と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

変わるもの 変わらないもの

2010年02月26日 22時34分33秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 わたくしたちは、現在の環境とか、心境、あるいは家とか、変わらないものであると思っています。

 あるいは学んだもの、知識というものも永遠不滅であるとも。

 そうではないのが、現象です。川が、それが水を流している以上、不滅のものではありませぬ。水は常に流れているのですから、一瞬たりと言えどもまったく同じ水はないわけです。

 生徒諸君との関係性もそうです。
 入学していただいた以上、別離があります。
 当然なわけです。

 いつまでも一緒にいるわけにはいかないわけです。
 当たり前のことですが。

 人間関係もそうです。
 いつまでも一緒にいるわけにはいきません。

 これはすべての人間関係にも該当します。
 さっきまで一緒にいた人とも、もう二度と会えないことになる可能性があるわけです。ですから、一期一会と言って、貴重な時間を共有させていただいているわけです。

 わたくしも、このブログで「また明日」とか「また来週」とか、あいさつのつもりで書いていますが、本当はそんなことはあり得ないわけです。あったら論理的におかしいことになります。明日も、来週も絶対に来るとは誰も保証できないのですからね。

 感傷で書いているのではありません。
 ほんとうにそうだと思っているからです。

 今日二度目の記事になりますが、なぜこんなことを考えたかというと、卒業式も近くなりましたし、三月は別れの季節でもあるからであります。

 卒業生との別離も感傷的にとらえれば、そうなのでしょう。
 それはそれで理解できます。自分自身の感傷を。

 またまた式辞について、見直しました。
 コンピュータで書いていますので、訂正は可能です。
 そして、「関係性」について式辞で申し上げるつもりでおりますから、ちょっとそこのところについて、自分の思索が浅かったと思ったのです。なにしろ文才がないから、何度も何度も見直すはめになります。

 「偉く」ないからでしょうね。わたくしごときでは間違ってもそんなことは言う資格もありません。しかし、世の中には、どうにもこうにも人を見下して、自分だけ偉いと思っていらっしゃる方がおられるようですから。気をつけませんと。そんなのでは破滅しますよ。
 
 わたくしは、今現在の自分を最低の状況だと認識をしてからスタートします。最低だと思っていると、不足部分がかなり見えてきます。向上の可能性と、発展の針路が見えてきます。これは喜びに通じます。ですから、自己満足をしている暇がありません。勉強していても、まだまだ不足部分が見つかってしまいます。いろいろな分野への知識欲にもなります。

 だから勉強するしかないわけです。
 世界には大天才がたくさんいますからね。

 うぬぼれていたらおしまいです。

 自分に言っているつもりですがね。


 今日、ちょっと考えたことでありました。


 また来週!
 (あいさつですよ、これは=笑)

 

 

 
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スタイル

2010年02月26日 20時39分39秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 わたくしはおよそ着るものと、ヘアスタイルに気を使いたくてもできない人間ですから、ちょっと誤解を受ける時もあります。実際わたくしと会ったことがある人は分かることなのですが。笑い話のようですけれども。

 それで、今、おおいに迷っているのが、卒業式の服装です。しかし、せっかく安価であっても礼服も持っておるし、あと2年くらいしか着ることもなくなると思うと、今は洋服、定年後に和服で過ごすのも一興。まだまだこれから考えますが、ね。

 和服の似合うのが作家の池波正太郎先生。
 実にすてきな方であります。

 剣客商売や鬼平シリーズ、梅安もの等々で実におもしろい読書体験をしてきました。
 
 その先生が、こよなく愛した料理店も行ってみました。

 天ぷらに、良質の日本酒というのが、先生の好きなスタイルであったようです。

 つまりスタイルというものをわたくしたちは持っているようです。
 そのことを言いたいと思ったのです。
 
 これは文武にも共通して言うことができるようです。

 まずは武から。
 背の低い柔道選手は背負い投げのような技を自分のスタイルとして取り入れます。
 背の高い人は、内股などの跳ね上げる技。
 わたくしのような、俊敏性に欠ける場合は、関節技主体のグランド重視。

 おもしろいものです。実におもしろい。


 次は文。
 一度教科書を見たら、全部記憶できるという人。いますか?
 ノートをまめにとるけれども、記憶できない人。これはわたくしです。
 
 いろいろありますね。
 実にいろいろあります。

 勉強方法は各種自分で工夫していくしかないようです。
 優れた人に教えてもらうのもいい。
 結局最後にそこに行くのかとがっかりさせてしまったですかな?

 言いたいことは、あまり方法や手段にこだわることはいかがなものかと思うからです。

 カード式学習法とか、サブノート方式とかいろいろこだわってきました。が、不変の勉強法というのはないのではないかと思ってきましたから。

 それでも、なんとかこだわっていただきたいとも思います。

 いい万年筆で、ノートをたどたどしく書いていくと作者と共有できる世界があります。

 キケローの岩波文庫「老年について」の抄録を、ノートに書き写しているとまるでこっちが、古代ローマに生きている老人、しかも活力あるアクティブエイジングの老人になったような気がするのですから、おもしろいものです。このことは定年後おおいに追求したいテーマでもあります。鍛錬していないと記憶力も衰えると警告されています。キケローは本当に楽しい老哲学者・政治家ですね。

 一つだけいい文章がありました。

 「無謀は若い盛りの、深謀は老いゆく世代の、持ち前というわけだ」(26頁)

 老哲学者、政治家大カトーと文武両道の青年二人との対話だけに、これは実におもしろい。ほんとうに。

 

 それだけですが。


 ではまた来週!

  

 

 
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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/