けたせいね?」
やわらかなアルトの声ゆれる。
黒目がちの瞳を涙あふれて揺れて、優しい唇が微笑んだ。
「ありがとう英二くん、ごめんなさい…ごめんなさい英二くん、」
ありがとう、ごめんなさい。
言葉ふたつ微笑んで涙こぼれて落ちる。
スーツの胸もと栗色の濃くなる、ランプの灯りの下やさしい声は言った。
「私との約束を守ってくれたのでしょう?それでこんな怪我…山に登る人なのに肩と腕、利き手まで…ごめんなさい、」
山に登る人なのに。
そんな言葉に彼女の想い伝わらす。
その涙ごと受けとめたくて包帯の左腕と笑った。
「そんなに心配しないで下さい、包帯ぐるぐる巻きだけど折れてはいないんですよ?打撲と軽い脱臼だけです、すぐ現場復帰します、」
本当にそれだけだ、左腕は。
ただ事実と笑いかけた先、優しい瞳ほっと和んだ。
「よかった…英二くんの体ほんとうに強いのね、お母様に感謝だわ、」
今ここで母が出てくるんだ?
こんな発言すこし途惑わされる、けれど素直に微笑んだ。
「そうですね、頑丈だけが取り柄だけど、」
「あら…見た目も大したもんよ?こんなイケメン、」
また少し笑ってくれる、その瞳さっきより明るい。
すこしでも心ほぐれてくれたろうか、そんな間合いに笑いかけた。
「朝から美幸さん、ずっと周太に付き添ってたんでしょう?すこし休憩してきてください、俺が看てますから、」
母ひとり子ひとり、それだけの家族。
いま付添いの代りも頼めない、この現実に彼女は微笑んだ。
「ありがとう、でも英二くんこそ脱け出してきたのでしょう?…大丈夫なの?」
「俺はなんとでもなります、いってらっしゃい、」
笑いかけてベッドサイドの椅子へ腰下ろす。
そんな態度にスーツ姿の母親は笑ってくれた。
「じゃあ10分だけ…廊下にお目付いるから気をつけてね?」
やっぱり見張りがいる。
そう情報くれた人は微笑んで、扉細く開けると外へ出た。
「飲み物を買ってきます、すぐ戻りますのでお願いします、」
「はい、どうぞ?」
会話する声ふたつ聞えて足音ひとつ遠ざかる。
こつこつパンプスのヒール響いて、そして静謐にひとり微笑んだ。
―今の声、たぶんそうだ?
いま美幸と会話した声、あの声は記憶にある。
きっと自分が考えた通りだろう、その賭けに笑ってベッド覗きこんだ。
「…周太、」
そっと呼びかける真中、白い枕に寝顔は安らぐ。
記憶より細くなった頬、白くなった肌、けれど瞑った睫は変わらず長い。
この瞳に見つめられたくて追いかけた、そんな涯の夜に願いごと笑いかけた。
「…周太、俺のこと好きなら目を覚ましてよ?」
お願い、今すこし瞳を開けて?
(to be continued)
【引用詩文:William Wordsworth「Intimations of Immortality from Recollections of Early Childhood」】
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英二24歳3月
第83話 雪嶺 act.17-side story「陽はまた昇る」
素足の床が凍える。
雪ふる窓の廊下は鎮まらす、もう夕刻の病院は人気も少ない。
それともこのフロアだけ特別だろうか、そんな状況に英二は微笑んだ。
「…極秘だもんな、」
今ここに収容された人は「極秘」隠したい事実だろう?
けれど自分が晒してしまった、それでも静かな病棟の片隅ポケットから携帯電話だした。
From :中森
subject:無題
本 文 :無事の確認いたしました。
ただ一行、それでも明確に伝わらす。
この発信人なら滞りないだろう、ほっと息ついてTシャツの胸元ふれた。
「馨さん…これでよかったですか?」
指先なぞる輪郭はありふれた鍵の形。
どこにでもある家の合鍵、けれど自分には今この手にある全てだ。
『あなたにしか出来ない、あなただけにしかあの子の隣はいられない…私はあなたを信じるしか出来ない、』
おだやかな優しい声が泣く、そして合鍵ひとつ与えられる。
あの涙の願い探し続けて今ここに立つ、あの声は自分にとって眩しかった。
送りだす息子と亡くした夫、唯ふたりの家族にむける涙は無条件で無償の願いだ。
―でも母さんは美幸さんみたいには泣かない、これからもずっと、
美幸は夫を亡くし息子ひとり育てあげた。
そんな女性の泣顔は自分に眩しい、それは手に入らない所為だ。
そんな現実は今この廊下にも解る、ひとり裸足で歩きながら15秒前が映りこむ。
『湯原も無事だ、熱は下がりきってないが咳は落着きだしてる、ご家族が付添ってるから安心しろ、』
家族が付添っている。
そう言われた瞬間、遠くなった。
―周太には美幸さんが来てくれる、でも俺には誰も来ない、
誰もいない、自分には。
思い知らされて、けれどあまり哀しくもない。
こんな現実だと元から解っている、なにより報せるなと言ったのは自分だ。
“ご無事の確認いたしました。”
家宰からのメールは「確認」の報せ。
それは自分が望んだこと、そのため今こんな怪我も負っている。
こうなると最初から解かっていて、だから指示した涯に鼓動すこし痛い。
―でもテレビ観たならって思ってる、俺…未練がましいな、
口もと自嘲に微笑んで廊下の爪先から冷えてゆく。
音もなく歩く窓は雪がふる、きっと朝には新雪が深い。
そうして雪崩の爪痕すら白く蔽って、すべては呑まれて沈む。
「…あのままなら幸せだったかな、俺、」
そっと声にして確かめる、だって幻のようだ。
眺める窓に山は夜しずむ、けれど雪嶺で聴いた声が響く。
『ごめんねえい、じ…っごほっ』
ほら君の声だ。
ずっと聴きたかった君の声、けれど謝ってほしかったわけじゃない。
どうして君が謝るのだろう、なぜ君は謝ったのだろう?なにが君を謝らせる?
そんな疑問ごと声もう一度だけ聴きたい、唯ひとつの願いに扉を開けた。
かたん、
音かすかに開いて、病室には誰もいない。
マットレス外されたベッドの並ぶ部屋、その窓へ歩みより鍵を開けた。
「は…、」
冷気しのびこんで頬ふれる、吐いた息も凍えて白い。
雪明かり蒼く梢をえがく、もう夜になるベランダへ踏みだした。
さくり、
素足に雪ふれる、このまま積もるのだろう。
あわい雪踏んで見おろした先、中庭も銀色あわく照らしだす。
これなら見つかることはないだろう、微笑んでベランダの境しきる柵を右手つかんだ。
「よっ、」
呼吸ひとつ、右腕一本に支え飛び越える。
むこう側ふわり降りたって、静かに歩き柵また右手に掴む。
…さくっ、
かすかな雪音が素足ふれる。
冷気じわり肌沁みてゆく、たぶん紅くなっているだろう。
そんな繰りかえし3つほど超えて角の部屋、覗いた窓に微笑んだ。
「…周太、」
白いベッドの上ふとんの中、眠れる貌はランプの灯り温かい。
黒髪やわらかに時おり揺れて艶めく、まだ咳が出るのだろう。
その傍ら、まとめ髪きれいな横顔がふり向いた。
「…、」
唇ひらいて何か言った、けれどガラス遮られ聞えない。
それでも何を言いたいのか解ってしまう、ただ微笑んだむこう窓が開いた。
「英二くん、こんな…どうして?」
呼んでくれる声は驚いて、けれど柔らかなアルトは変わらず優しい。
ただ嬉しくて再会に笑いかけた。
「脱け出して来たんです、入っていいですか?」
「もちろんよ、早く入って?」
すぐ招き入れて窓そっと閉めてくれる。
いま事態を解かっているのだろう、この聡明な女性に笑いかけた。
「こんばんは美幸さん、仕事のまま来たんですか?」
山麓の総合病院の個室、深い栗色のスーツ姿が見あげてくれる。
きっと職場で報せを受けたのだろう、その黒目がちの瞳が頷いた。
「ええ、出勤してすぐ電話を戴いたの…すぐ家に帰って支度して、」
アルト穏やかに話しながらボストンバッグ開いてくれる。
タオルひとつ出して、こちら見つめて彼女は言った。
「新幹線で号外を見たわ、周太を背負った英二くんの写真…息が止まったわ、」
ああ、ちゃんと「無事」だったな?
家宰のメールどおりに聴いた前、華奢な手はタオル差しだしてくれた。
「雪で濡れたでしょう、風邪ひかないように拭いて、」
「ありがとうございます、」
素直に受けとって肩すこし拭う。
紺色のTシャツ雪いくつか染みる、すぐ乾くだろう。
そんな前で黒目がちの瞳は頭から爪先ながめ、すこし笑ってくれた。
「英二くん裸足じゃないの…それで雪のベランダを歩いてきたの?」
「足音を隠したかったんです、」
応え笑いかけて、その真中で黒目がちの瞳が見つめてくれる。
まとめ髪こぼれる後れ毛にランプ揺れて、そして頬を光伝った。
「英二くん、その怪我は周を助けたせいね?」
やわらかなアルトの声ゆれる。
黒目がちの瞳を涙あふれて揺れて、優しい唇が微笑んだ。
「ありがとう英二くん、ごめんなさい…ごめんなさい英二くん、」
ありがとう、ごめんなさい。
言葉ふたつ微笑んで涙こぼれて落ちる。
スーツの胸もと栗色の濃くなる、ランプの灯りの下やさしい声は言った。
「私との約束を守ってくれたのでしょう?それでこんな怪我…山に登る人なのに肩と腕、利き手まで…ごめんなさい、」
山に登る人なのに。
そんな言葉に彼女の想い伝わらす。
その涙ごと受けとめたくて包帯の左腕と笑った。
「そんなに心配しないで下さい、包帯ぐるぐる巻きだけど折れてはいないんですよ?打撲と軽い脱臼だけです、すぐ現場復帰します、」
本当にそれだけだ、左腕は。
ただ事実と笑いかけた先、優しい瞳ほっと和んだ。
「よかった…英二くんの体ほんとうに強いのね、お母様に感謝だわ、」
今ここで母が出てくるんだ?
こんな発言すこし途惑わされる、けれど素直に微笑んだ。
「そうですね、頑丈だけが取り柄だけど、」
「あら…見た目も大したもんよ?こんなイケメン、」
また少し笑ってくれる、その瞳さっきより明るい。
すこしでも心ほぐれてくれたろうか、そんな間合いに笑いかけた。
「朝から美幸さん、ずっと周太に付き添ってたんでしょう?すこし休憩してきてください、俺が看てますから、」
母ひとり子ひとり、それだけの家族。
いま付添いの代りも頼めない、この現実に彼女は微笑んだ。
「ありがとう、でも英二くんこそ脱け出してきたのでしょう?…大丈夫なの?」
「俺はなんとでもなります、いってらっしゃい、」
笑いかけてベッドサイドの椅子へ腰下ろす。
そんな態度にスーツ姿の母親は笑ってくれた。
「じゃあ10分だけ…廊下にお目付いるから気をつけてね?」
やっぱり見張りがいる。
そう情報くれた人は微笑んで、扉細く開けると外へ出た。
「飲み物を買ってきます、すぐ戻りますのでお願いします、」
「はい、どうぞ?」
会話する声ふたつ聞えて足音ひとつ遠ざかる。
こつこつパンプスのヒール響いて、そして静謐にひとり微笑んだ。
―今の声、たぶんそうだ?
いま美幸と会話した声、あの声は記憶にある。
きっと自分が考えた通りだろう、その賭けに笑ってベッド覗きこんだ。
「…周太、」
そっと呼びかける真中、白い枕に寝顔は安らぐ。
記憶より細くなった頬、白くなった肌、けれど瞑った睫は変わらず長い。
この瞳に見つめられたくて追いかけた、そんな涯の夜に願いごと笑いかけた。
「…周太、俺のこと好きなら目を覚ましてよ?」
お願い、今すこし瞳を開けて?
(to be continued)
【引用詩文:William Wordsworth「Intimations of Immortality from Recollections of Early Childhood」】
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