雪。
あの日も雪が降った。寒い夜だった。
亡くなったたくさんの方々のご冥福をお祈りします。
当時のブログ
4年はあっという間だった気がする。
長者原SAレストランで商談中、映画のように窓が割れ電球が落ち、しょうゆが頭に溢れてきた。
外に出ると地面がこれまだハリウッドの映画のような割れ方で、車で待つカミさんはその割れにのみ込まれるんじゃないかと必死の形相で固まっていた。
数日ラジオで過ごし、電気が通って点けたテレビで目にした被災映像は強烈だった。
みんなで物資をもって沿岸部に行き目の前の光景に受けたショックは何とも言葉に尽くせない。
無力感。
それを感じつつ過ごし、でもそこまでリセットされたものがあったから、今があるという気がしている。
当時Gaia清水社長としょっちゅう話し、考えつづけてた。
そっから、
地方、を大事にする四万十地域の方々ととつながり、
豊かさってなんだ?
と問い続けてきた倉本聰さんにまで行き着いた4年という時間。
自分の思う通りに、出会うべくしてご縁は拡がってきた。
ここからが地方の本番、田舎の出番。現場。
この間、三浦君が来た時、
「”復興”ってコトバを一歩前に出て訴えられるほどに嘘くさく感じるね」
という話をした。
そこに「お金ありき」は必要ないと思うなー。
あの日以来感じているその状況が、残念ながら今もいっぱい残ってる気がする。
昨日も書いたけれど、どんな地位や立場にあるひとだって全部はできない。
担える役割も限られてるし、やれることなんてたかが知れている。
だからこそ、
こうあるべきだ!というタテマエではなくって、
こうしたい!という声に集える、寄り添えるものを、それぞれが見つけること、
それが「これから」を作るんじゃないかなーと思います。
だから、忘れずに明日からまた1年、出来ることを続けます。
名取市閖上
学生たちが切りに来た竹筒が、
メモリアルな4年のシルシに 「3 1 1」
。(写真:NPO法人コミュニティ 小地沢くん)