と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

勉強力(抽象から具象へ)

2010年12月30日 23時57分29秒 | 先公ごっこ2008年から2012年

認識心理学から勉強を分析した本があります。
書名は、「勉強力をつける」です。名古屋大学の教授をなされた梶田正巳教授の本です。ちくま新書です。



この本に書かれていることで、一つ気になったことがありました。
それは普段先生の授業を聞いていて、いざ試験があるとできない、あるいは応用力が無いというのはなぜかということでした。まじめにノートをとっているにもかかわらずに、です。そういう生徒は多いのかもしれません。本校生徒にもいるのではないかと、ずっと思ってきました。また、実感として感じるから興味深くこの新書を読了しました。

なぜでしょう?
結論から言うと、先生の指導されることを抽象から、具体的な事象にできていないということでありました。その逆もあります。
他にもいろいろと具体論が書かれているのですが、それはちまたに広まっている勉強論とかぶります。
しかし、この「抽象から具体的事象へ。そしてまた具体的事象から抽象へ」というご指摘はおもしろいものでありました。

なぜか。
それはわたくし自身が、日々を抽象から具体的事象の歩みの中で読書を試みているからです。
ノートをとりながら、思想書をまとめていっています。こちらは未公開の大学ノートです。B5の普通のノート。情報を、いろいろな哲学者からいただく。エッセンスをまとめているだけでは自分のものにはなりません。それを資料としてレポートを書く場合は、自分なりに定義を咀嚼しないと絶対と言っていいほど書けません。本の記述を写していいのなら話は別です。引用をしながら、自分の考えをまとめるのが勉強になるわけです。

定義と、その具象化と、相当な時間を要します。そんなことばかりこれまで何十年もやってきました。まさに本との闘いです。あるいはこんなわたくしでもまがりなりにも生きてこられたのは、こうした努力の積み重ねであったとしみじみ思います。エリートでもなんでもない凡夫だからできたことであったのです。ただの凡人。努力するしかなかったのです。努力は誰でもできますから、ね。良かったと思っていますよ、本当に。人の心の痛みも、悲しさも、寂しさも十分わかる人間にさせていただきましたから。



生徒諸君の場合、先生から教えていただいたことを自分のものにしていないから、応用がきかない。
また、英単語のように熱意と根性でやるものを回避していたのでは、もうお話になりません。
忍耐もかなり強い要素としてあります。
このあたりが理解できると飛躍的に伸びるのでしょうが、ね。

数学は暗記だというような本を書かれた先生のお話も紹介されていました。
それはそれで結構でありましょう。事の是非はともかくとして、抽象から具象へ、あるいは逆に具象から抽象へという思考システムは重要な学習論でありましょう。教科の先生方によっていろいろと違った考え方もおありでしょうから、このあたりにしておきます。

この冬休みにそんなことを考えてください。



もうひとつあります。
それは価値の一般化をしすぎないということにご注意いただきたいものであります。

たとえば、先日、福島県の道路で雪のために、立ち往生したニュースがありました。
この報道でまるで東北全部の道路が立ち往生していると誤解した人もおるようです。そんなことはないわけです。わたくしは東北の出身ですからよけいそう思うのです。事実と違った理解をしてしまいがちであります。

わたくしもこれについては十分注意しているつもりです。

また、西洋思想でも東洋思想でも、思い込みで評価をしてはなりません。
他人の評価をうのみにしてはいかがなものかと思うからです。

数回前の記事で、「他人に迷惑をかけなければ・・・・・・・・・・」という書き込みをしました。
あれは、、ドストエフスキーやニーチェの思想を理解しておられるということが、前提条件としてあったことを書かなかったことに気がつきました。
ミスであります。自分のことだけが、前提条件としてあるからです。

ですから価値の一般化を急いではならないのです。
前提は人によって違うからです。

進学校という前提もそうです。
何が進学校という定義なのであろうかと思うと、うかつなことは言えなくなります。
非常に怖いことであります。
基準が違っているからです。人それぞれ、分析をしている出版社によってそれぞれであります。よその土地の話ですが、地域の思い込みも誤解もある。自称進学校なのか、他称進学校なのかということです。また御自分が進学校を出たからと言って、その体験が全てではありません。(ただし、その体験は非常に貴重です)
このことも価値の一般化のしすぎであると思うのです。

勉強力というのは、NHKで放送された「テストの花道」のような、最初から具体論から入るのではなく、こうした理屈から入っていくのもまた「応用力」養成という点では大切なものであると思うからです。マニュアル全盛の世の中ですが、「勉強」だけならそれでもいいでしょう。「勉強+力」を扱うのならば、総合的な実力を身につけるという意味で、こんなことも考えていただきたいものであります。


寒い中ですが、風邪などひかないで頑張ってください。
センター試験を受ける3年生は特にですぞ。
心配しています。


 


 


また次回に!


 


 


コメント
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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/