いよいよ7月です。
教室のクーラーが作動します。PTAの皆様のおかげであります。感謝してもしきれるものではありません。本当にそうであります。校長室はアナログで、手動の扇風機でありますが。つまり団扇。たまに電動扇風機です。とうとう冷房に縁のない職業生活を送ってしまいました。40年近くも。健康を維持しているのはこのせいかもしれません。
在校生諸君!
保護者の方々に感謝したまえ。
本当にそう言いたいのであります。
本当にありがたい限りであります。
今日はある会議に出席させていただいておりました。
そうしたら、今年初めて校長になられた方々の研修で、県銚のことが取り上げられたのだそうです。直接、その研修に参加された新任校長先生に、しかも複数の校長先生にお聞きしました。やる気があるなら銚子まで直接行って話を聞いて来なさいと講師の先生はおっしゃったそうであります。
感謝です。本当にありがたいことであります。意図した、あるいは意識的に広報を行ったわけではありません。自然に、あくまで自然に、普通科らしい教育を行ってきただけであります。スポーツエリート高校を標榜してきたわけでもありません。大学進学率だけを気にした訳でもありません。本当に普通の学問、体力養成、人物育成をねらってきただけであります。
構えないということを感じました。
構えると、必然相手も構えます。
こちらの構えを覚られないというのも、武芸者としての必然であります。
相手にこちらの技を覚られるようでは、いかがなものか。
それにはこちらの能力を明らかにしないことであります。もっとも愚生ごときが何を言っても始まりません。
いかにも秀才じみてみられるのは、ちょっといかがなものかと思います。自他共に認める心底からの秀才ならばそれはそれでいいでしょう。しかし、世の中そんなに甘くはありません。世間で成功する方は、また別の次元で生きておられます。学歴を鼻の先にぶらさげておってはならんですぞ。そんなつまらん人間を育成しているつもりは毛頭ありませぬ。愚生がいい例です。何も自慢するものが無い。自慢なんかしていたら、よその方から学ぶこともなくなります。いろいろと教えていただくだけでも本当にありがたい限りであります。
今日もある保護者の方とちょっとお話をさせていただいておりました。
こころから、県銚に進学させたことを喜んでいただいていました。ある意味、普通の教育をおこなっている県銚のような学校があまり無くなっているのではないかと感じました。勉強だけ、運動だけというよりも、人間としてあたりまえの健康で学問にも秀でている「総合的人間力」というのが、一面の理想ではあるまいかと真剣に思うからであります。
そういう意味では文武両道も偏っています。人間は文武だけではありません。究極には人間としての格がある。人物がある。人品がある。あくまで総合力であります。世の中に出たらマニュアルだけでは生きていけません。大人になるというのは、日々マニュアルの無い時間を生きることであります。応用問題のオンパレードが世間であります、法律だけで世間全般が解決するわけでもありませぬ。この理解があれば法学部を志望している在校生も、将来立派な法曹になれます。今年の春卒業していった野球部主将はある国立大学の法学部に合格しましたが、法曹を目指しているそうであります。楽しみです。実に楽しみ。
就職もできるし、国公立大学の進学も十分できるし、なんと言っても部活もできます。
これは大きな特色であります。
これだけは声を大にして言いたいことです。
小手先の受験技術だけを教えているのではありません。受験技術「も」教えているのであります。
県銚は学問を教えておるのであります。
それは「人物」になるためであります。
人物になるためなら、どんな辛苦があろうとも、学問のつらさに耐えることができると思うのであります。
つまり「学問、体力、人物」の育成であります。
本当に県銚から明日の日本を背負う人物が育ってほしいものであります。
広瀬淡窓先生の私塾「咸宜園」に参上させていただいた時にも、それは感じました。ひるがえって考えれば、本校の先生方お一人一人の学問的実績が、あるいは人格的な深みがそれを可能にすると思った次第です。楽しみな学校であります。
また明日!
教室のクーラーが作動します。PTAの皆様のおかげであります。感謝してもしきれるものではありません。本当にそうであります。校長室はアナログで、手動の扇風機でありますが。つまり団扇。たまに電動扇風機です。とうとう冷房に縁のない職業生活を送ってしまいました。40年近くも。健康を維持しているのはこのせいかもしれません。
在校生諸君!
保護者の方々に感謝したまえ。
本当にそう言いたいのであります。
本当にありがたい限りであります。
今日はある会議に出席させていただいておりました。
そうしたら、今年初めて校長になられた方々の研修で、県銚のことが取り上げられたのだそうです。直接、その研修に参加された新任校長先生に、しかも複数の校長先生にお聞きしました。やる気があるなら銚子まで直接行って話を聞いて来なさいと講師の先生はおっしゃったそうであります。
感謝です。本当にありがたいことであります。意図した、あるいは意識的に広報を行ったわけではありません。自然に、あくまで自然に、普通科らしい教育を行ってきただけであります。スポーツエリート高校を標榜してきたわけでもありません。大学進学率だけを気にした訳でもありません。本当に普通の学問、体力養成、人物育成をねらってきただけであります。
構えないということを感じました。
構えると、必然相手も構えます。
こちらの構えを覚られないというのも、武芸者としての必然であります。
相手にこちらの技を覚られるようでは、いかがなものか。
それにはこちらの能力を明らかにしないことであります。もっとも愚生ごときが何を言っても始まりません。
いかにも秀才じみてみられるのは、ちょっといかがなものかと思います。自他共に認める心底からの秀才ならばそれはそれでいいでしょう。しかし、世の中そんなに甘くはありません。世間で成功する方は、また別の次元で生きておられます。学歴を鼻の先にぶらさげておってはならんですぞ。そんなつまらん人間を育成しているつもりは毛頭ありませぬ。愚生がいい例です。何も自慢するものが無い。自慢なんかしていたら、よその方から学ぶこともなくなります。いろいろと教えていただくだけでも本当にありがたい限りであります。
今日もある保護者の方とちょっとお話をさせていただいておりました。
こころから、県銚に進学させたことを喜んでいただいていました。ある意味、普通の教育をおこなっている県銚のような学校があまり無くなっているのではないかと感じました。勉強だけ、運動だけというよりも、人間としてあたりまえの健康で学問にも秀でている「総合的人間力」というのが、一面の理想ではあるまいかと真剣に思うからであります。
そういう意味では文武両道も偏っています。人間は文武だけではありません。究極には人間としての格がある。人物がある。人品がある。あくまで総合力であります。世の中に出たらマニュアルだけでは生きていけません。大人になるというのは、日々マニュアルの無い時間を生きることであります。応用問題のオンパレードが世間であります、法律だけで世間全般が解決するわけでもありませぬ。この理解があれば法学部を志望している在校生も、将来立派な法曹になれます。今年の春卒業していった野球部主将はある国立大学の法学部に合格しましたが、法曹を目指しているそうであります。楽しみです。実に楽しみ。
就職もできるし、国公立大学の進学も十分できるし、なんと言っても部活もできます。
これは大きな特色であります。
これだけは声を大にして言いたいことです。
小手先の受験技術だけを教えているのではありません。受験技術「も」教えているのであります。
県銚は学問を教えておるのであります。
それは「人物」になるためであります。
人物になるためなら、どんな辛苦があろうとも、学問のつらさに耐えることができると思うのであります。
つまり「学問、体力、人物」の育成であります。
本当に県銚から明日の日本を背負う人物が育ってほしいものであります。
広瀬淡窓先生の私塾「咸宜園」に参上させていただいた時にも、それは感じました。ひるがえって考えれば、本校の先生方お一人一人の学問的実績が、あるいは人格的な深みがそれを可能にすると思った次第です。楽しみな学校であります。
また明日!