と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

感動のある「我と汝」の関係性

2010年02月12日 21時32分27秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 特色化の発表をさせていただきました。
 
 結果はいろいろであったでしょうが、思うようにいった人には、おめでとうございますと申し上げます。意に反した方には、ほんとうに申し訳ありませんでした。心痛みます。学力試験でお待ちしていますね。ぜひとも県銚を検討課題にしてくださいませ。

 これ以上のコメントは、ご勘弁ください。胸がきりきりと痛みますから。



 さて、今日もいろいろと一次資料を集めております。
 茅屋で。

 だんだん一つのテーマに絞られてきています。
 こういう準備段階にいるときがとても楽しいものです。
 資料を集めて、関連書籍を古本でもいいから買って、メモを始める。
 頭の中で、構想が浮かび始める。
 文章がイメージ化されていく。

 知的な体験でもあります。こんなわたくしでも、です。そして、なんらかの文章にできればそれはそれとして残っていくわけですから本当に喜ばしいことであります。自己満足の駄文ですが、ね。

 こんなことをしていて何がおもしろいのだ?とよく聞かれてしまいます。いいんです。いいんです。生涯学習ですからね。

 そんなわけで、今日はその生涯学習でのテーマであるわたくしなりの課題に即した資料を今まで読んでおりました。夕食を挟んで。それはまたまたブーバーの「我と汝」です。今日はちょっとした発見がありました。新進気鋭の学者先生で現在パリで大学院に在学されている方のHPを発見したのです。社会学の先生です。いいことが書いてありました。資料集という一太郎のファイルを作っておりますので、pointをまとめながら考えておりました。

 いわゆる無視されるのが「我とそれ」、そうでない関係性を持つのが「我と汝」ということになるという点で、実に納得がいきました。教育もそうです。無視されるということ、それは教育ではありません。教師も、生徒も無視してはいけません。あくまで相互に影響をする、なんらかの関係性を持つということが、ブーバーの言わんとするところであると確信いたしました。感動のある教育、涙する運動部体験、卒業の喜び等々、それこそが我と汝の真の意味での関係性でもあります。

 何度もここに書いてきましたが、孤高を保っていては、他人との関係性を持つことはできません。学校秀才に多いのですが、自分は他人の助けを借りなくてもなんでもできると勘違いしがちです。そんなことは滅多にありません。自分一人のちからなどたいしたことはないのです。それを勘違いして、他人に説教たれているようでは、話になりません。高いのは富士山ばかりではありません。富士山よりも高い山はいくらでもありまする。だから世の中は面白いのです。

 県銚をよりよくしたいと思うばかりです。いろいろアドバイスをしてくださる方も多く、感謝感激であります。謙虚に受け止めながら、まだまだ発展の機会ありと思っています。
 
 人まねではない、独自性を持ちたいと本当に思っています。この間のOlympicでわたくしの母校から日本代表が出ましたが、この後輩はまたすばらしい秀才でもあります。文武一貫、文理両道。いい学校にしたいという思いでいっぱいです。

 そんなことを今晩は考えました。



 合格された中学生の皆さん、是非とも、本校で、感動のある「我と汝」の関係性を持って学習されたし。
 
 そんなことを思った次第です。

 また来週! 

 
コメント
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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/