昨日の記事の続きのようなものですが、文章でわかりやすく書くにはこのブログのような日記形式では限界があります。
つまり感想を書いているからです。
小論文ではこうはいかない。
なんでもいいからと論文を書くと、評価が低くなる。
なら、どうすればいいか。
あまり人のことは言えないのですがね。
それは「問題 結論 理由」というようにクイズ形式で書けばいいのです。クイズはこの形式になっています。問題があって、その回答がある。そしてその理由もある。
ところが難しいのが、この論文形式ですと、反論が可能になる。理由ということがポイントです。理由というのはそれこそ基盤が危うい。いろいろと論理のあらも見えてくる。議論というのは完璧はないのですから、当然ある問題課題について、賛成・反対がある。それでなくては議論はいけません。賛成も反対も当然あるわけですから。叡智もそこから生まれる。時々、自分の説とか議論こそ世界唯一の整合性を持つとか、絶対に正しいとか、絶対的真理であるとか言われる方がいます。そんなことはあり得ないわけです。時間だって、宇宙論からすれば、時間そのものの消滅を疑っている学者がいるそうですから、これは怖いことになります。不勉強で最近初めて知りました。
ですからこの形で拙ブログを書くわけにはいかないわけです。時事問題も、政治問題も、宗教問題も、経済問題もここでは取り上げられません。当然です。どちらか一方の立場に立つわけにはいかないからです。
故に、あくまで感想主体で、そのあたりの微妙な問題を避けながら、日々の日記を書かせていただくわけです。もっとも小説も、和歌も、俳句も日記のようなものであるという指摘をされる学者もいますから。
拙ブログにはいろいろな要素をちりばめてあります。
学校広報専門でもありません。
ブログですから日記のようなものでしかないわけです。よく言われるのが、なにかを見ながらそれを写しているのか?と聞かれます。無いのです。当然です。日記ですから。あたまに浮かんだこと、ぽっと出てきたことを、書いているだけであります。論文もこれくらい気楽に書ければ、苦労はしないのですが、ね。
そんなことを昨日から考えておりました。
もう今年もあとわずかです。
お世話になった師匠にさきほど御礼のメールを出しました。ほんとうに拙ブログのように、欠点だらけのレポートを辛抱強くご指導してくださいました。ありがたい限りであります。おかげで、ハイデガーを筆頭に西洋哲学や心理学について非常に勉強をさせていただきました。また新たな心理学にも手を伸ばすことができました。教師としての成長はまだまだ継続可能な気がします。書籍は、この4月から約200冊を購入したり、県立図書館から貸し出しを受けました。買った本は、インターネットで中古本でしたから、費用はそんなでもなかったのですが。
いつまでも師匠を持つことはいいものです。くだらない自慢、慢心を持つことがない。学び続けることが可能となります。
在校生諸君がうらやましい。
いつでも、本校の先生方に質問をし、勉強をすることができるわけですから。
生涯学習とはよくも言ったり。
生涯学習仲間でも友人を持つことができました。スーパーエリートと呼ばれる方々とも。全部年下ですが、ね。
ありがたいかぎりであります。
また次回にお会いしましょう!