と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

柔道教室で汗を

2010年03月13日 23時33分10秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 今晩は、柔道教室で汗を流してきました。
 あたたかくなりました。
 ありがたいかぎりであります。
 特にわたくしのようなものには。

 しかし、元気であります。
 小学生から、中高校生、今日は大学生も来てくださいました。
 みなそれぞれの独自性を出しておられる。
 これが、個性なのだと思うからです。

 小学生はとくにかわいいと感じます。
 一生懸命です。
 
 わたくしは寝技が好きですから、いろいろとアドバイスをしています。すると実にいい。素直に聞いてくださる。こんな、高校時代と、大学時代に、あるいは講道館でちょっとやっただけで、世界大会に出たわけでもない素人のわたくしの申し上げることを真摯に聞いていただける。ありがたい。実にありがたい。

 明日、睦沢で大会です。

 いいものです。
 実にいい。
 結果的に気が付いたら文武両道をやってしまっていたから、認めざるを得ないのです。

 実にわたくしの人間形成に大きな影響を与えてくださったからであります。

 母校である高校の柔道部後輩で、K先生(伝説のプロレスラーになった先生と同じ姓名)という全日本の柔道コーチのことを今日は指導陣に言いました。そしたら、御存知なかった。伝説のプロレスラーは御存知でしたが。これは(*_*) マイッタ。北京オリンピックでテレビにも出ていたんですが。
 
 彼はわたくしなどと違って実に秀才であります。柔道の才能もあるから天才的文武両道。
 
 専門家ここにあり、であります。こういうのはある意味うらやましいのでありますが、素人には絶対にできません。周囲が認めてくれないからです。スポーツの世界でトップになるのは関東にある全国屈指の大学に入るより難しいと思っていますが。

 多くのアスリートには大いなる哲学があると思っています。



 「人生の哲学」なる書物を一日かけて読んでおりました。尊敬する鷲田小彌太先生のです。古本チェーンで入手しました。思うに、欲しい本はその場ですぐ買わないと誰かの手に渡ってしまいます。これで何度臍をかんだかわかりません。
 
 大学講壇哲学と、大衆哲学の違いのようなものを教えていただきました。
 これは多くのことに当てはまるようです。
 
 どうしても純文学とか大学講壇哲学を重要視する傾向がわたくしにもあるからです。純粋であればあるほどホンモノだと思う傾向のことです。鷲田先生、たいへんそれを批判されておりました。賛成反対は別として。

 そこで一言。
 
 ホンモノの教育とはなんでありましょうや。

 表面上の数値ではないと思っております。
 数値で勝負したらまだまだ凄い学校はたくさんあるわけであります。
 それを宣伝しているわけではありません。宣伝できる資格もない。

 気が付いたら文武両道をやってしまったという人間がいていいのであります。

 わたくしは自分が鈍刀で、ぼーっとしている見本のようなものです。古今東西の人物を見ていて、煮ても焼いても食えない勝海舟や大久保利通あたりは結局主領の器ではなかったという三宅雪嶺の指摘はさすがというべきでありましょう。雪嶺先生はさらに言われる。「団体の長となる者にはややもすると陰で笑われる嫌いがある。人の悪い者はこれを指しておめでたいという。しかしそのおめでたいところも場合によっては必要である。主領となる者は煮ても焼いても食えない者よりはすこしおめでたい方がよい」とも。おめでたいわたくしはこの部分にエラク感動しておるのでありまするよ。

 視野の狭いエリート教育がホンモノだとは思っておりません。だからといって、適当に時間だけ過ぎればいいというのもいかがなものか。

 人生の哲学を持つことが出来るような人間を育てたいものであります。
 そのためにはわたくしも含めてまだまだ課題の多い学校ではありますが。
 さらに人の子の親としても、まだまだわたくしなどは未熟者であります。
 とてもとても他人のことをとやかく批判できませぬ。
 完全ではありませんからね。

 あらゆる学問、森羅万象、すべてのことをマスターしたわけでもありません。
 学ぶことがあまりにも多すぎます。

 生涯学習を志しているのもそういう自分の未完成ぶりを大いに自覚しているからです。
 
 自分が無限大に完全であると思う人から教育に関われと言われたら、親としても、教師としても撤退しかありませんから。そんなことはあり得ないのだと思っています。

 

 明日の睦沢大会では、試合を大いに楽しんでいただたきたいと思っています。応援に行って、だみ声で頑張れ!と言ってみたかったのです。最近睦沢に来ていないことを大会関係者の皆様も心配しておられるとのことでした。

 明日、引率される指導の先生に、「外山はこの世からいなくなったことにしてくださいね」と申し上げておりました。ブラックユーモアになってしまって、大笑いになりましたが。

 去るときは去る。
 所詮、最初からいないようなものですから。
 ゆめ・まぼろしのごときものでしかありません。
 そういうことです。
 いつまでもしがみついていたら、それは妄執というものです。
 柔道のことも、すべて完全に理解しているわけではありませんからね。 
 100%誰にでもかかる技を持っているワケでもありません。
 免許皆伝?
 そんなことはあり得ませんから。
 所詮すべて初心者でありまする。



 また来週! 

 

 

  
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/