と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

適塾と福沢諭吉について

2008年07月18日 05時27分59秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
○本日の終業式で生徒全員に配布した資料です。



      適塾と福沢諭吉について

 暑さの中、一学期の終業式をむかえた。学校の成績について一喜一憂するであろう生徒諸君に、励ましの意味も込めて今日の話をしたい。まさか、成績なんか関係ないというような生徒はいないと思いつつ。
 
 今日は三点について話をしたいと思うが、まず最初に適塾について語りたい。適塾をインターネットで調べると次のように出て来る。

 「天保九年(1838年)、洪庵が瓦町に蘭学塾を開く。弘化二年(1845年)に過書町(現在の大阪市中央区北浜3丁目)の商家を購入し移転した。福沢諭吉、大鳥圭介、橋本左内、大村益次郎、長与専斎、佐野常民、高松凌雲など、幕末から明治維新にかけて活躍した多くの人材を輩出した。」

 その中で福沢諭吉の勉強ぶりがすばらしい。

 「一階奥が洪庵の家族の住居で、二階には、当時一冊しかなかったヅーフ辞書(長崎出島のオランダ商館長ヅーフがハルマの蘭仏辞書に拠って作成した蘭和辞書)をめぐり、日々争奪戦が繰り広げられたというヅーフ部屋と塾生の起居した大広間があった。大広間には、激論の末であろうか、柱に無数の刀痕が残されている。
 適塾では、蘭学が連日講義され、若き学徒が切瑳琢磨して自己の向上に努め、その後の維新の改革を担った多くの俊秀を生み出した。」

 福沢諭吉は、この適塾で、夕方ご飯を食べてから、いったん寝て、今の夜十時ごろに起き出した。そして、あとはずっと夜明けまで勉強をしていた。辞書も一冊しかない。一冊である。奪い合いながらの殺気だった中での真剣な勉強である。しかも塾には、昇級試験もあって、なかなか厳しい。福沢諭吉の自伝「翁自伝」を大いに紹介してみよう。



 
 (書籍デジタル化委員会 電子図書館掲載 以下一部省略)
 
塾生の勉強
 学問勉強ということになっては、当時世の中に緒方塾生の右に出る者はなかろうと思われるその一例を申せば、私が安政三年の三月、熱病を煩ろうて幸いに全快に及んだが、病中は括枕(くくりまくら)で、座蒲団か何かを括って枕にしていたが、追々元の体に回復して来たところで、ただの枕をしてみたいと思い、その時に私は中津の倉慶敷に兄と同居していたので、兄の家来が一人あるその家来に、ただの枕をしてみたいから持って来いと言ったが、枕がない、どんなに捜してもないと言うので、不図思い付いた。これまで倉屋敷に一年ばかり居たが、ついぞ枕をしたことがない、というのは、時は何時でも構わぬ、ほとんど昼夜の区別はない、日が暮れたからといって寝ようとも思わず、頻りに書を読んでいる。読書に草臥(くたび)れ眠くなって来れば、机の上に突っ伏して眠るか、あるいは床の間床柱を枕にして眠るか、ついぞ本当に蒲団を敷いて夜具を掛けて枕をして寝るなどということは、ただの一度もしたことがない。その時に初めて自分で気が付いて「なるほど枕はない筈だ、これまで枕をして寝たことがなかったから」と初めて気が付きました。これでも大抵趣きがわかりましょう。これは私一人が別段に勉強生でも何でもない、同窓生は大砥みなそんなもので、およそ勉強ということについては、実にこの上に為(し)ようはないというほどに勉強していました。


 原書写本会読の法

 それから塾で修業するその時の仕方は如何いう塩梅であったかと申すと、まず初めて塾に入門した者は何も知らぬ。何も知らぬ者に如何して教えるかというと、そのとき江戸で翻刻になっているオランダの文典が二冊ある。一をガランマチカといい、一をセインタキスという。初学の者には、まずそのガランマチカを教え、素読をを授ける傍(かたわら)に講釈をもして聞かせる。これを一冊読了る(よみおわる)とセインタキスをまたその通りにして教える。如何やらこうやら二冊の文典が解せるようになったところで会読をさせる。会読ということは、生徒が十人なら十人、十五人なら十五人に会頭が一人あって、その会読するのを聞いていて、出来不出来によって白玉を付けたり黒玉を付けたりするという趣向で、ソコで文典二冊の素読も済めば講釈も済み会読も出来るようになると、それから以上は専ら自身自力の研究に任せることにして、会読本の不審は一字半句も他人に質問するを許さず、また質問を試みるような卑劣な者もない。緒方の塾の蔵書というものは、物理書と医書とこの二種類の外に何もない。ソレモ取り集めて僅か十部に足らず、固よりオランダから舶来の原書であるが、一種類ただ一部に限ってあるから、文典以上の生徒になれば如何してもその原害を写さなくてはならぬ。銘々に写して、その写本をもって毎月六斎ぐらい会読をするのであるが、これを写すに十人なら十人一緒に写す訳けに行かないから、誰が先に写すかということは籤(くじ)で定(き)めるので、さてその写しようは如何するというに、その時には勿論洋紙というものはない、みな日本紙で、紙を能く磨(す)って真書で写す。


自身自力の研究

 さてその写本の物理書医書の会読を如何するかというに、講釈の為人(して)もなければ読んで聞かしてくれる人もない。内証で教えることも聞くことも書生間の恥辱として、万々一もこれを犯す者はない。ただ自分一人でもってそれを読み砕かなければならぬ。読み砕くには、文典を土台にして辞書に便る外に道はない。その辞書というものは、ここにヅーフという写本の字引が塾に一部ある。これはなか/\大部なもので、日本の紙で凡そ三千枚ある。これを一部こしらえるということは、なか/\大きな騒ぎで、容易に出来たものではない。これは昔、長崎の出島に在留していたオラソダのドクトル・ヅーフという人が、ハルマというドイツオラソダ対訳の原書の字引を翻訳したもので、蘭学社会唯一の宝書と崇められ、それを日本人が伝写して、緒方の塾中にもたった一部しかないから、三人も四人もヅーフの周囲に寄り合って見ていた。それからモウ一歩立上ると、ウェーランドというオランダの原書の字引が一部ある。それは六冊物でオランダの註が入れてある。ヅーフで分らなければウェーランドを見る。ところが初学の間はウェーランドを見ても分かる気遣はない。それゆえ便るところはただヅーフのみ。会読は一六とか三八とか、大抵日目が極っていていよ/\明日が会読だというその晩は、如何な懶堕生(らんだせい)でも大抵寝ることはない。ヅーフ部屋という字引のある部屋に、五人も十人も群をなして無言で字引を引きつつ勉強している。それから翌朝の会読になる。会読をするにも簸(くじ)でもってここからここまでは誰と極めてする。会頭は勿論原書を持っているので、五人なら五人、十人なら十人、自分に割り当てられたところを順々に講じて、もしその者が出来なければ次に回す。またその人も出来なければその次に回す。その中で解し得た者は白玉、解し傷(そこの)うた者は黒玉、それから自分の読む領分を一寸でも滞りなく立派に読んでしまったという者は白い三角を付ける。これはただの丸玉の三倍ぐらい優等な印で、およそ塾中の等級は七、八級ぐらいに分けてあった。そうして毎級第一番の上席を三カ月占めていれば登級するという規則で、会読以外の書なれば、先進生が後進生に講釈もして聞かせ不審も聞いてやり、至極親切にして兄弟のようにあるけれども、会読の一段になっては全く当人の自力に任せて構う者がないから、塾生は毎月六度ずつ試験にあうようなものだ。そういう訳けで次第々々に昇級すれば、ほとんど塾中の原書を読み尽して、いわば手を空(むな)しうするようなことになる、その時には何か六かしいものはないかというので、実用もない原書の緒言とか序文とかいうようなものを集めて、最上等の塾生だけで会読をしたり、または先生に講義を願ったこともある。私などは即ちその講義聴聞者の一人でありしが、これを聴聞する中にもさま/"\先生の説を聞いて、その緻密なることその放胆なること実に蘭学界の一大家、名実共に違わぬ大人物であると感心したことは毎度のことで、講義終り塾に帰って朋友相互に「今日の先生の卓説は如何だい。何だか吾々頓(とみ)に無学無識になったようだ」などと話したのは今に覚えています。





 原文をあえて掲げたのは、この福翁自伝を読む機会もまったくないだろうと思うのと、その勉強ぶりに思いを馳せていただきたいと思ったからである。特に「自身自力の研究」という点について、教わる一方の現代教育にない新鮮さを感じてほしいからである。一心不乱に勉強する、学ぶという原型がここにはあると憧憬するからである。
 こんなことを書いても通じるだろうかという若干の不安はある。
 しかしながら誰かが伝えなくてはならないと思うからである。無駄であってもいい。一学期末の成績を手にした在校生諸君に、学ぶことの原点を考えて欲しいと思う。
 夏期補習もある。成績のおもわしくなかった人は大いに勉強してほしい。一学期のノートを整理し直して、再度チャレンジしてほしい。

 福翁自伝にもあるようにいろいろな勉強の機会がある。
 そういう中で成長していってほしい。

 われわれ日本人にとって本当に求められているものとは、校長ブログにもちょっと書いたのだけれども、西欧文明を一気に導入したことによるひずみの是正である。個の関係性から、もうすこし広がった関係性へ関心を持ってほしい。社会性への関心と興味を持ってほしいと思う。ボランティアとかそういうことにも、である。
 今後、皆さんは国際化社会の中で生きていく。この銚子からちょっとしか離れていない成田でも、時代の進展は一気に来ている。無関係ではいられない。
 また、本校の皆さんは将来社会のリーダーとなって行くはずだ。間違いなく皆さんの時代が来る。
 そのときに慌てふためかないこと。そのために、今から考えておいてほしいのである。
 そして、その時に、どういう大人になっているのかを、どういう対応ができる人間になっているかを予測してほしい。自分の怠惰を言葉のかっこよさでごまかす、困っている人を助けない、なんでもかんでも全部適当にやっていてそれを是正しようとしない。
 わたくしはそんな人間になってほしくないのである。

 だから次に言いたいことは、生活行動に逸脱がないことである。詳しいことは指導部長の先生に先日の全校集会でお話をいただいたから略すけれども。逸脱しない行動を可能とするためには、日々勉強を重ねて、行動の対応を予測できる人間を目指すことである。そうであれば、それこそ人間の応対辞令ができるということになる。応対辞令こそ社会性育成の基盤であると考えているくらいである。言葉を大切に、しかも日々自己を鍛錬し、善き言葉を身につけることである。軽薄なだけを褒めそやすお笑い番組を中心としたマスコミが多いが、わたくしは若干の不安を覚えている。それがどうしたのだ、と。

 最後に、夏休みであるからこそ、読書してほしい。おおいに読書してほしい。こころを込めて写本したくなるような本を見つけてほしい。
 ゲームや、漫画本だけではあまりにも寂しい。考えることのないツールでは、能力が衰える一方である。わたくしの場合、残念ながら加齢とともに、覚えても覚えても忘れてしまう。特に、プログラム言語なぞまったくダメになってきた。時代にあわないものもたくさんある。
 油断大敵である。たまには、見たいテレビを禁じ、教科書を穴の開くほど見つめてみたらどうだろうか。
 福沢諭吉のように。一冊の辞書しかないというわけではないだろうし、実際に穴の開く人はいないだろうけれども。
 
 勉強に、部活、いろいろな各人の目標に向かって、悔いのない健康で安全な夏休みを送ってほしい。



   (外山日出男)
コメント
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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/