あた子の柿畑日記

田舎での日々の生活と趣味のレザークラフトについて

石鎚登山 5 帰りは怖い

2023-09-23 00:30:00 | 山登り・里山歩き
 神事の後は、朝食、片付け、下山の支度と時間に追われました。8時にはここを出ないといけないのです。わたしは何をしてももたもたと最後になりましたが、なんとか7時55分に下山開始。
 昨日は不安定な天気でよく見えなかった下界がよく見えました。



 8月末だというのに、夏の雲。


 昨日最後の休憩をとった場所まで、約40分で下りてきました。ニノ鎖の下の休憩所です。
 しかし、ここが第一の難所ですよ。真ん中に石の柱が建つています。その間に石段があります。が、


 見えません。
 傾斜があまりにも急で、しかも段差が大きいので、下が見えないのです。登る時もやっとこさでしたが、ここを手すりなしで降りるには覚悟がいります。手すりがわりの鎖はありますが、支柱がグラグラしているところもあり、いちいち安全確認をしてからでないと持つことはできません。
 慎重に慎重に下りていたら、まあ時間のかかること。

 下りながらも、色々なものに目が向きます。
 一の鎖の上り口まできました。大きなシシウドがあってその花に


 まあ、たくさんの虫


 イチゴ


 ヤマハハコ

 
 これは?


 ヒカゲノカズラかな?穂のようなものは胞子だと思います。


 まんまるキノコ。、


 修復のための資材が置いてありました。


 やはりこの道は参道なのです。この時間帯、登ってくる人と何人もすれ違いました。白装束の信者さんもいました。
 売店が見えますが、あんなに下の方。さて、どこを歩けばいいか?
 山荘での睡眠不足がじわじわと響いてきていました。膝が笑うとまではいきませんが、。どうも足腰に力が入らないのです。
 


 転倒だけは避けなければなりません。 
 転ぶ=骨折 歳をとったらありがちなこと。足を痛めたら自力で下りることはできません。

 坂道はますます過酷になって来ました。


 
 もうここからは脳トレです。ストックを突く場所さえ慎重に見極めなくては。片足で体重を支えるのは頼りない、杖と右足左足、3本の足のうち、常に二本が地面についているように歩くのはどうすればいいか。
 右左→杖 杖右→左 左杖→右…
  あらら、三拍子になっちゃう。なかなかリズム良く歩くことはできません。足運びを考えながらゆっくりゆっくり下りていたら、

 アサギマダラ発見。たった一匹でした。


 この頃時刻は11時半。朝すれ違った人が下りてきて追い抜いて行きました。
 もう、登って下りて来たんですか?と、私
 朝、お会いしましたよね。ご来光、見えましたか?
 はい。きれいでしたよ。
 そうでしょうね。登ってくる時、晴れそうだなと思ったんです。天気が悪そうだからゆっくり来たんですけど、もうちょっと早く出発したらよかったです。お気をつけて。
 爽やかに去っていきました。
 その後も、何人ものさっき会った登りの人が下りて来て、追い抜かれて、流石にこのゆっくりが恥ずかしかったです。
 でも、なおも道草を食うわたし。
 ツヤツヤと輝く赤い実。ガマズミかなあ。


 
 高い所にあったので、軸がはっきり見えました。いかにも毒だぞと言いたげな姿。



 何か花びらかと思ったら


 キノコみたいなんですけど。


 これは去年瓶ヶ森でも見たやつ。


 ようやく下り坂が終わりました。12時8分。ああ、12時には着きたかったなあ。


 目標達成できなかったので、諦めて地面に腰を下ろして休みました。土小屋ルートだとベンチがありますが、参道の途中にはベンチはありません。
 
 神門まであと1,000メートル。登る時30分ほどかかりました。

 切り株そっくりの石。くる時気になっていたのですが通り道だったので写せなかったのです。この時間、すでに登ってくる人はなく、下りてくる人もいない、相変わらずひとりぼっちで歩いているわたし。
 


 30分たっても40分たっても神門は見えず、
 ようやくここをくぐったのは午後1時でした。来る時の倍近くかかっている!? 休みすぎたかしら。



 白石旅館の看板猫、たまちゃんが眠そうに迎えてくれました。



 たまちゃんて滅多に会えないので、会えるとラッキーなんですって。わたしは去年も会っているんですよ。
 ここで山菜うどんを食べてからロープウェイに乗りました。

 こうして無事家に帰ってきました。山荘に泊まったというと皆びっくりするのですが、怪我の後のあのコンディションで日帰りの登山はとても無理だったでしょう。泊まりでゆっくりと時間があったからこそ怪我もなく帰ってこられたんだと思います。まあ、準備はちゃんとして行ったし、無謀でも無茶でもなかったと思います。ただ、
 少々無理はしましたかねぇ。帰った翌日は筋肉痛に悩まされ、翌々日には熱を出しました。😅

 ところで、
 まだ弟が大学生だった頃に聞いた話です。
 弟は関東の大学に行っており、夏休みに長野県の霧ヶ峰でバイトをしていたのですが、ビーナスラインが開通したころで、誰でも気軽にあの高原に行けるようになっていました。ちょうど山がニツコウキスゲで黄色く染まる頃訪れたお婆さんが、感激して
「わたしゃもう、いつ死んでもいい。」と言ったんだそうです。それくらい素晴らしい景色だったんだそうです。
 
 石鎚山の夜明も、大きな感動でした。けれどわたしは、いつ死んでもいいとは思いませんでした。こんな素晴らしい景色が世の中にはもっともっとあるんだ、死ぬまでにできるだけたくさんの素晴らしい景色を見ていこう、とね。
コメント (6)
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