と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

年度末は

2010年03月15日 20時17分21秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 年度末はある種の寂寥をともないます。
 これは会うことがあれば、去ることもあるのが世の中の一般的な事実であって、拒否することはできません。年度末の仕事で追いまくられていますから、よけいそういうことを考えるのですが。

 その意味で、卒業式もそうです。
 ある中学校の卒業式で、女性の生徒会長が切々と訴える別れのつらさに、涙を禁じ得なかったということを聞きました。それが寂寥であることは否定できないと思います。別れがあるからつらいわけです。しかも、それは人生の常態でもあります。感傷主義に溺れずとも、寂寥はたしかに存在します。

 一期一会とはよくもいったものであります。
 会うから、別れがあるのです。 
 だから、この一瞬を大切にしたいということなのだそうです。
 然りです。
 
 いつまでも続く人間関係なぞあり得ませんし、そんなのは妄執に近いと感じるからです。いつかは別れがあります。それが明日なのか、今晩なのか誰にもわからないわけです。

 ですから時間がもったいない。
 わたくしはそういう逆からの発想をします。

 人生を終わりから眺めてみるわけです。

 そうすると、今、さぼって遊んでいるわけにはいかなくなります。
 むろん息抜きも必要ですよ。しかし、息抜きにのめり込んでいたらろくなことにはならない。息抜きは、勉強や仕事に没頭しているから息抜きであって、息抜きの専門家になってしまったらそれは息抜きとは言えない。仕事になってしまいます。

 よく何もせずに遊んで暮らしたいとおっしゃる方がいますが、いかがなものかと思うのです。

 仕事をして、社会のために一隅を照らすという生き方も大切だと思います。定年になっても誰かのお役にたちたいと思っています。じゃまばかりしていたら、いかんですから。



 本校の正門の下に、池があります。
 今日は電車で通勤しましたから、観音駅から歩いてきて、はっと気がつきました。
 いつもいた鳥たちがいないのです。
 どこかに飛んで行ったのでしょうか?

 あなたたちはどこに行ったの?と、金子みすず先生なら、やさしく美しい文章で書かれるでしょうね。

 観音駅という駅の名前も好きです。
 じつにやさしい音声ではないですか。
 「か」 「ん」 「の」 「ん」 「え」 「き」
 銚子の魅力はここにもあります。



 亀井勝一郎を思い浮かべます。大和古寺風物誌を読んで、関西文化に憧憬したものでありました。 

 彼の地にもすてきな地名がいくらでもあります。
 ちょっと電車に乗ると中世文化の香りがする。
 古典の中に出てくる地名が現実にある。
 これもまた凄いことであります。
 かなにして読み上げると響きが伝わってきます。
 「さるさわのいけ」
 「おおはら」
 寺院の名前もそうです。
 学校関係者のブログですから、寺の名前も出せませんが。歴史の学習ならokなんでしょうがね。

 平家物語を通読してから行くと、もっと楽しい旅になります。体験上。

 そんなことを今朝ふと思いました。


 また明日!
 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/