よっちゃん農場のドタバタ日記

「よっちゃん農場」の日常。
 ~いち農家から小さなブランド作りの奮闘記~~

明日はスペシャルほっかぶり市!糀カフェ2周年&「クリチなんばんディップ」限定販売!

2015年03月13日 | Weblog

明日は第二土曜だけどほっかぶり市!

毎月会場でお世話になっている「糀カフェ Tawemon」オープン2周年をお祝いします!


そしてもってうちはよっちゃん商品に加えて、

ネノキチアニキが作ってくれた「クリチなんばんディップ」限定販売します!





また、2周年記念コンサートでコンサートもあります。



あの!!! 粟野としおが昭和を歌い上げます!

そして我々ほっかぶりjapanもコーラス部隊で参戦。

このところ連日徹夜!!!!・・・並みの意気込みで練習・・・・していたつもり。。。



乞うご期待!

4年。

2015年03月11日 | 復興プロジェクト



雪。

あの日も雪が降った。寒い夜だった。

亡くなったたくさんの方々のご冥福をお祈りします。



当時のブログ

4年はあっという間だった気がする。

長者原SAレストランで商談中、映画のように窓が割れ電球が落ち、しょうゆが頭に溢れてきた。

外に出ると地面がこれまだハリウッドの映画のような割れ方で、車で待つカミさんはその割れにのみ込まれるんじゃないかと必死の形相で固まっていた。

数日ラジオで過ごし、電気が通って点けたテレビで目にした被災映像は強烈だった。

みんなで物資をもって沿岸部に行き目の前の光景に受けたショックは何とも言葉に尽くせない。



無力感。

それを感じつつ過ごし、でもそこまでリセットされたものがあったから、今があるという気がしている。

当時Gaia清水社長としょっちゅう話し、考えつづけてた。

そっから、

地方、を大事にする四万十地域の方々ととつながり、

豊かさってなんだ?

と問い続けてきた倉本聰さんにまで行き着いた4年という時間。

自分の思う通りに、出会うべくしてご縁は拡がってきた。


ここからが地方の本番、田舎の出番。現場。




この間、三浦君が来た時、

「”復興”ってコトバを一歩前に出て訴えられるほどに嘘くさく感じるね」
という話をした。
そこに「お金ありき」は必要ないと思うなー。





あの日以来感じているその状況が、残念ながら今もいっぱい残ってる気がする。


昨日も書いたけれど、どんな地位や立場にあるひとだって全部はできない。

担える役割も限られてるし、やれることなんてたかが知れている。


だからこそ、

こうあるべきだ!というタテマエではなくって、


こうしたい!という声に集える、寄り添えるものを、それぞれが見つけること、

それが「これから」を作るんじゃないかなーと思います。


だから、忘れずに明日からまた1年、出来ることを続けます。


名取市閖上
学生たちが切りに来た竹筒が、
メモリアルな4年のシルシに 「3 1 1」



。(写真:NPO法人コミュニティ 小地沢くん)





卒業記念新聞ばっく。

2015年03月10日 | Weblog

朝イチでお客様から電話。

友達からよっちゃんなんばんを頂いたら美味しかったから、と

明日の震災4年を前に少しでも応援になればと注文することにしたとワザワザ。

うれしかった~。


復興の状況はいかがですか? と注文とは別に色々とお話しました。

うちは内陸なので直接ではないけれど、と、

新聞ばっぐの話や関連で関わっている沿岸部の方や実際見ている土地、

自分が感じていることをお話させていただきました。



昼前には海山代表曽木さんちにおじゃまして、昨年修学旅行受け入れをした海老名市の中学生の卒業記念新聞ばっく仕上げ作業。



当日の模様はこちら。

当時取材頂いた新聞紙面をばっぐにし、卒業証書入れに、記念タグもつくりました。



マイナスの震災がきっかけとはいえ、東北と接点が出来たことは彼らにとっても大きいだろうし、私らも純粋にうれしい。

当日、よろこんで頂ければいいなーと思います。





作業をしながら震災の日の話になりました。

海山もそれがキッカケで始まったプロジェクト。

私自身で言えば取引先であるGAIAPLAIN PEOPLEのスタッフの方々や魚柄さんからの応援がものすごい後押しで、



それが「なにができる?」を考えるきっかけになったし、それが海山の資本金の一部になった。

当時から「身の丈でできることを」と、関わるものは皆生業がある中でやっているので、

そのため責任の負えないお金は頂かず出来る範囲、動ける範囲でやってきた。

それでいいと思う。

復興復興というけれど、もうこういう世の中になっちゃうと、インフラと人、両方をみんなが納得出来る進度を求めるのは難しい。

当地の人も、周りの人も、自分と対話しながら関わりを広げていって一歩づつ「進めてる」という実感しかないと思う。

だって、復興ってもとのとおりにはならないし、それぞれが作っていく道だから。。。



そんなことを考えた前夜。



竹の器が明後日に、、、。

2015年03月09日 | Weblog











(写真:NPO法人コミュニティ 小地沢くんより)



先日学生たちがやってきて裏山から切り出した太っとい竹。



仮設住宅周りの畑で育てられたチューリップの球根の器になり、

明後日、震災から4年の節目の日、

名取閖上の震災慰霊碑前で配布される段取りが整ったとのこと。

自分たちできること、を学生たちが考えたことがカタチになります。

我が家では間伐されるだけだった竹も、

みんなの汗で磨かれて格好良くなり、

ちょぴっとでもお役にたって良かった。



受け取った方が喜んでくれたらいいなぁ。

富良野Group「ノクターン~夜想曲~」鑑賞

2015年03月07日 | Weblog

新聞ばっくをキッカケにご縁が出来て倉本聰さんのアトリエにおじゃましてご縁が育ち、

来年大崎・岩出山に富良野Group「屋根」公演が決定しました(詳細後日)


演目は違いますが現在終盤に差し掛かった公演中の舞台「ノクターン」。

ぜひ観よう!と、海山メンバーで福島に鑑賞に行きました。





福島文化センター。超満員。





内容は家族を失った福島第一原発の作業員が主人公。

倉本先生自身なんども福島を取材されて書いた脚本ということです。

震災当時の情景が、生の舞台ということもありとてもリアルに描かれていました。

まさに描かれる当地ということもあり、席の周りではすすり泣く声、嗚咽も聞こえるほどでした。


震災でさまざまに起こってしまった変化。

終盤ラストの演出は圧巻でした。舞台ならでは。人の想像力で魅せる演出は舞台ならでは。



作品を通して「豊かさとはなにか?」と問われ、

4年に近づこうという中で「風化」というコトバも聞かれる中、

感じたのは、

自分たちが毎日積み重ねてきた「もう4年」ではなく、

自分たちが経験し見聞きし感じたことをどう後世に遺していくのか、という「まだ4年」というメッセージでした。

舞台終了後、すぐ後ろの席のグループの人たちが口々に

「まだまだ終わってないもんね。大変な思いで暮らしているひといっぱいだもの」

という地元の声がすごく印象的でした。


こんな機会を頂き感謝しかありません。




舞台後には倉本先生にもご挨拶できました。

来年地元岩出山での公演も楽しみです。