と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

三屋清左衛門残日録

2010年04月21日 21時00分14秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 三屋清左衛門残日録という藤沢周平の小説を過日紹介させていたきました。
 今日は、午後から出張でしたので、電車の中で読み終えたのです。

 しみじみとした味わい深い作品でありました。
 池波正太郎先生の剣客商売にも似た実にゆったりとした味わいがあります。
 がつがつとしていない余裕。
 ゆとり。
 そういう泰然とした魅力を持ちたいものであります。
 なかなか困難なことではありますが。

 この藤沢周平の作品は、アクティブエイジングという論文で紹介されていましたので、興味を持ったのです。銚子駅前の書店にも置いてありました。わたくしは、古書店で入手しましたが。

 なぜ、古書店ばかりかというのはワケがあります。
 むろん、金銭的なものもあります。要するに、量的に追いつかないのです。多種大量に購入しますので、本当に困ってしまいます。専門が無いようなものですから。いろいろなことに興味関心があって、ご丁寧にもいちいち論文まがいのものを書いて師匠に御指導をいただいている懶惰な老書生ですし。困ったものです。60になんなんとするのに、まだ自慢できる能力もないのです。本当になんにも無い。恥ずかしい限りであります。もっとも、そんな能力がもしあったとしても自慢なんかするはずもありませんけどね。それほど世間ズレしているつもりはありませんです。
 
 だったら図書館から借りればいいじゃないかとよく言われます。
 事実、借りているのです。
 しかも県内でも有数の図書館が東総地区にはありますから。ありがたいかぎりです。ほぼ毎週通っています。静寂な中で、ひとときを過ごすのがなによりも楽しみであります。大学の本当の実力はその大学の図書館の充実度であると聞いたことがあります。高校の同級生でT女子大学の教授をやっている奴から言われました。首肯できます。まったくそのとおり。そして、茅屋のわたくしの複合機で気に入った頁をコピーさせていただき資料集を作ります。こういう作業が実に心地よいのです。

 それと、書籍は自分で購入しないと身につきません。書き込みができないからです。借りた書籍には絶対にしてはなりません。これは厳守事項。

 書き込みをした書籍は本当に懐かしいものです。
 日付も入れておくと、あぁぁぁ、若い頃はこんなことに感動していたのだったなぁと思います。
 
 ドストエフスキーの小説もそう。
 マルメラードフの描写について、書き込みを見ていたら、38年前にはこんなことを考えていたのだなぁと河出書房新社から出ている全集本がいとおしくなりました。今も未熟ですが、20歳前後のわたくしの精神の幼さが恥ずかしい。なんにもわかっていなかったのですからね。

 青年期はうぬぼれと、強気、弱気が同居します。
 それはそれで好ましい。
 ある意味そういううぬぼれがないと社会は発展しません。
 乱暴な思索と、無目的な行動。
 いちいち自分の行動に意味を持たせることはできないのが若さの特権でもありましょう。そういうPowerが世の中を変えてきたのでしょう。幕末はまさにそういう時代でもありました。
 
 しかし、時間は冷酷です。
 必ず、静寂な時期が誰にでも訪れます。病気をしたり、老いたり。太陽は必ず西の方に沈んでいくのですから。

 そういうときにどうするのか。
 そんなことも必然的に考える時期が待っています。

 燃えさかる時ばかりではありませんよ。 
 
 藤沢周平の小説「三屋清左衛門残日録」はそういうことを考えさせてくれました。

 感謝です。

 教育もまた、人生をトータルに考えさせてくれるものであります。どこの大学に何人送ったかというような数値の問題ではないからです。そんなことを言い始めたら全国屈指の進学高に笑われますからね。

 そんなことを宣伝するつもりもありません。
 
 いろいろ考えさせていただいた藤沢周平先生に感謝です。
 まったくそうです。



 また明日!
   
 
コメント
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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

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高齢\(^_^)/