今日もいろいろと世間のしがらみで、多忙でありました。
それでも基盤は、本校の生徒の向上しかありません。
今日はいろいろな講演をお聞きしておりました。
こういう状況を、江戸時代の広瀬淡窓先生ならどう思われたのかと考えてしまいました。
あるいは毒舌で鳴らす評論家諸氏がどうのたもうか。。。。
こういうのを楽しみにしているようではいかがなものかとは思いますがね。
現代の教育の諸相は、本当に江戸時代に表層的に現れています。
さすがの広瀬淡窓先生でも私塾のいじめ問題について悩んでおられる。
もしかしたら、これは前提がいろいろと違ってくるのかも知れないと考えたしだいでありました。
教育は現象面だけを扱っているものでもありませぬ。
常に根本に立ち返り、哲学を考えなくてはなりませぬ。
すくなくとも、現場実践人であるならば、そういう覚悟はある筈であります。
そういう意味で、この間の日本語暗唱教室のボランティアは良い経験でありました。
こんどはこれを「分析批評」をしていただくつもりです。
若手の教員に、わたくしの拙い講座を見ていただいて、それを自由に批評していただく。
相互に、批評しあう。
これはいい刺激です。
こういうのが向上の源となるのです。
明日は始業式です。
準備は済ませました。
明日の朝五時頃には、始業式のレジメがアップされます。
懶惰な校長ではありますが、どんなに多忙であっても、在校生諸君のことをいつも思っています。
こんなに尊い仕事であったとは、あまり考えてもみませんでした。経験が人間を成長させるようであります。代々教育一家でありました。ですから、余計にそんなんでいいのかと悩んだ時期もありました。でも結局は、遺伝子どおりの生き方でありました。後悔はありません。ありがたいかぎりであります。
ただし、生活綴り方教育に一生を捧げた亡母のような生き方はできませんでしたが。