わたくしも幼いときから、「他人に迷惑をかけない」ことを今は亡き両親から教わりました。
そりゃそうです。当たり前の真実であります。他人に迷惑をかけているようでは、お話になりません。
しかし、この言葉の裏には、「他人に迷惑をかけないならば、なにをしてもいい」というロジックが隠されているような気がしてならないのです。これは今でも実感としてあります。36年ほど教育界に身を置いてきたからこそ、そういう実感を感じるのであります。
現代の高校生一般の傾向としてこのことが(つまり他人に迷惑をかけていないから、なんでも、なにやってもいいじゃんという傾向性を慨嘆しているのです)しばしばマスコミでとりあげられるからこの記事のタイトルにしました。
インド人は、親は子どもに「あなたは他人に迷惑をかけているのですよ」ということを教えるのだそうです。
これはすぐれた教育論であります。迷惑をおかけしているということは、まさに真逆の意味で他人への感謝と結びつきます。受け入れてくださっているだけで、ありがたい。つまり感謝の教育であります。見習うべしであります。
だから、この前提にあるかぎり、「何をしてもいい」というロジックにはなりようがない。
わたくしたちは、必ず他人にどこかで迷惑をかけているわけです。
時々冗談のように言うのですが、これはどうやら真実のようであります。もしかしたら、今のわたくしの仕事そのものも、100%の賛同をいただいているわけでもない可能性を有しています。好き嫌いで行動する方から見たら、嫌いな方には、わたくしの存在自体迷惑千万でありましょう。また、柔道でわたくしに数は少ないながらも負けた方は、わたくしの存在が迷惑であるわけです。もしかしたら、昇段試験でわたくしはその方の昇段を邪魔したのかもしれませんからね。
満員電車もそうです。
満員だと自分は不満足です。
不快だからです。他の乗客がなんで降りてくれないのだろうかと思うわけです。
ところが、その満員電車に自分も乗っていることに気がついていない。自分を棚上げしているわけです。みんな一緒に電車に乗っているのに、自分のことしか見えていない。
これは見事な逆説であります。
昨日、実は大都会で人間ドックを受けておりました。
休日でもやってくださるクリニックがあるのです。
そこまで行くのに、満員電車に乗ったわけです。
本当は休日ですから、真の満員電車ではなかったのかもしれません。
しかしながら、普段のんびりゆったりと電車に乗っているのでそう感じたのでしょう。
不平不満の分子になってしまったのかも知れません。
勝手なものであります。
そういう我が儘勝手な深層心理にとらわれているわけです。
この年末年始を深層心理の面から、自己分析を試みてみたいものだと思った次第です。
在校生諸君。
心理学という学問もまた楽しいものですよ。
ひとつのたとえ話ではありますが。
それでは次回またお会いしましょう!