もうすぐわたしの誕生日です。 ここんとこ強調しておかねば
教員時代、この時期の誕生日は全くありがたくなかったです。なぜなら、年度末をひかえて、仕事が山ほど有り、寝る間も惜しんで働いている時期だからです。 誕生日を祝うどころか、自分で自分の誕生日を忘れてしまってます。
そんなわたしですが、沈丁花の花が咲き出すと思い出すことがあります。
教師になって何年もはたっていない3月のある日のこと、わたしが受け持っている子どもたちが、わたしに内緒で誕生会を企てていることを教えてくれました。 それも子どもたち一人一人がプレゼントを用意しているというのです。
困りました。 というのは、先生にプレゼントするからと親にねだっている子もいるらしいのです。 わたしを驚かそうとしてこっそりと準備しているのに、やめなさいとは言えません。
どうしても心に引っかかっていることがありました。 それはA子ちゃんのことです。 A子ちゃんは、ちょっと勉強や周りのことが理解しにくい子どもでした。 他の子たちとは遊ばず、たいてい一人でいました。 遊び仲間を作るために、わたしは時々A子ちゃんをつれて運動場へ出ました。 そうしたら他の子たちもわたしの周りに集まってくるからです。
また、彼女のうちは大変貧しく、服装などからも、豊かでない暮らしが伝わってくる子でした。
A子ちゃんは、誕生会のことを知っているんだろうか、 プレゼントを用意できるんだろうか、 彼女に手作りはとてもできそうもありません。 もし彼女だけプレゼントを用意できなくて、みんなから非難されたらどうしよう。 わたしは、やっぱり誕生会をやめさせるべきなんだろうか、と、思い悩んだのです。 どうしたらいいのか。結局、「心のこもったプレゼントというのはお金で買った立派なものではなく・・・・」、というようなことを何の脈絡もなく話して、特に手を打たないままその日がきてしまいました。
子どもたちが「おめでとう」と言ってくれるのに、わたしは驚いた振りをしてこたえました。 そしていよいよプレゼントをもらう時がきました。 子どもたちは渡す順番も決めていたらしく、一人ずつ、にこにことわたしの前にやってきます。
自分で折った折り紙のつるや箱、 だいじにしていたぬいぐるみ、 お母さんの手作りの袋、お店で買ったペンケース(買わないほうがいいってそれとなく言ったのになあ)などなど、心のこもったプレゼントに胸が熱くなりました。 そして最後にA子ちゃんが席を立ちました。 彼女が持っていたのは・・・・・
我が家に咲いた白花の沈丁花
新聞紙にくるんだ沈丁花と菜の花でした。 前の日から用意していたに違いありません。 菜の花はくたんとしおれていました。 沈丁花も元気はありませんでしたが、あたりに甘い香りを漂わせていました。
わたしがどんなにうれしかったかー。 ほっとしました。 素朴な、すばらしいプレゼントでした。 花の季節に生まれてきてよかった、そう思いました。
忘れられない誕生日の思い出です。