昨日関東大会に出場したばかりのO君が校長室に来室してくれました。
今日の午後でありました。
しみじみお話をしてびっくりしました。
何かというと、その身体の大きさにです。
愚生の倍はありそうな鍛え抜かれた胸幅。
さらにこれが一番感心したことですが、その話し方にです。
礼儀をわきまえています。
もののふは、文法を知らなくてはいけません。
特に敬語文法を、です。
乱暴なだけではいかがなものか、獣になるために鍛えているのではありませんから。これは愚生の柔道教室のちびっこたちにもずっと継続して言い続けていることであります。
去年も校長室でお会いしたのですが、まったく違う印象でした。
一年でこんなに違ってしまうのですね。
生徒の成長というのは早いものであります。
その分こちらは年をとってしまいます。
それもまた世の常、世のならいであります。
そういう成長を見続けることが、教育という仕事でありましたから。
さて、今日はDVDの作成が終了しました。
内容は素人ですので、プロの方から見たらなんということもないのでしょうけれども、要するに生徒のいきいきとした姿をお伝えできればと思っているだけです。ですから、技術的なことはご勘弁いただきたいと思っています。照明もないし、音も拾えないからです。これは致命傷です。
しかしよくもまぁこれだけ乏しい機器で何をやっているのだろうかと思います。
それもこれも学校のためであります。ほんとうにそれだけなのです。さらに言えば、中学校のニーズに応えたいというちっぽけな愚生なりの思いであります。もうすぐお届けできると思います。体験入学以降になりますが。
今日はベンサムの功利主義ということを考えておりました。
実は、道徳的判断ということを考えるに、この哲学者の手法を応用すると実にわかりやすいからです。よくメリット、デメリットという観点からだけ物事を考える人がいます。発言もされる方が多い。善悪は別としてです。
ある事件があると、その是非を巡って意見が別れることがあります。世間で最も有名な掲示板を見ると、その書き込んでいる方の道徳的価値観がわかってくる。あまり考えないで書き込んでいる方もいるし、かなり思索的にやっている方もいる。まったく哲学の教科書のようです。
ニュースをもとに書き込む掲示板もあって、こちらの方はもっと興味深い。
必然的に功利主義に毒されていることがはっきりしている方もあります。この間の山岳救助のヘリコプター遭難事故では、まさに何が正義であるかという観点からその掲示板にあらゆることが書いてありました。
このことの延長がサンデル教授の哲学の授業のような気がしているのです。一つの事例に過激に反応している場合もあるし、論理的に破綻している場合もあります。まったく生きた教科書であります。
あまり詳細に書けないのが実に残念であります。
また最近の週刊誌の政治記事も実におもしろく読ませていただいております。
ベンサムの言っているとおりではないかと思うからであります。
これもまたはっきりと書けません。
実に残念であります。
ノートまでとっているのですが、ね。
こちらもやはり生きた論理学の教科書です。
リーダーのあり方の学習にもなります。
また、リーダー育成方法ということでも。
本校からも、リーダーが育っていくことでしょうから。
楽しみにしている部分でもあります。
しかし、基本は挨拶です。
きちんと礼を言えるか、言えないか。
これは人間関係の基本です。
これが実は最も大切であります。
O君の来室に、いろいろなことを考えました。
いい生徒ばかりです。
本校は。
こういう生徒を送ってくださった保護者の方々に感謝しておりました。
また明日。
今日の午後でありました。
しみじみお話をしてびっくりしました。
何かというと、その身体の大きさにです。
愚生の倍はありそうな鍛え抜かれた胸幅。
さらにこれが一番感心したことですが、その話し方にです。
礼儀をわきまえています。
もののふは、文法を知らなくてはいけません。
特に敬語文法を、です。
乱暴なだけではいかがなものか、獣になるために鍛えているのではありませんから。これは愚生の柔道教室のちびっこたちにもずっと継続して言い続けていることであります。
去年も校長室でお会いしたのですが、まったく違う印象でした。
一年でこんなに違ってしまうのですね。
生徒の成長というのは早いものであります。
その分こちらは年をとってしまいます。
それもまた世の常、世のならいであります。
そういう成長を見続けることが、教育という仕事でありましたから。
さて、今日はDVDの作成が終了しました。
内容は素人ですので、プロの方から見たらなんということもないのでしょうけれども、要するに生徒のいきいきとした姿をお伝えできればと思っているだけです。ですから、技術的なことはご勘弁いただきたいと思っています。照明もないし、音も拾えないからです。これは致命傷です。
しかしよくもまぁこれだけ乏しい機器で何をやっているのだろうかと思います。
それもこれも学校のためであります。ほんとうにそれだけなのです。さらに言えば、中学校のニーズに応えたいというちっぽけな愚生なりの思いであります。もうすぐお届けできると思います。体験入学以降になりますが。
今日はベンサムの功利主義ということを考えておりました。
実は、道徳的判断ということを考えるに、この哲学者の手法を応用すると実にわかりやすいからです。よくメリット、デメリットという観点からだけ物事を考える人がいます。発言もされる方が多い。善悪は別としてです。
ある事件があると、その是非を巡って意見が別れることがあります。世間で最も有名な掲示板を見ると、その書き込んでいる方の道徳的価値観がわかってくる。あまり考えないで書き込んでいる方もいるし、かなり思索的にやっている方もいる。まったく哲学の教科書のようです。
ニュースをもとに書き込む掲示板もあって、こちらの方はもっと興味深い。
必然的に功利主義に毒されていることがはっきりしている方もあります。この間の山岳救助のヘリコプター遭難事故では、まさに何が正義であるかという観点からその掲示板にあらゆることが書いてありました。
このことの延長がサンデル教授の哲学の授業のような気がしているのです。一つの事例に過激に反応している場合もあるし、論理的に破綻している場合もあります。まったく生きた教科書であります。
あまり詳細に書けないのが実に残念であります。
また最近の週刊誌の政治記事も実におもしろく読ませていただいております。
ベンサムの言っているとおりではないかと思うからであります。
これもまたはっきりと書けません。
実に残念であります。
ノートまでとっているのですが、ね。
こちらもやはり生きた論理学の教科書です。
リーダーのあり方の学習にもなります。
また、リーダー育成方法ということでも。
本校からも、リーダーが育っていくことでしょうから。
楽しみにしている部分でもあります。
しかし、基本は挨拶です。
きちんと礼を言えるか、言えないか。
これは人間関係の基本です。
これが実は最も大切であります。
O君の来室に、いろいろなことを考えました。
いい生徒ばかりです。
本校は。
こういう生徒を送ってくださった保護者の方々に感謝しておりました。
また明日。