東京の新葛飾病院の院長先生の清水陽一先生(61)は、ご自分が余命2年の大腸ガンであるにもかかわらず、患者さんのために、朝も夜も一日中治療にあたっておられるということをテレビで知りました。
年齢も近いこともあり、また最近興味を持っているターミナルケアやグリーフケアにも関わることですので、たった10分のドキュメンタリーでありましたが、非常に感動させていただきました。
このような医師が他にもおられる。
国立千葉病院の精神科医であった西川喜作先生です。以下に先生のことについて書いたわたくしの駄文を紹介しましょう。
医師西川喜作は、前立腺癌患者となった。
癌の受容に関しては揺れ動き、悩み、動揺を隠さない。その人間的な悩みは、共感できる。「高僧と 癌」の話ではないが、悟り切ったとされる高僧であっても、死は恐怖であるし、動揺する。
しかしながら、西川医師は、死の医学を真剣に考えて行く中で、「自分は何かをしなければ」という思いをつのらせていった。
「たとえ世界が明日終わりであっても、私はリンゴの樹を植える」という文章は、癌患者の存在のあり方を問われし者として、何を応答すべきか、何をもって生を全うすべきかという解がそこにはあると言わなければならない。
残された時間をいかに生きるかについての西川医師の語られたことは
・医師として可能な限り学び続ける
・学んだことを、患者の診療の中で実践する
・自分の経験したことを発表して、人に問う
である。
学び続けるという視点。これこそが、生き甲斐を生み出すもとではないのだろうか。
(※西川喜作先生が登場する動画はYouTubeで見られます)
人間とは実に興味深い存在であります。
なぜこういうことが可能なのでしょうか。
余命・・・・・・という段階でさらに仕事に没入できるという精神的な強い構造がすばらしいのですが。
あなたも考えてみませんか?
これもまた学問の一つの分野になります。
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さて、昨日の記事に人間とはおもしろい存在で・・・・・・とか書きました。
これはほんとうにそう思います。
世間話や、噂話、悪口等々。
時間がもったいないではないかと思うことしばしばであります。
わたくしも知らない人間関係を他人が知っていたりする。つまり噂というやつであります。それをまことしやかに流言される。会ったこともない方と、噂で友人になっていたりします。確認をしていないワケです。
そういうことばかりやっていると逆利用されてしまいますから、十分留意されたし。人のことを悪く言うなという格言は、老人の智慧でありますなぁとしみじみ思います。ところが人間は、そこのところが理解できない。だから人間は実におもしろいのです。わたくしも含めてではありますが。
現代人の課題ということで駄文を書いていましたら、いろいろな課題をいただき、それの解を提出いたしました。2500字。たいしたことは書けません。しかしながら、それで課題を考え、理由を考え、解決方法を考え、結果を考えるというのは実にいい。
「問理方結」というパターンでいつも考えます。
問題、理由、方法、結果という思考パターンです。
これで考えると、世間で言われている世相万般が、問題になり、課題になります。そして、なぜそういうことが取り上げられるのかという理由、解を求めての方法、最後に結果という流れになります。
相手の思考パターンを探る上でもこれは実に有効であります。このお方は問題・課題をどういう理由で主張されているのか、もっと言えば前提は何かということを、拝聴しながらいつも分析させていただきます。
そして、現代人は、太陽も地球も人間も永遠に存続し続けるという前提で行動しています。命も永遠だと思っている節もある。
去り方(職場も人生からも)の方法をちょっと話題にしただけで、冗談を言っているとしか受け止めていただけません。
わたくしは、永遠に学校の先生をしているわけにはいかないのです。また、向老期にむかっていかに過ごすかということも喫緊の課題であります。
自我ということをちょっと書いたことがありました。自我は、現象としてはあります。鏡を見れば、そこにわたくしもどきが映っている。しかし、それは実体としての、真の自己ではありません。光線になって、映っているだけのものです。わたくしもどきでしかない。じゃぁ、自己とは何か?ということが、最も重要になります。それを考えるのが、哲学であります。
古典を読み、じっくりと思索することによって、毎日が実に楽しくなります。
それを今日は清水陽一医師に教えていただきました。
命は限られているからであります。
また明日!