と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

期末試験が終了

2010年07月08日 23時14分31秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 一昨日の学事出版編集部の方とライターの方とのお話はほんとうに、ショックの連続でありました。文章を書くということにおいていかに愚生なぞ素人かということでありました。まだ感動中であります。実にためになりました。いいものです。文章を書いて食べておられる専門家といろいろとお話をさせていたくことが、どれだけこちらの意欲を向上させていただけるか、はかりしれないものがあります。

 今日で期末試験が終了しました。
 部活動が再開されました。

 運動部の撮影も滞っています。まだ登場していない部の生徒諸君に申し訳ない。最近は愚生が直接撮るよりも機器を生徒に預けて生徒自身に撮ってもらった方がいいと思っています。しかも、これがなかなかいい写真が多い。

 ところがです。
 実に困った現象が起きました。
 デジタルムービーを新機種に変えましたから、茅屋のパソコンでないと全く反応しないのです。つまり遅すぎるのです。ハイビジョンですから、これはコンピュータも困っているんでしょう。それに使っている愚生がコンピュータの素人と来ている。コンピュータも嫌がっているのだろうなぁとかわいそうになります。よって、愚生の部屋で処理することになります。毎日、夜遅くまでです。これも困りました。愚生は、どうしたって活字派ですから、古典に親しむ時間が無くなります。ま、しょうがないのですがね。学校のためですから。優先事項は学校のためです。

 今日もある部活動の活動風景を撮ってもらって、夕方部員がデジタルムービーを届けに来てくれました。預けましたから。そして再生を試みましたが、校長室のコンピュータでは処理できません。再生も相当の時間がかかります。笑ってしまいました。これじゃまるで愚生のようなもんじゃないかというわけです。

 う~ん、処理速度の速い頭脳が欲しいと真剣に思ってしまいました。
 それで、自分の部屋でこの記事を書いておるのです。

 しかし、これもまた楽し。
 いつもいつも学校のことばかり考えています。
 生徒諸君のことを。ですから実に楽しいのです。生徒諸君のためになることを考えるからです。

 故に、愚生の期待を裏切ることなかれ、と思います。

 決して完成した学校だというつもりはありません。時々期待はずれのこともあるからです。本校の周囲の方々のご期待に添えないのではなにもなりません。心せよ、心せよであります。



 名古屋の方で何かが始まります。連日マスコミに取り上げられています。コメントはしません。残念なことであります。それにつけても、愚生のようにできなかったのでしょうか。

 賭け事なんぞ一切できません。麻雀すらできません。ゴルフもやらないのではなく、できません。才能が無い。やる気もない。パチンコもそう。まったくできません。花札もです。トランプもできない。正真正銘なんにもできないのです。まったくの無能。そういうのに向いていません。自称石部金吉であります。

 昔、珍獣のようだと言われたことがありました。事実珍獣でしょう。貧しくて、苦学をしてやっと大学を卒業させていただきました。乏しい収入の中から書籍を集め、能力のない頭脳で処理速度も遅くそれでも努力の有効性を信じて励んできただけでありますから。

 だからこそ広瀬淡窓先生に憧憬するのでありましょう。江戸時代の俊秀たちは本当に真剣に学んでおりました。

 最近、藤沢周平先生の「雲奔る 小説雲井龍雄」(文春文庫)を、少しずつ読んでおるのです。幕末の時代を生きた米沢藩士雲井龍雄のことです。安井息軒の三計塾きっての俊秀と言われたこの人が、やはりというか藩校米沢興譲館にも学んでおったというところに、非常に激励されました。要するに愚生の先輩ではないですか。評価のいろいろ分かれる雲井龍雄ですが、時間を常に意識して行動していたのは間違いない。それに、高畠町の屋代というところで役目をこなしていたというのもびっくりしました。愚生の亡母が最後に勤務していた小学校がそこにあったからです。そこの学校のご出身の知人もいますし。


 要するに時間が無い。残された日々と時間が。残日録であります。くだらない事で翻弄されたくはない。それよりもやるべき事、やらねばならぬことは山ほどあります。

 ハイデガーが、イワンイリッチの苦悩を取り上げています。今日の午後それを考えていました。トルストイがイワンイリッチを書いているのです。それは病気になって欺瞞的な日々を送っていたことをイワンイリッチは気がつき、自分の人生などいつでも交換可能なそんなものでしかなかったということについてです。死の直前まで彼はそのことに気がつかなかった。愚生は、この人にケアということで関心があるのです。彼を面倒みる若い男の子の心がまたすばらしいのです。ですから有限性があるということに気がつかないと、いかんと思うのであります。現象面のことですべてと思っていてはいかがなものか。人間は誰しも例外なしに死ぬのですから。

 つまらんことにうつつを抜かしておると、自分も駄目にしますぞ。

 せっかく期末試験が終わったのに、なんということを校長はいうのだろうかと思われるかも知れませんが、ね。

 やかましいくらいでちょうどいい。誰もなんにも言ってくれなくなったらこれは恐怖ですぞ。



 勉強なさいませ!
 

※関東大会に出場する水泳部の練習風景をアップしました


 
コメント
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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/