萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

黎風act3.顕光―side story「陽はまた昇る」

2011-10-29 09:30:20 | 陽はまた昇るside story

真実にこめて、




黎風act3.顕光―side story「陽はまた昇る」

怯えた目で、安本が英二を見つめた。

「…犯人の居場所に、気づくと言う事か」
「多分、明日の昼には気づくでしょうね」
「明日…」

安本の呟きに、はっきりと英二は言った。

「もうこの件については、手出しはしないで下さい」
「…どういう、」

言いかけた安本に、かぶせて英二は告げた。

「残念ですが、あなたにはもう何も出来ない。なぜなら、あなたは今既に彼の信頼を失っている」
「なら、なおさら私は彼の、信頼を取り戻すべきだろう」

安本は食い下がった。
そうして英二の心の裡で、不満と怒りが、がちりと噛みあわさった。

どうしてこんなにも、甘いのだろう?
なぜこんなにもまだ、緩いことを言えるのだろう?

今の時間は13時。
もう24時間も経たないで、周太は事実に気付いてしまう。
もう時間の余裕なんか無い。

もう時間が無いこの時なのに。
あの頑なで純粋な心を今から開くことが、明日のリミットに間に合うと言う?
そんなこと不可能に決まっている。

そして馬鹿にしている。そんな手軽に考える事は。
あの頑なで純粋な孤独を、壊した自分の努力と想いまで、軽視していると何故気付けない?

こういう善意の無神経が、13年間の、周太とその母の、孤独を作りだした。
その現実が今こんなふうに、英二自身をも叩いてくれた。

善意が心を、深く傷つけることがある。
周太と彼女の痛みを、少しは自分も経験できた。
そのことが英二は嬉しい。こうして同じ痛みを知って、繋がりが強まるといい。

けれどねと英二は思う。
周太と彼女のようには、自分は純粋でも優しくもない。
直情的で身勝手で、思ったことしか言えないし出来ない。
だから悪いけれど、叩かれたら倍以上、返させてもらう。

英二はそっと目を細めた。
たぶん今、ぞっとするほど冷酷な目になっている。

「そういう勝手な自己弁護は、いい加減にして頂けませんか?」

けれど端正な口許は、きれいに微笑んでいる。

ほら傷ついた目に安本はなった。
思い知らせてやりたい、そして気づいて欲しい。
善意だけでは、優しい顔だけでは。本当には人を守ることなんか出来ない。

時には自分が悪者になったって、相手の為には惜しまない。
そんな覚悟が無かったら、本気で人は守れない。
そうしてそれは、強くなかったら、出来やしない。

強くなれ―警察学校で、山で、出会いの中で、いつも教わってきた。
だから自分は強くなって、今、目の前の人間を傷つける。
この人間も、自分と同じ警察官で男、どうか気づいてほしい。
そしてもう二度と、優しい嘘の過ちを犯してほしくない。

「安本さんは、周太に嘘を吐いた。
 信頼しない相手には、彼は固く心を閉ざします。
 そうして自分の殻に籠るでしょう。その事が、彼を誤った方へと導いていく。解りませんか?」

安本の目が怒っている、そして本当は泣いている。
当然だろう、卒配1ヶ月程度の新人に言われたら傷つくだろう。

けれど自分は、ひとりの警察官として男として、ここに来た。
彼と自分は対等、それが当然だと思っている。
だから遠慮なんかしない。

「周太は13年間ずっと孤独でした。
 父親の殉職という枷と、それに絡まる善意の無神経さ。その全てが彼を孤独へ追い込んだ」

安本の目が揺れる。
きっと彼が周太を思う気持ちは善意。
けれどそれだけじゃ甘いのだと。この今からでもいい、だから気づいてほしい。

「彼の孤独を壊したのは私だけです。
 私よりも優しい言葉をかけた人は、たくさんいたでしょう。
 けれど、彼の為に全てを掛けた人間は、私だけです。
 きれいな想いも、醜い欲望も、私は全部を彼に晒します。
 隠しているものがない。だからこそ、彼は私を信じて孤独を捨てました。
 他の誰にもそれは出来ない、私だけです。だから言います、彼が本当に信じて頼るのは、私だけです」

真直ぐに安本を見て、英二は言った、

「彼を救えるのは、私だけです。
 残念ながら、どんなに想ってくれても、あなたじゃない。
 けれどもし、彼を少しでも助けたいと思うなら、私に全てを教えて下さい。そうして周太を守らせて下さい」

英二を安本は見つめている。
その視線を受けとめて、ふっと英二は微笑んだ。この目の前の男が、かわいそうだと思った。
方法は間違えたけれど、彼の真心もまた一生懸命なのだから。

見つめたまま、安本が訊いた。

「…では、どんな方法なら、周太君を救えるんだね?」

簡単ですよ。
そう言って英二は、口を開いた。

「真実を告げて示して、その底にある想いに気付かせてやる。それで彼には解る、そしてそれが、唯一の選択です」

きれいに英二は笑った。
安本の瞳がじっと、英二の笑顔を見つめる。そして、安本の口は開かれた。

「周太君を見た時、驚きました。私が大好きだった男の面影、そして射撃の名手。懐かしくて、嬉しかった」

語りだした安本の口調に、切ない懐旧が滲みだす。
この人も苦しんだのだ。そんな想いがそっと英二に寄り添ってくる。
静かに、英二は彼の声をみつめた。

「けれど違いが2つありました。
 周太君は片手撃ちです、湯原は両手撃ちだった。そして周太君の方が瞳が明るい。
 周太君は幸せなのだと、感じました。
 だから何も知らせたくなかった、きれいな瞳をそのままにしてやりたかった。
 それでも懐かしくて。どうしても湯原の面影に会いたくて、私は会いに行きました」

すこし憔悴した顔で、安本が語っていく。
静かに英二は佇んで、そっと聴いていた。

「13年前のあの日、新宿署への応援を湯原に依頼したのは、私です。
 大きな公園があるでしょう。例年通りに桜の園遊会が開かれた。それで警邏のために、応援要請をしました」

桜の咲く時に、周太の父は殺された。
きっと花見に明るくて。そんな時に突きつけられた残酷な現実。
明るい時に落ち込む闇は、本当に暗くて悲しい。そのぶんだけ、周太と彼女の傷は深かったろう。
さりげなく英二は制服の胸元に触れた。ちいさな鍵の感触が、いとしかった。

「桜の季節、そしてあの年は雨天などで、花見の会の延期も多かった。
 それであの日、花見の日程が集中した。
 どこも人数が手いっぱいで。それで人員がなかなか集まらなかった。
 SPの人数が足りなくて、警護の人数も勿論足りない。けれどどうしても1名、腕ききがほしかった」

13年前。英二と周太が10歳を迎える春。
あの年は春の嵐があった。3月の雪と4月の雪を見た、そんな記憶が英二にもある。

「当時彼は警備部の射撃指導員になっていた。
 誰か適当な人材を寄越してくれないか、そんなふうに私は依頼した。
 そして彼は笑ってくれた、ちょうど自分は非番だから予定が空いている。そう言って」

安本の声が掠れる。かわいそうだと、英二は思った。
その結末を知る今、話させる事すらも、ほんとうは残酷だと知っている。
けれど話す事でしか、安本はもう償えない。

それはきっと苦しく辛く、古傷を抉りだす。
けれどきっと、話して暴かれる事で、安本自身も救われる。

「警邏の後は、新宿署の射撃指導もしようと提案してくれた。
 一流の彼からの指導は、ありがたくて。そんな気さくな彼が大好きだった。
 それから一緒にコーヒーを飲んでいた。彼はココアだったけれどね」

彼はチョコレートが好きだった。
そんなふうに、周太の母も言っていた。
それから幼い周太の記憶でも、山でココアを飲んでいる。
垣間に見えるエピソードの温もりが嬉しくて、けれど、結末を思うと切なかった。

「そして、連絡が入った。暴力団員による強請、その通報だった。
 犯人の一人は拳銃を持っていた、そして犯人は恐慌状態にあった。
 恐慌状態の犯人は危険だ、発砲の可能性が高い。そして犯人が逃げた先は、歌舞伎町だった」

安本の瞳が揺れる。
きっと今、涙をこらえているのだろう。
ただ黙って英二は、目の前の男を見つめ続けた。

「繁華街での発砲、その危険をおそれて、万が一は射殺やむなしと判断された。
 繁華街での狙撃は、射撃の精度が問われる…そして射撃特練だった私と…湯原に、発砲許可が下された」

もし、その日、周太の父が呼ばれていなければ。
無駄なことと思っても、英二はそう思ってしまう。
そして誰よりも、安本がそう思いながら、今、話している。

「私と湯原は現場へ走った、単独での追跡はしないものだ。けれど、
 けれど、湯原は、足が速くて…あっという間に私を置いて…ひとりで、犯人に追いついて…それから」

周太の父は、周太と同じように有能だった。
その事が、彼の命を縮めてしまったのだと、告げられる。
その残酷さが悲しい。英二はただ安本を見つめて、佇んでいた。

「着いた時には、もう、…あいつ、もう」

安本の頬を一筋、とうとう涙が奔った。

「まだ若い男が、湯原を介抱しながら泣いていた。
 息が止まった湯原、けれど私は諦められなくて。止血と人工呼吸をした…あいつは一旦息を吹き返した」

安本の声が揺れて、涙が数滴こぼれて砕ける。
涙の底から、安本が英二を見つめて言った。

「あいつ、なんて言ったと思うかい?…犯人を救けてほしい、そう言ったんだ。
 生きて償う機会を与えてほしい、彼に、温かな心を教えてほしい。そう言って、」

安本の瞳を見つめたまま、黙って英二は頷いた。

「それから、『周太、』そう言って…」

息子の名前を呼んだ、彼の想い。
英二の長い指は、制服の上からそっと鍵に触れた。

周太の父は、立派な男だった。
ほんとうに、本当に立派で、きれいな男だった。その事が英二は、嬉しかった。
その男の鍵は今、自分の首に提げられている。

「ほんとうは犯人を殺してやろうと思った。けれど、あいつが、湯原が言ったから。
だから私は、犯人に向かい続けた。何年かかっても、絶対にこいつを真人間にしてやる、そう思ってな。
事情聴取で、刑務所で、語りかけ続けた。きっと湯原も一緒に、今ここにいる。そう信じて語り続けてきた、」

安本は心から、周太の父を好きだった。
そのことが解る、そう感じながら英二は、安本を見つめていた。

「だから、あの店で彼が働いて、立派に勤め始めて嬉しかった。
それを見届けられた。だから私はようやく、異動の辞令を受け入れて、ここに赴任したんだ」

ふっと微笑んで、けれどすぐに安本は瞳を閉じた。

「…私が、私が湯原を死へ追いやったんだ。殉職の枷を負わせてしまった」

安本を、崩れるように涙が覆う。

「有能な警察官、射撃の名手でオリンピック選手、そして温かい男…それなのに、殉職、その一言で。
 私の所為だ、私があの男を貶めてしまった。あいつは本当に、きれいな男だった、それなのに、私が、」

掠れても、叫ぶような声が、安本の喉から生まれた。

「…赦して欲しいとも、私には言えない…っ」

安本は泣いた。
それを黙って英二と、吉村は見つめていた。

13年間、この男もずっと苦しんできた。
大切な存在を、自分の所為で貶め失った。ずっとそう思って泣いて、苦しんで生きていた。
そうして涙の底からきっと、犯人を更生させようと必死になっていた。

あの店の主人。
3年前から何度も、英二は見ている。
3年前はすこし、怯えたような目をしていた。
そして今はいつも、すこし寂しげだけれど、温かな目をしている。

周太は一人でもあの店に行く。
きっとあの店の空気を気に入っているのだろう。

周太は純粋で、本質は人を疑う事を知らない。
繊細で優しい心は、感受性が豊か過ぎて傷つきやすい。
だからいつも相手を気遣いすぎて、遠慮してしまう。
だから周太は、人に心を開くことが難しい。

そういう敏感な周太は、簡単には居場所を作らない。
けれどそんな周太が、あの店は気に入って、一人でも行っている。

あの店の主人を、信じてもいいのかもしれない。

心開く事が難しい周太が、ひとりで行っても寛げる。
そんな気配を作れる主人の、話を聴いてみたならば、真実が解るかもしれない。
真実の底にある、想いを語って聴かせてほしい。

安本が涙をおさめる頃、吉村が自販機へ行って来てくれた。
缶コーヒーを3つと、ココアを1つ。
そうして3人で、ココアの缶を眺めながら、コーヒーを飲んだ。
飲み終わる頃、ふっと安本が英二に訊いた。

「宮田くんは、周太君の友達なんだね」
「いいえ、違います」

安本が驚いた顔で、英二を見た。
ならばどうしてと目で訴えながら、安本は訊いた。

「ではどうして、こんなに君は一生懸命なんだ」
「おかしいですか?」

きれいに笑って英二は答えた。

「警察官なら、今この一瞬に生きるしかありません。だから今を大切に見つめるだけです」

そうだなと安本の目が微笑んだ。
目を細めながら、英二は言った。

「周太は私の一番大切な存在です。だから今を大切に彼を見つめている。それだけです」

コーヒーの最後の一口を飲みこんで、英二は立ちあがる。
それから制帽を手に持ったまま、きれいに礼をした。

「今日は、ありがとうございました」

吉村も立ちあがって、英二に微笑みかけてくれた。
踵を返しかけて、安本が声を掛けた。

「宮田くん。いずれ、飲みに誘わせてくれるかい?」

安本は周太の父のために、必死で13年間を生きた。
そして犯人を、あの店の主へと成長させてくれた。それが周太の父の意思だったから。
こういうのは嬉しいなと素直に思える。

「ええ。その時は周太も誘います」

きれいに笑って、英二は答えた。


その晩は周太は当番勤務だった。
英二は早めに風呂を済ませて、自室で時間を過ごす。
いつものようにメールして、周太が電話を掛けてくるのを待っていた。

救急法のファイルを開いて、買ってきた本からメモを取る。
そういう作業に集中しながらも、意識の片隅で携帯を気にしていた。
そしてふっと掛かってきた電話で、周太が言ってくれた。

「今日ね、当番勤務の前に、昼に行こうって誘われた」
「へえ、そうなんだ」

何気なく相槌を打ちながら、英二は軽く緊張をした。
けれど周太は気づかぬふうに、続けた。

「安本さんから、湯原に昼飯の店を教えてくれって言われたらしい」

安本のミステイク。
今はもう、本人の告白を聞いてしまった。だから責める事はもういらない。
けれどこれから起こることへの推測と、対応は考える。

「うまい店だった?」

そんなふうに話しながら、デスクのファイルを手にとった。
外泊申請書を1枚とりだして、ペンを走らせた。
それから明日の訓練の、ザックの中へと着替えを一組追加する。

「ん。…でもあの店のほうが、俺は好きだな」

電話の向こうが初々しく微笑む。
どうかこの笑顔を守れますように。
英二はそっとシャツの上から鍵に触れた。

周太の父の真実はまだ、ほんの少ししか見えていない。
けれど、どんな真実にもきっと彼は、温かな想いを抱いていた。
まだ真実は、全ては見えない。けれどもう、自分は彼を信じている。
きっと彼ならどんな場所にも、きれいに立って笑っていた。

だからきっと大丈夫。
彼の遺した全ては見つめれば、きれいで温かい想いが遺されている。
その事を自分は、この隣に伝えたい。
そうして伝え続けることが、周太の孤独も痛みも拭って、笑顔に変える。

それが出来るのは、自分だけしかいない。
自分だけしかいないから、周太の隣は自分だけの居場所。
そうして独占欲もまた、認められて許される。
こんな考えは狡いだろう、けれど許してほしい。きっと必ず離れずに、ずっと幸せへと浚い続けるから。

鍵に触れながら、きれいに笑って英二は言った。

「俺もね、あの店が好きだよ。周太と一緒の場所だから」
「…恥ずかしいけど…うれしい、」

電話の向こうで、いとしい隣が笑ってくれる。
きっとあの、きれいで明るい大好きな笑顔。
どうか願いを叶えたい、俺にこの笑顔を守らせて。

明日は何が起きるのか。
そして自分は間に合うのか。
そんなことほんとうは、きっと誰にも解らない。
けれどきっと自分は、全てを叶える事が出来るだろう。

直情的で、思ったことしか言えない、出来ない。
自分勝手で我儘で。誰が泣いても、欲しいものは離せない。
だからきっと大丈夫。この隣を自分は掴んで、きっとずっと離さない。




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2 コメント

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Unknown (ルイ)
2011-10-29 23:37:52
こんばんわ。
やっぱり宮田はすごいですね。
宮田の想いが痛いほど伝わってきました。

明日は本当に宮田に頑張ってほしいそれだけです。
宮田以外に湯原を幸せに浚い続けられる人は絶対にいないから。
返信する
ルイさんへ ()
2011-10-30 00:07:00
ルイさん、こんばんわ。いつもありがとうございます。
ルイさんにほめられて、宮田もきっと大喜びです。

こういうふうに想えたら、人生は豊かだろうなと思いながら描いています。
明日は湯原視点、明後日は宮田視点でUPの予定です。
彼の頑張りを是非、見守ってあげて下さいね。

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