「日比谷高校の復権」(学事出版)という内容の本を読了しました。
在校生諸君はこの高校のすごさを知らないでしょう。もっともです。これは愚生くらいの年齢ですと常識なのですが、あるときを境に学校の様子が一変してしまったのです。そのことには触れませんが、幾多の俊秀を輩出した学校ですらあったのに、なぜにここまでなったのか。理由を知っているだけに残念なことであります。
つまり言いたいことは、油断してはならんということです。
思い上がったり、伝統にあぐらをかいていてはならんのです。
常に向上していくしか無いわけです。
だからこそ努力は尊い。
ある意味学問をしていくのも、30代、40代になって平気で働くことができるように、そういうタフネスを持つことが大事なのだとある人から教えていただいて、目から鱗でありました。どんなに超一流大学を出ようとも、社会的役割を果たすという意味での、働く力=生きる力が無くては何もなりません。「平気でおること」というのは正岡子規も言われている。多少の挫折とか、不安とか、苦言とか言われても、それに平気でいることがもっとも大切なのではありますまいか。
正岡子規は肺病で本当に苦しみます。
耐えられないような苦悩であったことでありましょう。
文庫本で彼のいろいろな文章に接して、それでもなおかつ子規先生には生きる力がある。
それが「平気でいること」の」神髄であります。強くなくてはこんなことは言えません。見かけの強さではありませんよ。それだったらボディビルダーが最強になる。そうではなくて、精神的タフネスです。そうでなくてはいかんのです。むろん健康が最優先です。それでも尚且つ愚生は精神的なタフさを問題にしたいのです。
これは本当に在校生諸君に申し上げたいことの最優先課題であります。
「心を強くなさいませ」と申し上げたい。
今日はプラトンのイデア論のことを考えておりました。
ギリシア哲学というのは、実におもしろくてためになります。しかしある意味実に単純な傾向があります。現象を非常に重視するからであります。ソクラテスの対話篇に出てくるのですが、洞窟の寓話というのがあって、我々人間は陰を見て、光源をみることが無いということがあると言うのです。これは実にシンプルなのですが、ちょっといただけない部分もあります。全てを知の対象として、経験を過大評価する傾向があります。経験しないと、全ては価値がないとするならば、それはちょっといただけない。抽象論から逃げているからです。このあたりは大学のレベルなら立派な授業になるのでしょうね。実体と現象についてなどという一こまの授業になると思います。
つまり何を言いたいかというと、タフネスということが、現象だけの問題になってしまうということを申し上げたい。表面だけタフであってもそれはいかがなものか。
だからこそ、心を問題にしたいのであります。
男性こそ、非タフネスであると実感するからであります。つまり「弱きもの」「そは男性なり」と言うことなのです。くよくよ、くよくよつまらんことに悩むのは男性の方が多い。シンプルさに欠ける。学問ばかりであってはなりません。武もやっていただきたいと思うのは、心の分野も鍛えていただきたいからです。つまり人物を鍛えるということです。
県銚は、日比谷高校のような学校ではありませんし、そういう方向に行けるわけもありません。
そうではなくて、タフネスさを持った生徒を育成したいものであります。
学問も、体力でも、人物でも。
またあした!
在校生諸君はこの高校のすごさを知らないでしょう。もっともです。これは愚生くらいの年齢ですと常識なのですが、あるときを境に学校の様子が一変してしまったのです。そのことには触れませんが、幾多の俊秀を輩出した学校ですらあったのに、なぜにここまでなったのか。理由を知っているだけに残念なことであります。
つまり言いたいことは、油断してはならんということです。
思い上がったり、伝統にあぐらをかいていてはならんのです。
常に向上していくしか無いわけです。
だからこそ努力は尊い。
ある意味学問をしていくのも、30代、40代になって平気で働くことができるように、そういうタフネスを持つことが大事なのだとある人から教えていただいて、目から鱗でありました。どんなに超一流大学を出ようとも、社会的役割を果たすという意味での、働く力=生きる力が無くては何もなりません。「平気でおること」というのは正岡子規も言われている。多少の挫折とか、不安とか、苦言とか言われても、それに平気でいることがもっとも大切なのではありますまいか。
正岡子規は肺病で本当に苦しみます。
耐えられないような苦悩であったことでありましょう。
文庫本で彼のいろいろな文章に接して、それでもなおかつ子規先生には生きる力がある。
それが「平気でいること」の」神髄であります。強くなくてはこんなことは言えません。見かけの強さではありませんよ。それだったらボディビルダーが最強になる。そうではなくて、精神的タフネスです。そうでなくてはいかんのです。むろん健康が最優先です。それでも尚且つ愚生は精神的なタフさを問題にしたいのです。
これは本当に在校生諸君に申し上げたいことの最優先課題であります。
「心を強くなさいませ」と申し上げたい。
今日はプラトンのイデア論のことを考えておりました。
ギリシア哲学というのは、実におもしろくてためになります。しかしある意味実に単純な傾向があります。現象を非常に重視するからであります。ソクラテスの対話篇に出てくるのですが、洞窟の寓話というのがあって、我々人間は陰を見て、光源をみることが無いということがあると言うのです。これは実にシンプルなのですが、ちょっといただけない部分もあります。全てを知の対象として、経験を過大評価する傾向があります。経験しないと、全ては価値がないとするならば、それはちょっといただけない。抽象論から逃げているからです。このあたりは大学のレベルなら立派な授業になるのでしょうね。実体と現象についてなどという一こまの授業になると思います。
つまり何を言いたいかというと、タフネスということが、現象だけの問題になってしまうということを申し上げたい。表面だけタフであってもそれはいかがなものか。
だからこそ、心を問題にしたいのであります。
男性こそ、非タフネスであると実感するからであります。つまり「弱きもの」「そは男性なり」と言うことなのです。くよくよ、くよくよつまらんことに悩むのは男性の方が多い。シンプルさに欠ける。学問ばかりであってはなりません。武もやっていただきたいと思うのは、心の分野も鍛えていただきたいからです。つまり人物を鍛えるということです。
県銚は、日比谷高校のような学校ではありませんし、そういう方向に行けるわけもありません。
そうではなくて、タフネスさを持った生徒を育成したいものであります。
学問も、体力でも、人物でも。
またあした!