萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

第43話 護標act.3―side story「陽はまた昇る」

2012-05-24 23:05:39 | 陽はまた昇るside story
峻厳にみる夢、



第43話 護標act.3―side story「陽はまた昇る」

雪洞を掘り終えると正午過ぎだった。
昼飯の鍋を火に掛けながら、国村は富山県警馬場島派出所に幕営場所の無線連絡をしてくれる。
定時交信する20時までの予定を簡単に告げ、今の気象状況について情報交換をしていく。
こんなふうに積雪期の剱岳では「勧告の基準」によりトランシーバー携行が求められる。

剱岳は山容が険しく、特に日本海側気候により豪雪となる積雪期は毎年遭難者が出てしまう。
そのため富山県は1966年に富山県登山届出条例を定め、この剱岳周辺を「危険地区」と指定した。
この条例により12月1日から翌年5月15日の間に危険地区に立入る者には「登山届」の提出義務がある。
これは登山する日の20日前までに富山県自然保護課宛に提出、電子申請フォームでも届出ができる。
もし登山届の不提出、虚偽記載などの違反行為を犯した時は違反者に罰金が科されていく。
そして条例には、入山者への「勧告の基準」が設けられている。
この基準は4月15日を境に異なり、4月上旬に入山の英二たちは前半期の申請だった。

ア.単独登山に対しては中止を求める
イ.パーティの構成メンバーは、原則2分の1以上の積雪期登山の経験者で構成、リーダーは積雪期登山経験の豊富な者を求める。
ウ.特別危険地区に登山することを計画した届出は、中止またはコースの変更を求める
エ.登山方式、パーティー編成、行動計画などから判断して日程が少ない時は再検討を求める。
  なお、予備日は12/1から2月末までは少なくとも7日以上、3/1から4/15までは少なくとも5日以上を求める。
オ.登山方式、パーティー編成、行動計画などから判断し、
  装備及び食料が積雪期登山に対しあきらかに不備と認められる場合は、再検討及び必要な物の携行を求める。
カ.パーティー間及び基地との連絡のため、とくにトランシーバーの携行を求める。

この基準の為に英二たちも、予備日を5日設けて入山した。
この予備日は剱岳の急激な天候変化により定められ、悪天候時の無理な行動による遭難の防止項目と言える。
また、勧告基準の「特別危険地区」は池ノ谷と東大谷を指す。
いずれも雪崩の巣であり悪天候時は死の谷となる、この池ノ谷に山岳警備隊の2人目の殉職者は呑みこまれた。
あの彼は富山県警山岳警備隊で分隊長を務めるほどのエキスパートだった。それでも死に呑まれてしまう。
それが剣岳だからこそ、富山県登山届出条例は、登山者の安全を守るために作られた。

―富山県警ですら亡くなる、この山は

いま無線連絡をするパートナーの報告内容を聴きながら、英二は視界に広がる雪嶺を見た。
広やかな立山連峰は白銀の竜の背が連なり、ナイフリッジの峻厳な山容が険しくも美しい。
その中核である剱岳は一般登山者が登る山として、国内で危険度が最も高いとされる。
この危険度ゆえに国村も、英二が積雪期経験を経たシーズン終盤の4月に入山を決めてくれた。
そんな山域を管轄とする富山県警山岳警備隊は、日本警察の山岳レスキューでは最強と謳われ本にもなっている。
その本の一冊を英二もクリスマスの朝に、新宿に向かう電車で読んだ。

『尽くして求めぬ山のレスキュー』

この一文が、今の自分の柱の一つになってくれた。
自分は国村にアンザイレンパートナーとして選ばれ、8,000峰14座に登頂する運命に繋がれた。
けれど自分は本来、世界中の山頂を目指すようなアルピニストになる性格ではないだろうと思う。
もし国村に言われなければ自分は8,000m峰14座への登頂など考えない、遠征訓練でサポート要員に入る程度だろう。

けれど、こんな自分でも「尽くすレスキュー」ならと思えた。
いちばんの友人を最高峰でも守りサポート出来る、最高の山岳レスキューを目指そうと考えた。
この自分が国村の唯一のザイルパートナー、だから最高のクライマーを支える専属レスキューとして一緒に登って行こうと決めた。
それから後藤副隊長と吉村医師に個人教授をお願いして、8,000峰に必要な技術と知識を教えて貰う日々が始まった。
そして今、最高難度の山に座って青と白の広い世界を眺めている。

最初に「山」で生きようと思ったのは、周太を助ける為だった。
そして山岳救助隊になって国村と出会い、トップクライマーのレスキューを目指すことを選んだ。
最愛の伴侶と最高の友人、この大切なふたりを守りたい想いが、自分を「山」の世界に昇らせた。

そんなふうに辿り着いた今、この場所は美しい。
生命すら抱きとって眠らせる冷厳の山、その危険を知っていても青と白の壮麗な世界に惹かれる自分がいる。
この世界を知らないで生きてきた23年間が勿体ないと思う、そして今、ここに立てた喜びが眩い。
ここは誰もが辿りつける場所じゃない、適性と努力と正しい指導がなければ「死」に墜ちる。
さっき天空の雪原で国村が言った通りだと、そんなふうに自分も想う。

―…ここはね、祝福の雪の花が作った、エデンだよ

ここはエデンかもしれない、本当に。
純白の氷雪に彩られ生と死がめぐる世界は、人間の範疇を越えている。
ここで見つめるのは白銀と星霜と天空の色彩たちしかない、すべてが人間の意志通りになど動かない。
すべてが雄渾な美しさに充ちて、ただ心と視線を奪っていく。

この場所に立てるのは、隣の友人がザイルで自分を繋いでくれたから。
このことの幸運と感謝が山に1つ登るごと、大らかに心温め信頼と幸福を深くする。
この友人に出逢えて、本当に良かった。そんなふうに自分の人生を感謝出来る。

けれど天空の雪原で、友人は自分にキスをした。
そして自分の心は迷子になった。

この友人は、山の教師で唯一のアンザイレンパートナー、そして恋敵でもある。
それなのに「恋人」のキスをされて、自分が置かれる感情の位置が解からなくなった。
いちばん大切で唯一の親友が「恋人」のキスをする、そんなことしたら「唯一の」親友は何になる?
もう唯一の恋人がいる自分は、他に恋愛なんか出来ない。それなら唯一の親友が「恋人」のキスで何に変わる?
唯ひとり大切な存在、親友でザイルパートナーはもう、今の自分には欠けてはいけない存在、それなのに。
それが何かに変わって、消えてしまったら、自分は人として山ヤとしてどう生きればいいのだろう?

唯一の大切な友人が解からない、不安になって涙が出た。
いつもの堅物もストイックも冷静も役立たず、感情のルートファインディングが出来ない。
けれど、さっき雪洞の中で婚約者から届いたメッセージが、この友人と向き合うコンパスをくれた。


 From :湯原周太
 subject:どんな時も
 本 文:いま晴れていますか?
    想いのまま素直に山の時間を過ごしてください。
    英二のすべてを信じているから、英二の応えかたは正しいと信じます。
    俺も必ず英二の全てを受けとめるから、隣に帰ってきてね。
    どんな時も、俺の隣は英二の居場所です。
    
    明後日は非番だから実家に帰る予定です。
    こんど食べたいものがあったら教えて?練習してきます。


素直に想う通りにいればいい、そう周太は言ってくれている。
英二が国村にどう応えても、全てを受けとめるといってくれる。
すべてを許容される安らぎは、心に支点を与えクリアな思考を覚ましだす。
何があっても信じている、愛し居場所になってくれる、その安心感が涙を止めてくれた。

きっと周太は英二よりずっと前から、国村の想いに気がついていた。
ただ静かに見つめながら考えていてくれた、そして今、英二に方向を示してくれている。
こんなふうに周太は穏かに英二を支えてくれる、こうした静謐の強さと純粋な優しさが好きで、なおさら惹かれてしまう。
この優しく強い、聡明な恋人の面影に英二は微笑んだ。

― 周太、俺には君が、いちばんなんだ。愛してる、どんな時も、ずっと

この想いのままにメールにも返事して、肚も静かに決まった。
もう悩んでいても仕方ない、生真面目な自分は考えすぎるけれど、いまは感じたままにいればいい。
届けたい想いに遠く南東の方を見つめている、その隣で無線通信が終わっていく。
そうして連絡が終わり無線を切った国村に、英二は口を開いた。

「国村さ?朝、馬場島の派出所で挨拶していたよな。K2の時はどうも、って。あのひと、メンバーだった方?」
「そ。K2に一緒に登頂した人だよ、」

無線をしまいながら、いつもの調子でテノールが答えてくれる。
底抜けに明るく透明な潔癖、大らかな優しさが温かい無垢、そんな眩い山ヤの心が笑ってくれる。
こんな「いつもの」が嬉しくて、やっぱりこの友人とはずっと一緒にいたいと素直に思う。
いま友人は何を想うのだろう?そっと考えながら英二は訊きたかったことを口にした。

「あの方、国村のこと『K2』って呼んでいたけど、」
「あれね、なんかさ、『K2』が俺のクライミングネームなんだよね、」

細い目が可笑しそうに笑っている。
なんか面白い話がありそうだな?楽しそうで英二は訊いてみた。

「どうして『K2』?」

『K2』

K2は標高8,611m、世界第2位の高峰の名前。
中国・新疆ウイグル自治区とパキスタンの境、カラコルム山脈に世界第2峰はある。
この8,000m峰は人外の奥地に位置するため、19世紀末までは無名の山だった。
しかし1856年からインドの測量局によりカラコルムの測量が始められ、以来、K2の存在が知られることになっていく。
この「K2」という山名は、測量時に無名の山にはカラコルムの「K」にK1, K2と測量番号が付けられたことによる。
測量の後にはK2以外の山は名前がつけられたが、K2だけは測量番号がそのまま山名に残された。

きっとこのK2と国村のクライミングネームは関係するんだろうな?
そんな考え通りに透明なテノールが愉しげに答えてくれた。

「最初に登った8,000m峰がK2だったのと、俺のイニシャルがK.Kだから?」
「あ、イニシャルもそうだよな?」

なるほどなと頷きかけた英二に、テノールの声が笑った。

「あとはね、『キケン・キワモノ』って意味だよ、」

K2の別称は「非情の山」という。
その理由は遭難者の多さと、登頂が世界一難しい山と言われることによる。
この高難度はアプローチの困難から始まり、傾斜も急峻なうえ天候は不安定で強風が酷く、気象・地形とも悪条件が揃うことに由来する。
これらのため日数もかかりアタック自体が難しく、登頂成功者も250名とエベレストより少ない。
そうした峻厳な現実とK2峰を描いた著作名から「非情の山」とも呼ばれるようになった。
だから「危険・際物」の意味を含ませるのも道理だろうし、確かに国村自身もそんな性質を持っている。
知能犯の悪戯っ子でエロオヤジには似合いだな?こんな素直な感想のまま、英二も笑いながら訊いた。

「その意味の比重が大きい?」
「そ。おまえも、よく解ってるね?危険際物の『K2』が俺だよ、」

いつもどおりの快活で、底抜けに明るい目が愉しげに笑んでいる。
こんなクライミングネームが付けられたなら、面白いエピソードがあるのだろう。
このK2峰の話は一度訊いてみたいと思っていた、笑いながら英二は雪山のエキスパートにねだった。

「K2の話、してくれる?」
「うん、いいよ、」

鍋の火加減を見ながら、気楽に笑って国村は頷いてくれる。
すこし遠く空を眺め、記憶を覚ますと微笑んで口を開いた。

「アレってね、全国の警察山岳救助隊で合同の遠征だったんだ。
まだ俺は卒配期間だったけど、クライマーの専門枠で任官してるからって、後藤副隊長が推薦してくれての参加だった。
だから俺、BCでのサポートだったんだよね。そしたらアタック隊の1人が体調不良になってさ、で、代打で俺が入ったってワケ」

透明なテノールは8,000m峰の第2座について話しだした。



のんびりと午後はK2峰を始め、山の話に過ごした。
平日の4月上旬、条例の対象期間どおりに人は少なく2組ほど見かけただけだった。
そんな静かな雪嶺に、ゆっくり黄昏の陽が光を投げ始めだす。

遥かに見渡す山波が、白銀から黄金へと色彩を変え、時の経過を刻々と示していく。
黄金と薄紅が、白と青の世界をゆるやかに染めあげて、紫色の薄暮が空を染めあげる。
あわく霞んでいく遠い雪嶺が、中天から覆いだす夜の翳へと沈んで、また銀色の光を放ちだす。
西の彼方へ太陽は眠りに入り、真赤な残照が今日最後の光を投げていく。
金の帯を地平にひるがえし、今日という陽が沈む。
そうして白銀の山々に、深い青紫の天蓋ふり仰ぐ夜が訪れた。

―夜が、来た

心に吐息こぼれて、そっと英二は微笑んだ。
少し離れたところから、シャッター音が生まれたばかりの夜に響く。
ファインダーに雪山の残照を捉える真直ぐな視線は、ただ山と空に心遊ばせている。
いつもどおり。そんな様子の国村が嬉しい、大切な友人の愉しげな姿は良いなと思う。
この友人が真昼の雪原で自分にキスをした。
あれは真昼の夢だったのかな?そんなふうにも想えるけれど、あれは現実だった。
この現実に夜は、すこし直面する時が来るだろう。そんな心の支度をしながら、英二は空を見あげた。

星々が、深い青紫の空に銀砂となって耀きだす。
ひとつ、またひとつと星は光を現して、深まりゆく夜に明りともしていく。
そうして銀の星たちが、光ふる雄渾な夜空を描きだした。

「きれいだな、」

素直な感想が白い吐息と笑顔にこぼれた。
いま気温は低い、けれど風が少ない分だけ体感温度は低まらない。
明日の天気も悪くない、そんな空を読み取っていると、透明なテノールが笑いかけてくれた。

「写真もとったし、おまえのボケッも終わったしさ?呑もうね、宮田」

底抜けに明るい目が、ヘッドライトの下で愉しげに笑っている。
いつもの機嫌良いトーンを、いつもより嬉しく感じながら英二は微笑んだ。

「うん、国村のいちばん楽しい時間が、始まるな?」
「だよ?雪山はね、雪洞で飲むのが愉しいよ。ま、イイ雪洞じゃないと水害に遭うけどさ、」

話しながら雪洞のなかに入って、夕食の支度を始めていく。
味付けなど下拵えを済ませてからパッキングした材料を、鍋に入れて火に掛ける。
煮えるのを待つ間用のチーズなど手軽な肴を並べて、雪からビールを掘り出した。

「じゃ、乾杯、」

こつんとコップをぶつけあって、冷えた泡を喉に入れる。
普通より甘い風味が広がるのが旨い、感心しながら英二は微笑んだ。

「雪にビール埋めて冷やすとさ、なんでこんなに味、違うんだろな?」
「俺もよく知らないんだよね。最初、オヤジに教わったんだけど、オヤジもなんでかな?って言ってたね、」
「そうなんだ…ん?」

国村の父親は、中学校入学の春に亡くなっている。
だから教わったのは、それ以前と言うことだろう。
なんだか嫌な予感を想いながらも、ちょっと英二は訊いてみた。

「あのさ?最初に教わった時って」

訊きかけて、やっぱり止めようかなと英二は口を閉じこんだ。
けれどビール片手の友人は機嫌よく口を開いた。

「うん、そりゃもちろん、の」
「いい、そこでストップして?」

即座に話を打ち切って、英二は次の話題を考えた。
なにか別の話題に変えて話を転換しよう、そう思った脳裏に確認事項がうかんだ。

「川崎の家の庭、どうだった?」
「うん?土のことか、」

すぐに意図を察して細い目が笑ってくれる。
すこし考えるようビールを飲みこむと、テノールの声は教えてくれた。

「一周したけどね、それらしい土質変化の場所は無かった。まあ、深く埋め込んでたら解からないと思うけどね、」
「そっか、俺も見たけど、解からなかったんだ…庭じゃないのかな?」
「うん、ソッチの可能性が高いね。家の内部か、あとは家の真下だな」

家の真下。
確かにそこなら隠し場所として最適だろう。
それなら引越しをしなかった理由も解かる、考えながら英二は頷いた。

「おじいさんは、奥多摩の森を庭に映すほど、奥多摩が好きだった。けれど、引越しはしていない。
それに普通なら、あんなことがあったなら引越した方が、リスクは低くなると思うんだ。それでも引越していない。
もし家の真下に隠したのなら、引越しや建替たりしないで、貸すこともしなかった説明がつくかな、って思うんだけど。どうかな?」

「おまえの言う通りだと思うね。アレはそう簡単にバクテリア分解もされない、建替えたり引越せば、発見されるリスクが高いね、」

やっぱりそうなのかな。
溜息を吐いてビールを飲みこむと、英二は口を開いた。

「隠す場所、なんだけどさ?家の真下だと、隠せるポイントって少ないよな?」
「だね、床板とか剥がせば大袈裟になるし。他人の手を借りないで済む場所、だろね。おまえ、どこか見当つけたんだろ?」

すぐに察して底抜けに明るい目が笑ってくれる。
ちいさく笑って英二は頷くと推論を言った。

「仏間の炉の下。あれなら取り外すのも簡単だし、形跡が残り難いよな?」

仏間には茶の湯に使う炉が切られている。
炉の造作は床を切り取った所に箱型を埋め込んであるから、あの箱型を外せば床下ということになる。
この造りを周太に教えて貰って以来、考えていたことを英二は口にした。

「炉は床を切って箱を埋め込むだろ?だから屋敷の床下に侵入されても、炉の箱型が邪魔になるから、その直下は調べられない。
もし調べるなら仏間の中から炉を外さないと難しいから、家の人間にしか探せない。良い隠し場所になるかな、って思ったんだけど、」

「うん、俺も同意見だな、」

さらり答えて国村が微笑んだ。
ビールに口付け飲みこんで、ほっと息つくとテノールの声が考えを述べた。

「ほんとはさ?炉を外して確認したいとこだけど、さすがにそれは難しいよね、」
「うん、まず無理だと思う。灰が詰まっているし、俺一人の作業だと時間が掛りそうで、怖いな、」
「だね?…でも、いつかは掘り起こす必要があるね、」

ほっと息吐いて国村は、ビールを飲みほした。
英二もコップを空けると目を細めて、国村に笑いかけた。

「俺さ、出来れば5年以内に、引越そうって思うんだ、」
「うん?川崎の家を、か?」

日本酒のペットボトルを開けながら、国村の目がすこし大きくなる。
めずらしく驚いたらしい友人の様子に英二は微笑んだ。

「奥多摩に、あの家を移築したいんだ。庭木も全部、出来るだけ移そうって考えてる、」
「へえ、豪気だな?でも、あの家が奥多摩に、か…良いね、」

驚いきながらも感心して笑ってくれる。
英二のコップに酒を注ぎながら、テノールの声は愉しげ笑った。

「そしたら俺とご近所サマだな?土地なら俺も、どっかしら協力出来るね。俺んちので良かったら、格安提供するよ、」

国村の家は旧家で、代々の土地を広く持っている。
きっと川崎の家屋敷を移築するスペース位なら、多く心当たりがあるのだろう。
こうした申し出は心からありがたい、無二の友人への感謝に英二は素直に頷いた。

「ありがとう、きっと世話になるよ。でも、ちゃんとした値段で買わせてよ。代々、守ってきた土地なんだろ?」
「おまえは真面目だね?ま、そこがイイとこだけど、」

笑って酒のコップを渡してくれる。
受けとって、軽くコップぶつけあってから互いに酒を啜りこんだ。
いつもの山の夜と変わらない時間、そんな今に微笑んだ英二にテノールの声が訊いた。

「でもさ、費用がかなり掛かるだろうね?家は普通の大きさだけれど、100年の擬洋館建築だ。
アレを分解して組直すには、施工業者も限られる。庭木や草花の移送と植替も結構なモンだよ、気候や土質の違いもあるし。
ここらへんは、宮田の事だからさ?もう考えた上で俺に話してるんだろうけど。これだけの費用を5年以内で準備できるんだ、おまえ?」

やっぱりそう普通は考えるだろうな?
ちょっと困りながらも英二は笑って口を開いた。

「うん、たぶん出来るんだ。もちろん見積もまだ無いから、正確には言えないけれど、」
「この齢で5年以内って、普通は難しいだろ?おまえ、なんかやらかしたワケ?」

なんか、って何のこと?
そんな疑問のままに笑って英二は訊き返した。

「なんか、って何だよ?」

訊かれた細い目が悪戯っ子に微笑んで、愉しげにテノールの声が応えてくれた。

「うん?まあ、オマエの美貌と床上手だったらさ?金持ちパトロンとか、高級えっちクラブとか、幾らでもあるだろ?」

こんなこと言う唇が、自分にあんな「恋人」のキスをしたなんて?
ちょっと憮然とする想いと、いつも通りのエロオヤジぶりが可笑しくて嬉しい想いで英二は笑ってしまった。

「どれも違うよ。そんなことやってたらさ?さすがに警察官になるのは、まずいだろ?」
「そう言えば、そうだったな?」

笑いだした細い目が愉快に明るい。
ほんとうに普段通りの愉しい空気が、今夜も2人の間に通ってくれる。

―キスひとつでは、自分たちの関係は壊れない。

ふっと信頼感が温かく心寛がせてくれる。
たとえ国村が英二を「恋人」と見つめる欠片を心抱いたとしても、自分たちは変わらないでいられる?
この今の時間と交す言葉たちが素直に嬉しい、微笑んだ英二を底抜けに明るい目が真直ぐ見た。

「で?なにやったんだよ、おまえ?」

ちゃんと話せよ?
そんなふうに純粋無垢な目が真直ぐ見てくれる。
生涯のザイルパートナーとして互いに話そう、あの言葉通りに国村は聴こうとしている。
ほんとうは話したくないこと、けれど話した方が良いかな?考えながら英二は笑いかけた。

「小遣いを貯め込んだ、じゃダメ?」
「おまえのオヤジさん、そこまで馬鹿親じゃないよね?」

的確な指摘で刺して、英二の退路を遮断する。
きっと国村は、土地の提供という形以外でも移築の件では世話になるだろう。
それに公私ともパートナーである以上は、隠し事はリスクを招くかもしれない。
やはり話すべきだろうな?重たい口を英二は、ゆっくりと開き始めた。

「これはさ、本当に俺の秘密なんだ。宮田の家族にも、周太にも湯原のお母さんにも、まだ話していない。内緒にしてくれる?」

底抜けに明るい目を見つめて、英二は訊いた。
見つめた先で明るい目は温かに笑んで、透明なテノールが言ってくれた。

「俺はね、山の秘密を護る男だよ?自分のパートナーの秘密は、それと同じだね、」

山っ子が「山の秘密」に懸けて黙秘を約束してくれる。
誇りも命も懸けて秘密を護るよ?そんな微笑に英二は素直に笑いかけた。

「ありがとう、じゃあ話すな?」

ちょっと笑われるかもしれないな?
そして「格好の餌食」を与えることにもなるかも?
そんな予想をしながら英二は、すこし困りながら微笑んで口を開いた。



(to be continued)

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