血液型は四つです。
冷静に考えればこれで全部の人間を類型化できると本気で信じている方はいるのでしょうか。
そんなことを今日は考えました。
つまり自己の主観に自信が持てないから、血液型という類型によって、自己の主観を正当化しようとする。ところがこれがいつのまにやら逆転してくる。直接相手の人間と会う前に、血液型を聞いて、類型にはめ込み「この人は**型人間」として接していく。
こういう体験は捨てるほどあるわけです。客観化の落とし穴です。一見客観的な装いをしているようで、実はなかなか怪しいものがある。
また、組織をいかに機能的に改革しようとしても、十分ではない。むしろ組織の中にいる人間を機能という枠の中で判断するということになります。
これは子どもの発達という面では、決して一般化できないということから考えても、ちょっといかがなものか。発達はそれこそ共同歩調ではありません。足の速い人もいるし、そうでない人、英単語を記憶するのが得意な人も、得意でない人もいます。人それぞれであります。
何を言いたいのかと言いますと、「思い込み」の危険性であります。
そんなに簡単に人間を知ることはなかなかできません。
愚生も自戒していることの一つです。
表面上のことで、相手を類型化してはなりません。
よく調べもしないで、思い込みで相手を決めつけ、これこれしかじかであるとやって墓穴を掘ることなかれ。ましてや、インターネットでいろいろやるのは危険極まりない。
安全な青年期を送っていただきたいからです。
毎回、毎回全校集会で注意をしているのはこのことなのです。絶対にインターネットでは他人を貶さない方がよろしい。やっちゃいけません。証拠が永久に残るからですよ。
もっともっとやるべき事、やらなくてはならない事はたくさんあるはずです。
「学問」「体力」「人物」をはぐくみなさいませ。
将来は、自分の職業生活の中で、どんどん「経験知」を積み、押しも押されぬ立派な社会人となっていただきたい。そのために、この三点を学んでいるのですよ。経験知というのは、学校の先生方を見ていてよくわかると思います。まさに、先生方は経験知の宝庫です。学者なら知識で勝負。格闘家なら体力勝負。これまで経験してきたことを総合して学ぶことができるから、学校は尊いのであります。
間違ってはいけません。
勘違いしてはいけません。
自分が一番見えないのです。
ですから師匠が必要なのです。
指摘してくださる方がだから必要なのです。愚生にもいます。たくさんいます。レポートを書いても、読書をしても、話をしてもたくさんの場面で教えてくださいます。完成はしていないからです。ありがたいことであります。
事実を確認して、参考文献にあたり、そしてレポートにしていく過程で本当に「思い込み」や「決めつけ」がないかどうか、注意をしています。それでも難しいことは多い。それが師匠に学ぶ意義であります。楽しさでもあります。大いに学びなさいませ。手段はたくさんありまする。
また明日!
冷静に考えればこれで全部の人間を類型化できると本気で信じている方はいるのでしょうか。
そんなことを今日は考えました。
つまり自己の主観に自信が持てないから、血液型という類型によって、自己の主観を正当化しようとする。ところがこれがいつのまにやら逆転してくる。直接相手の人間と会う前に、血液型を聞いて、類型にはめ込み「この人は**型人間」として接していく。
こういう体験は捨てるほどあるわけです。客観化の落とし穴です。一見客観的な装いをしているようで、実はなかなか怪しいものがある。
また、組織をいかに機能的に改革しようとしても、十分ではない。むしろ組織の中にいる人間を機能という枠の中で判断するということになります。
これは子どもの発達という面では、決して一般化できないということから考えても、ちょっといかがなものか。発達はそれこそ共同歩調ではありません。足の速い人もいるし、そうでない人、英単語を記憶するのが得意な人も、得意でない人もいます。人それぞれであります。
何を言いたいのかと言いますと、「思い込み」の危険性であります。
そんなに簡単に人間を知ることはなかなかできません。
愚生も自戒していることの一つです。
表面上のことで、相手を類型化してはなりません。
よく調べもしないで、思い込みで相手を決めつけ、これこれしかじかであるとやって墓穴を掘ることなかれ。ましてや、インターネットでいろいろやるのは危険極まりない。
安全な青年期を送っていただきたいからです。
毎回、毎回全校集会で注意をしているのはこのことなのです。絶対にインターネットでは他人を貶さない方がよろしい。やっちゃいけません。証拠が永久に残るからですよ。
もっともっとやるべき事、やらなくてはならない事はたくさんあるはずです。
「学問」「体力」「人物」をはぐくみなさいませ。
将来は、自分の職業生活の中で、どんどん「経験知」を積み、押しも押されぬ立派な社会人となっていただきたい。そのために、この三点を学んでいるのですよ。経験知というのは、学校の先生方を見ていてよくわかると思います。まさに、先生方は経験知の宝庫です。学者なら知識で勝負。格闘家なら体力勝負。これまで経験してきたことを総合して学ぶことができるから、学校は尊いのであります。
間違ってはいけません。
勘違いしてはいけません。
自分が一番見えないのです。
ですから師匠が必要なのです。
指摘してくださる方がだから必要なのです。愚生にもいます。たくさんいます。レポートを書いても、読書をしても、話をしてもたくさんの場面で教えてくださいます。完成はしていないからです。ありがたいことであります。
事実を確認して、参考文献にあたり、そしてレポートにしていく過程で本当に「思い込み」や「決めつけ」がないかどうか、注意をしています。それでも難しいことは多い。それが師匠に学ぶ意義であります。楽しさでもあります。大いに学びなさいませ。手段はたくさんありまする。
また明日!