と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

静謐

2010年04月16日 20時01分23秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 今日はそっと廊下から授業風景をのぞいてみました。
 静謐という表現がぴったりでありました。

 しーんとしています。
 夢中になっているのがよくわかります。
 熱気も伝わってきます。
 触れるとやけどしそうな熱意。こういうところから、力(チカラ)が育つわけであります。そうでなくてはなりませぬ。机上の空論から、実践力へ。むろん机上の空論も大事です。基礎基本です。空論という言い方が悪ければ理論。インプットと言い換えてもいい。そこから実践力が育ち、実践へと結びついていきます。(※実践力と実践は似て非なるものです)

 
 今年も授業風景を動画でお伝えしたいと思っています。
 まだ先生方も生徒の実態把握の真っ最中であります。
 落ち着いたら各教室にうかがうつもりです。

 教育は実態把握無しには不可能であります。
 どういうことでわかってもらえるかということが大事なわけです。

 授業をする方の準備と、聞く方のレベルもまた非常に大事なものであります。
 いわゆる人を見て法を説けというのと一緒です。

 ですから絶対に思い上がってはならないわけです。

 その辺は、経験がものを言うのでしょう。
 ずいぶんいろいろな授業体験をさせていただきました。

 学校によって、千差万別でありました。
 これ以上は、ここには書けません。
 
 いろいろな思い出があります。
 
 一時期他の先生方の授業を参観させていただき、「追試」というつまり物まねをさせていただきながら、訓練をしていました。懐かしい思い出であります。一行詩などの国語授業が、かなり難しいものでありました。板書も生徒にさせてみたり、ノートも生徒とのコミュニケーションで使ったり、工夫したものであります。こういう実践から得たわたくしの拙いコツをどっかでお伝えしたいものでありますが、そもそもまだまだ完成しておりません。お伝えするなら、それなりに理論も勉強しませんと。

 いろいろとお世話になっている大学の先生からいい情報をお聞きしました。それで、教育学とか、心理学の旧版の大学教科書(その大学出版部のもの)をご紹介いただいたので、入手させていただきました。合計7冊。一昨日送られてきました。嬉しくて、嬉しくてたまりませんでした。家人に呆れられましたが。その中に、人格心理学というのもあったのです。これが欲しくてなりませんでした。茅屋で読み始めております。

 知らないことが多すぎます。
 今になって思うのです。
 何も知らないで親になったり、いっぱしの社会人を気取ったりしていたんだなぁと。他人に自慢できるようなものはなんにもありません。

 すべて「無」。
 笑い話のようなものです。

 柔道もそう。審判もさせていただきましたが、人の試合を審判できるだけの実力もないではないかと気がついてからは、可能な限りやりません。事故等でやる人がいないときだけにしました。オリンピックにも出ていませんし。理論だけは身につけようと、嘉納治五郎大系という全集を匝瑳市の古書店から購入して勉強させていただいております。柔道教室の保護者の方にその読後感をインターネットで書かせていただきますと約束したのでありましたが、まだやっていません。なんという懶惰な性格でしょうか。

 反省、反省。

 わたくしも、本校生徒達のように「静謐」な心境を保ち、真摯に学ぶしかないようです。

 寒かった一日でしたが、熱気のある県銚でありました。

 また来週!

 

 
 
 
コメント
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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/