と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

不遜なことは言えませんが

2010年02月24日 20時15分37秒 | 先公ごっこ2008年から2012年

 いよいよ入試です。

 入ってくる方あり、現在の3年生のように大学受験のために学割を申請してくる生徒あり、まったく逆のことが、同時進行で進んでいくのですから不思議な感覚であります。

 どちらも頑張れ!頑張れ!であります。

 そういえば、冬季オリンピックの浅田真央選手と、キムヨナ選手の闘いも「どちらも頑張れ」であります。二人とも孫のような年齢ですから。

 所詮、スポーツは全部素人ですから、よくわかっていないのですが、浅田真央選手には応援したくなります。
 
 ファン心理とでも言うのでしょうか。
 それに、あのスケートの競技は、男子も含めて、まるでロシア文学に出て来そうな雰囲気があります。ドストエフスキーではありませんよ。トルストイの方です。

 楽しみが増えました。



  ☆



 小林秀雄先生の「無常という事」という文章は、大昔に受験生であった時、この文章からよく出題されたものでした。受験の季節になると思い出してしまいます。思い出しついでに、その本を鞄の中に入れて、昨日は電車で出勤したものですから、読みながら銚子まで来ました。「小林秀雄全作品」シリーズの14巻目です。この14巻には、他にもいろいろな作品があって、これはこれでなかなかおもしろい。

 しかし、受験生時代にはよくわからなかったことが、加齢とともにだんだん了解できるようになってきました。

 「無常」自体がよくわかっていませんでした。今でも正確な理解をしているわけではありませんが、印度哲学の学徒からすると、この言葉自体正確に分かっている人はいないということです。だから不遜なことは言えません。

 一応わかったような仮説を立てて、読むのです。しかし、これは苦しい。
 言葉というのは、こんなふうに考えていくと使えなくなってしまいます。

 ひとつの単語を相手も自分もわかっていて使っているのかということになると、非常に疑問に思ってしまいます。まともな、質の高い議論というのもなかなか世の中にはありませんし。

 言語の獲得という体験では、実につらいことがありました。生まれ育った土地の言葉と、関東の言葉があまりにも違っていましたから。

 おそらく、わたくしが生まれ育った土地の言葉で話をしたら、周囲の方々はまったく理解できないでしょう。

 また、いわゆるダチ言葉というのもわたくしは使えません。おかしなものです。

 考えることが、二重構造の言葉になっているのですから笑ってしまいます。

 時々混乱することがあるのです。

 あれ?

 あれはなんというのだっけ・・・というわけです。

 その点、英語の先生方は凄い。
 すらすらですもの。

 わたくしもすらすらと英語を、あるいは標準語を使いこなして、かっこよく話をしてみたいと思うばかりです。しかし、できません。困ったものです。

 話し言葉は難しいとほんとうに思います。

 だから、読むことに専念してきたのかも。
 そんなふうに考えることにしました。


 また明日!

 


 
  
 
 
コメント
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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/