おもしろおかしく人のことを言ううわさ話とか世間にはそういう事例がたくさんあります。在校生諸君はそういうのにいちいち左右されないことです。そんなものに右往左往させられたら、命がいくつあっても足りません。笑い話のような体験がわたくしにもたくさんあります。
その中で、笑ったのがわたくしのヘアスタイルです。出家したのではないかと言われました。これはほんとうに大笑い。何を根拠にしたのでしょうかね。我が家の宗教とか思想信条とかまったくどこにも書いていませんし、話もしたことがありません。だいたいにおいて、最終的に何を学んだのか、学んでいるのかということもまったく明らかにしておりません。また、政治についても申し上げることはできません。そんなことは、教育公務員としてはできませんから。
要するに言いたいことは、根拠を持たないことは発言としていかがなものかということです。
根拠を大切にしてください。
そして分析も。
自己判断と、軽いノリでつまらん独断をしてはいけません。数学に絶対値という授業があります。この間、一年生の数学の授業を感心しながら拝見させていただいていたのです。そして思ったのが数学の素人ですから、判断や、会話にも絶対値的な思考が必要なのではないのかということでありました。どこまで本当なのかと常に疑う事も大切であります。絶対値にそういうことはあり得ないのでしょうけれども。数学も哲学として意識すると楽しいのだそうですね。高校の恩師がそうおっしゃっていました。厳しい先生でありました。ここには書けないほど厳しい授業でした。数学だけは県下ナンバーワンの高校でしたから、よけいそうだったのでしょう。あまりの厳しさにその先生が夢にまで登場してきたのには閉口しました。K先生と言われました。漱石の小説に出てきそうですよね。
根拠を持つということは論駁をするときに最も気をつけなくてはなりません。最も要求されることです。批判する以上、その論者を上回る学力がなければいけません。すくなくとも同等レベルまで自分が勉強するしかありません。
勉強不足のわたくしですら、そうしています。でなければ論文への論駁はできません。いろいろな分野で自分のレポートを書くときは、論拠の否定から理論を積み上げていく場合もあるからです。厳しいものです。そうした世界に住んでいる以上、自分の論拠もまた否定される対象になるからです。(これは教員になる前から取り組んでいるわたくしの生涯学習の世界のことです。誤解無きようお願いしますね。)
同時に、そういう学問のまねごとではありますが、鍛えられていると、根拠を明確にしつつレポートを書く習慣が身につくようです。まだまだ道遠しであります。一度たりとも満足のいくレポートを書き上げたこともないから一丁前のようなことは言えないからです。こころの中にいる師匠(良心)に怒られてしまいます。いつキミは完成したんだね?と。
まだまだ勉強しなくてはなりません。
古今東西万巻の書籍を読破したわけではありませんから・・・・・。
本当に道遠しです。ため息が出ます。
いい年をして、万年書生なのですから。
そんなことを思いました。
ではまた明日!
その中で、笑ったのがわたくしのヘアスタイルです。出家したのではないかと言われました。これはほんとうに大笑い。何を根拠にしたのでしょうかね。我が家の宗教とか思想信条とかまったくどこにも書いていませんし、話もしたことがありません。だいたいにおいて、最終的に何を学んだのか、学んでいるのかということもまったく明らかにしておりません。また、政治についても申し上げることはできません。そんなことは、教育公務員としてはできませんから。
要するに言いたいことは、根拠を持たないことは発言としていかがなものかということです。
根拠を大切にしてください。
そして分析も。
自己判断と、軽いノリでつまらん独断をしてはいけません。数学に絶対値という授業があります。この間、一年生の数学の授業を感心しながら拝見させていただいていたのです。そして思ったのが数学の素人ですから、判断や、会話にも絶対値的な思考が必要なのではないのかということでありました。どこまで本当なのかと常に疑う事も大切であります。絶対値にそういうことはあり得ないのでしょうけれども。数学も哲学として意識すると楽しいのだそうですね。高校の恩師がそうおっしゃっていました。厳しい先生でありました。ここには書けないほど厳しい授業でした。数学だけは県下ナンバーワンの高校でしたから、よけいそうだったのでしょう。あまりの厳しさにその先生が夢にまで登場してきたのには閉口しました。K先生と言われました。漱石の小説に出てきそうですよね。
根拠を持つということは論駁をするときに最も気をつけなくてはなりません。最も要求されることです。批判する以上、その論者を上回る学力がなければいけません。すくなくとも同等レベルまで自分が勉強するしかありません。
勉強不足のわたくしですら、そうしています。でなければ論文への論駁はできません。いろいろな分野で自分のレポートを書くときは、論拠の否定から理論を積み上げていく場合もあるからです。厳しいものです。そうした世界に住んでいる以上、自分の論拠もまた否定される対象になるからです。(これは教員になる前から取り組んでいるわたくしの生涯学習の世界のことです。誤解無きようお願いしますね。)
同時に、そういう学問のまねごとではありますが、鍛えられていると、根拠を明確にしつつレポートを書く習慣が身につくようです。まだまだ道遠しであります。一度たりとも満足のいくレポートを書き上げたこともないから一丁前のようなことは言えないからです。こころの中にいる師匠(良心)に怒られてしまいます。いつキミは完成したんだね?と。
まだまだ勉強しなくてはなりません。
古今東西万巻の書籍を読破したわけではありませんから・・・・・。
本当に道遠しです。ため息が出ます。
いい年をして、万年書生なのですから。
そんなことを思いました。
ではまた明日!